2018-07-28

神がいるということを信じても、宗教を信じることには全くたどり着か

神を信じるということは、例えば以下のような事実を信じるということだろう。

ある程度のバリエーションはあるだろう。例えば、ある人は髪の存在を信じながら、神は人類にはなんの関心もないと思っているかもしれない。

いずれにせよ、そのような信仰を持つことは可能だ。

しかし、このような信仰だけでは、既存いかなる宗教信仰とも結びつかない。例え話をするので、とりあえず自分上記のような神の存在を信じていると仮定してほしい。信じているという思い込みの元、例として、キリスト教の神のことを考えてみる。

キリスト教では、神は我々の主であり、世界創造主であり、絶対唯一の全知全能の存在で、人を導き、愛し、また裁く存在であるとしている。あなたは、この神を信じているだろうか? 否、あなたが神を信じていようとも、このようなストーリーを信じる理由は全くない。これは全く別の話なのだ

同じことは、キリスト教以外のあらゆる宗教にも言える。神を信じることは、宗教を信じることと全く別なのだ

ところで、今まで便宜上「神」という言葉を使ってきたが、そもそもこの言葉宗教用語として使うのが支配的な用法だ。だから、たとえ宗教とは全く関係のない文脈で、上記のような仮定の「神」を、どんなに心の底から信じていたとしても、それは世間一般では神とは言わない。

まり、「神を信じますか」という問いは、実質上、「私の宗教を信じますか」と問うているのに等しい。

また、「神」が世間一般において、またなんらかの宗教信者にとって、なんらかの宗教文脈に支えられた意味での「神」を指しているので、仮にあなたが、宗教とは関係のない文脈で神を信じていたとしても、彼ら、ないしは世間一般用語に合わせれば、「神は信じていません」と言わなければならなくなってしまう。

  • 神を疑うくせに子宮頸がんワクチンや資本主義は偉い学者が正しいと言ってるから信じる お笑いだ

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