2020-04-25

人間の関連付けに関する脳について

ある5chスレッドで金に関する話題が持たれた。金と技量に関連性はあるかといった内容だったのだが、そこでわざと関連性に引っ掛けつつ別の話題を投下してみた。内容はやや釣りに属するものかもしれない。すると見事にそのレスに対して全く関係ない書き込みと同一視しつつこちらを批判するようような内容が書き込まれた。インテリ増田の連中ならバカやアホの一言で済ませるのだが、基本的自分としては人間の脳は錯誤しやすものだと思っている。

例えばこちらでよく行われる論理学系の増田による釣りで、「オタクは衆人に迷惑をかける」という命題提供されることがある。実のところこれには悪意があるが、命題としては透明無色であるオタク迷惑をかけることもあるし、かけないこともある。前提の縛りが少なくその程度は許容できる範囲だ。ところが、かかる5chの連中に至ってはこうして思考を切り離せない。「オタク迷惑をかけると言ってるのはオタク社会を知らない無学だからだ」となぜか返す刀で当人批判まっしぐらである。こうなると増田論理学狂の格好の的だ。

だが無用に彼らを責めて良いものか。人間の脳のこうした関連付けは実のところ人間に最短で最適解を選ばせる機能の一部なのだそうだ。例えば「曇っていて天気予報では雨と言っていたので雨が降るに違いない」、という思考は、天気予報と曇りのビジュアル当人認識されて関連付けられた結果だ。実際に雨が降るかどうかが無関係でも人は関連付ける。関連付けるから人は最適解を最短で導き出せるし、支障なく暮らせる。

長期の干ばつに見舞われた砂漠ラクダは水をのむことを忘れてしまい、渇きにより死亡してしまうのだそうだ。これはラクダにとって自分の渇くという欲求と水が結びつかないか、少なくとも生命危機に水が必須であることを認識できなくなった結果と言える。

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