よく「学問は役に立つことが重要なのではない」などと嘯く人がいるが、これは間違っている。学問の価値は役に立つかどうかで決まる。
まあ、大人になる過程でこういう「他人と違うことを言ってみたくなる時期」があるのは、別に悪いことではない。
しかし、高校生や大学生1, 2年生ならともかく、もうすぐ社会人になる人や既に就職している人がこういうことを言っているのは恥ずかしいことだ。
実際、プロの研究者なら誰でも知っていることだが、学問の世界ではその研究が役に立つかどうかは常に重視される。
自身の研究が既存の研究とどのように関連し、他の研究にいかに貢献するかを示すのは、論文を書く際の一般的なマナーである。他にも、研究予算の申請、大学教員の採用などのあらゆる場面で、「役に立つか」は重視される。
大学などの研究機関や国は別にボランティアで教員を採用したり予算を出しているわけではないのだから、これは当然のことである。
たとえば、以下のPythonのスクリプトを実行すれば、1億個の定理を証明した数学の論文が作れるが、それを投稿しても受理してくれる学術誌はひとつも無いだろう。学問的に何の価値も無い、つまり役に立たないからだ。
[print(f'{n} · {m} = {n * m}') for n in range(1, 10001) for m in range(1, 10001)]
要するに、研究者はこういうクズ論文ではないきちんとした研究をする必要があるし、その研究に価値がある、つまり役に立つことを必ずしも専門家とは限らない人に示さなくてはならない。