そうですか
父がガンになった。とは言っても高齢者によくある前立腺がんだ。
体力的なことを考えると、外科手術で除去する選択はここ数年までだろう。
やれ切ると転移の可能性が高い、年齢を考えると外科手術はするべきではない、他にもガンが小さくなる方法を周りから聞いたことがある、うんぬん。
いや、べつにそれでいいのだが。
家族を連れてこいと言われたときに他の誰も行こうとはしなかったではないか。
余命宣告されたときに、父にかけるべき言葉まで用意してその席に臨んだのに。
それで医者と質疑を交わしながら今一番に取るべき選択として外科手術を選んだのだ。
それを今更なんだ。
どこで聞いてきたかもわからないような温泉の名前をだして、奇跡の湯だとか言い始める始末。
せっかく父をある程度まで説得したのに、本人の気持ちが揺れ始めているじゃないか。
おおよその余命、前立腺がんの5年生存率、転移の可能性、そういったものを数字を並べて説明しても、命の重さは図れるものじゃないとか、手術して何かあったらどうするんだとか絵に描いたような言葉で否定を繰り返すばかり。
その挙げ句に父の命を考えようとしないドライな人間だと言いいはじめた。
ああそうですか。わたしはドライですか。数値出してどれが一番よいか考えることは父の命の大切さを考えてないというんですか。
余命宣告されたときに前向きになれる言葉を夜も寝られなくなりながら考えた人間をドライだと言うんですか。
だとしたら父を殺すのは情じゃないか。
現実と向き合わず不安な父をいたずらにそそのかすことを欺瞞と言わずなんと言うのだ。
挙げ句に死んだ人間を見て自分たちは尽くしたと涙するんだろう。
そんなあなたちを冷めた目で見る自分をドライだというなら、そうさせているのは他ならぬあなたたちだ。
残念だが父の病気について自分が何かをしようとする気持ちはなくなってしまった。
旅行に連れて行ったり存命の兄弟にあわせてやったりするくらいしかできないが自分がやれることに後悔だけは残さないようにしよう。