それは叱ってくれたり正してくれる身内になってくれること。
そこまで行かなくても「自分のイエスマンにならない」身内になってくれること。
アラフォー超えた年齢のそれなりの立場の子なしの生活ブログとか見て、「そりゃねーだろ」と思っても、コメント欄読むと賛同意見ばかり。
「掃除片付けはこうするべし」→「さすが○○さん!参考になります」
「料理の味付けはこうするべし」→「さすが○○さん!我が家もやってみます!」
こんなのばっか。
片付けとか完全に他の同居人を想定したものじゃないし、料理の味付けは個人の好みの押し付けになってる。
このブロガーに仮に子供がいたら「そんなのねーよ、クソまじー」とか遠慮なく文句を言うことができ、当人の目を覚まさせることができたろう。
よく有名人が変なことした時に「子供にも叱られた」と話すが、これ別に言い訳してるんじゃなくて、みんな本心からの一言だろう。ネットの匿名の批判なんかよりも、顔の見えないマスコミのバッシングなんかよりも、家の事情を知らない第三者のおせっかいな助言なんかよりも、一緒に生活してる血を分けた別れられない絆がある子どもの一言が一番話を聞くことができるというのは当たり前だ。
こういう自分とは違う人格で、自分より若い世代で、且つ、ぴったり寄り添うこともないが別れることもない人物は自分の子供以外に持つことは不可能だ。
こどもは親への最大の反発者だからな それを良しとしない人には負債にしか映らないんだろうけど