(ここ・この文章で言う自由とお金とは、海外旅行に行くことができるような自由だ。)
(会社員にとっては、海外旅行に行くだけの時間も必要だが、お金があれば時間は確保出来る。なぜなら、お金があれば、働く必要がないからだ。)
だから自由民主党というのは、お金民主党と呼びかえることができる。
お金がほしい人達の集まり、お金がほしい人たちで集まりましょうという団体だ。
お金を得る自由、つまり、自由を得る自由がほしいという人たちということだろう。
憲法改正というのも、要するにお金を自由に得られるように変えたいということだろう。
どうも、お金ばっかりだといろいろ厳しいようだ。
お金はほしいが、お金がほしい、自由にほしい、自由がほしい、自由が自由にほしいということばかりでは、自由民主党にとっては良いが、この国の全国民にとっては悪いようだ。
私はお金はほしい。(なぜなら海外旅行に行きたいからだ、何故かと言うと)でも、それをできれば好き勝手に、できるだけ好き勝手に得たいということばかりなのは悪いことなのだろう。
私が私の好き勝手にお金を得ていいとしたら、盗むだろうか。(いつの間にか無くなっているというのは、たまによくあることだ。私が大切にしていたはずのあれはどこに行ったのだろうか。)
人を殴って奪ったり、騙したり、あとはよくわからないが、私自身がされたら嫌なことを他の人にしても自由にお金を得ても良いとしたらどうだろうか。私はそうしたくないし、私がされたら嫌なことをされたら困る。
おそらく、そんな風にはしないようにしましょうというのが「民主」の部分なのだろう。
自分にとって困る、嫌だ、避けたい、迷惑だ、それはだめですよね、あなたもそうですよねということで合意するのだろう。ただ、もちろん、それは別に良いですよ、構いませんよという範囲のことも出てくるから、最低限の合意になるだろう。
あるいは好きに刷るだろう。
個人的には破綻しない程度に刷れば良いから、破綻はしないだろう。ただ、ほとんどの人がお金を好き勝手に欲しがったときには、お金、お金の仕組みは破綻する。
お金はほしいが、私は、お金は好きなことをやって稼ぐしかない。好きなことというのは、これは、自分にできることをやってそれがお金になるところで働くということだ。(私にできることは限られたことなので、私にできることを好きなようにさせろということにはあたっては、些末な問題しかない。それは今のところ自分でコントロールできる範囲のことと言える。でも、もっと大きなこと:沢山の人が生きていく、食べていくことができることに影響を与えることができるような人は、その力がどのように発揮できるようにするかについて、ほかのそうした力を持つ人同士での、大きな調整が必要になるのだろう)
(中略)
ならば民主共和党か、共和民主党にという一つでまとまっていしまえば良い。ただ、そうすると、またその中で侃々諤々議論が起こるのだろう。
共和民主か民主共和も良さそうだが、それだけでも足りないようだ。
みんなで仲良く決められないだろうか。