この件、非常に苦いものを感じている。
件のエントリから低能先生はネットリンチを受けていたという認識を持っていたことがわかる。
自分はネットリンチをしていたという自覚はなかった。しかし、彼を嘲笑してもいい人物だという認識はしていた。今思うと、これはいじめの現場で必ず起こる「いじめられて当然の人物」という残酷な認識と何も変わることはなかった。
自分の目から見て、低能先生は他人の言うことを理解しようとせず支離滅裂な持論を振りかざしそして他人をやたらと低能wと煽る、最悪と言っていい振る舞いをしていた。
人を低能だと煽ってるけど本人が低能だし、馬鹿なのだなと思っていた。彼が低能先生と呼ばれ始めた時には、ああ、同じことを思ってる人たちが他にもいたのだとなんとなく安堵のような気持ちを覚えた。
本人が最悪な振る舞いをしていることも、馬鹿であることも、みんなからそう思われていることも、彼を嘲笑する理由になり得ただろうか?
この答えは、残念ながらなり得るのだ。少なくとも自分は、上記のような理由で低能先生をからかっていた。
正しいかそうでないかと言うのならば、明らかに間違っている。けれども自分が低能先生をからかっている時、そもそもこの行為が正しいのかどうかを自問するにまで至らなかった。彼は嘲笑されるべき人物であるということが大前提として存在していたからだ。
いじめのニュースでよく「いじめという認識はなかった」という言葉が出るし、今まではそのような言葉に憤りを覚えていたが、いざ自分がいじめの参加者になると本当にそういう認識がないのだということがわかった。そして、いじめられた側にはなんの非もないというのも全てのケースでそうではないということがわかった。
正直、いじめられていた側が嫌なやつでみんなに嫌われていたからと言ってそれでもいじめるのは良くない、と思ってこの文章を書き始めたけれど、書き進むうちにそうではないと思い始めてきた。
みんなからいじめられるという弱者に転じた時点で低能先生のあの振る舞いが肯定あるいは無視されていいのかというと、断じてそれは違うと思ったからだ。
彼のような荒らし、迷惑行為を繰り返す人物にできることは何があるだろう?
いやー何ともない話に低能ってつけられた事考えれば、あの人をいじめられてたリンチされてたって見るのは今でも無理よ普通に
ないよ、ストーカーとかと一緒で自分で暴れて自分で追い込まれてる人だもん
ないですね。無能な君は煽るだけだったのか知らんけど、俺は彼となんどとなくブコメ上でも増田でも議論をしてきたし。 彼は最初のうちはおとなしく話しているんだが、最終的に論理...
そりゃあまあよく知らない奴が遠くから見たら、さも100人が1人を殴ってるかのように見えるけど 先にあいつが100人を殴って、100人から1発ずつ殴り返されてるだけのことだからなあ それ...