書いた後で開かなくなったのか、初めから開かないものだったのか、中身は何が書いてあるのか、何も書いていないのか、開ける手段があるのか、開けずに書いたり読んだりする手段が存在しているのか、はたまたこの本の中身にこの本を開ける方法が書いてあるとかないとか、いつ誰が何の目的で書いたのだとか、一切は知られていない。
スウェーデン生まれアイルランド育ちのウィリアムスは、著書を人に読まれることを好まないことで有名な小説家だ。1980年代初頭、その独特の作風で有名になった。
アブハズ語で書かれた彼の代表作”Аҧсуа бызшәа”は、世界で数人しか読解できるものが存在しないと言われている。故に氏に対する評価は未知である。そんな彼が晩年に遺したと言われているのがこの開かない本だ。
彼の意に反して、この開かない本はベストセラーとなり、買う人はみな、中身に何が書いてあるのか詮索するのに夢中になった。仮にそのような趣向に飽きたとしても、簡易的なテレビ台やらペーパーウェイトやら、この本の使い道は無数にある。むしろそうした使い道の方が、この本には向いていると言える。
そうして何十万部と売れたうちの一つが、今私の手元にあるこの本である。という推測だ。
この本は1985年には絶版となったが、ブームの最中に突如絶版となった理由は知られていない。その出版工程も謎に包まれたままだ。ともすると、私の持っているこの本と隣の家でテレビ台として活躍しているあの本とは、別の本である可能性が高い。開けられない状態では、中身が同じだと保証することも難しい。
ほとぼりが過ぎ去った2000年台初頭、とある起業家の五十嵐甫が、開かない本の価値に目をつけ、開かない本がどのように作られたのか、開かない本を開けようとプロジェクトを立ち上げた。
五十嵐はまず彼の過去作に目をつけた。彼がアブハズ語で書いた、世界に読める人間が数人しかいないというАҧсуа бызшәаが、実は本の開け方を示した暗号となっているという説が、最も有力であったためだ。
次に有力だったのが、ある開かない本が別の開かない本と上巻下巻の対になっており二つ揃って初めて開くという説だが、筆者も五十嵐も、流石のウィリアムスでもそこまで意地が悪くないことを祈りたい。
五十嵐が開け方を発見していたら、私はこの開かない本を前に時間を持て余していないだろう。結局、開け方は発見されなかったのだ。私がこれを本棚にしまったら、これが開かない本だということを、もはや誰も気にしなくなるだろう。そうして本としての価値を忘れられた時、この本はちゃっかり開くような気もしている。
開かない本というものに興味をもちました。 Kindle版が発売していたらぜひ入手したいと思います。
ここに出てくる本もその著者も五十嵐とかいう起業家も、日本語と英語でググったけど全く見つからないな〜 abkhaz languageを題材に一から創作したんだとすれば結構な力作