なので社会貢献として、貧困にあえぐ子供たちを支援するNPOに十数年ほど寄付を続けていた
毎月、俺の寄付金が里子のために使われ、定期的に里子の成長レポートが届く
手紙への返信もしたし、一度、その里子に会いに行ったこともある
誇らしいと感じた
低学年くらいだった里子は、やがて無事に学校を卒業し、NPOから巣立っていった
すると俺には別の里子が割り当てられる
俺の金でまた一人の子供が救われ、世界はすこしだけ幸せになり、未来は明るくなる
素晴らしい活動だ
その時俺は忙しかった
返事を書かなきゃなと心の片隅で思いつつも、自分の生活に手一杯のまま、返信期限は何時の間にか過ぎていた
次の年、やはり届いた感謝の手紙を、俺は開くことができなかった
成長レポートも開封できず、俺は黙って「あとで読む書類」の束にそれを置いた
それに比例して、開封しなきゃというプレッシャーも高まっていく
里子は貧しい生活の中、俺に感謝を伝えるために心を砕いてくれてる
だが俺には、それを受け止めるだけの余裕がないんだ
返信できなくてごめんな
俺は駄目な里親だ
俺は俺の人生だけで手一杯なんだよ
でも、その想いまでは背負えない
NPOの統計によると、感謝の手紙に対しての返信率は、全支援者の数割程度だそうだ
里子との心の交流を大切にしたい、支援の手応えを感じたい里親もいるんだろうけど、
俺みたいな「金だけ渡したい」支援者も多いってことだ
いや、そんな統計なんてどうでもいい
俺は、「俺の里子をないがしろにしてしまっている」のが辛いんだよ
次の里親が見つかるまでという条件つきで支援を継続しようとも思ったが、そういうシステムはないらしい
俺の支援が打ち切られた後、次の里親が見つかるまでは、NPOの持ち出しで支援が続けられるらしい
里子はどう思うだろうか
俺の支援がなくなったことで、自分に何か非があったと感じるかもしれない
違うんだ、気に病まないでくれ どうかすくすくと育ってくれ
レポートが開けていないから名前も顔も分からないけど、彼または彼女のことを考えると、俺は心が痛い
気に掛かることは多いが、俺は俺の安寧を優先させてもらう
すまん
パパ活の百億倍はましだと思うよ。
パパ活の枠組みで支援用のアプリを作れば参加の敷居が低くなるかなと思ったけど 支援の人気が一部の女児に集中して、あまり受けの良くない女児や男児はないがしろになる やはり福祉...
善意を続けるにも気楽さが必要なのかもしれんね。 支援をするには相当の覚悟や労力が必要、ってなると尻込みしてしまう。