ところが、現実を見ると今回、無視できない数の人が宇崎ちゃんポスターはダメだろうと言っているのは誰もがご承知のはずです。
しかも主張はそんなにきついものでは実際ありません、たかだか公共物に使うのはやめて欲しいと言っているだけで、表現自体を禁止せよとはいっていません。
どこかの通路にデカデカと貼られた宇崎ちゃん広告についても批判は皆無だったようですし、あれもこれもダメだなんて全然言っていないわけです。
『無視できない数の人がダメだと言うものは公共の場に相応しくないと言った』で排除できるのならば、数十年前のアメリカ合衆国で
『黒人をポスターに使うのは公共の場所に相応しくない。何も黒人は出ていけと言っているのではない。単に黒人を公共物に使うのは止めて欲しいと言っているだけです』だって通ってしまうぞ。
黒人だけじゃない。同性愛者、少数にしか支持されていない政党、宗教etc...どんなものにも適用されてしまう。
だから俺は、『不快になるというよりも重大な理由(犯罪や自殺を扇動するなど)が無い限りは、公共の場所のポスターに文句をつける権利はあるが、排除は良くない』と主張している。
たった赤十字ポスター一枚きり(枚数は一枚じゃないけど)の話で、無視できない数の人が同調している主張を、無視していい理屈ってなんなのですか?
そう、たった赤十字のポスター一枚きりだ。街中どこを見ても男性の性欲を煽るようなポスターだらけ、というならば考える余地があるが、そうではない。
ならば見て不快になるならば見なければいい。それだけだ。なぜそれ以上を望むのか?
おかしいとは思いませんか? 真面目に考えて。