語学検定やPCの資格の必要性はわかるけど、大人を上流・中流・下流で区別するの必要性がわからないついでに都会に住む人で都会で働く人に運転免許必要ないやろ?
所得で上流・中流・下流と区別するのも、世界共通の常識なの。それぞれに異なる権利と義務がある。
運転免許の要らない人が増えても、大人としてのイメージを示すために、その人が貧しくないか目や耳が駄目でないかぎりみんな黙って最低限原付くらいの免許を取るの。
今でも少なくとも大学生は黙ってそれ取る人いるでしょ?
なぜ敬語が今でものこっているのかと理由は同じです。大人としての常識を弁えていることを示すものとしてね。手前がどれぐらい車やバイクが嫌いかなんかどうでも宜しい。
それは手前の育ちが悪いかて恵まれない環境で生きた人だから。大人としての常識弁えている人間なら安くない金払って専門卒や短大卒や大卒の学歴を取るように、黙って資格だの免許を高さにおびえながら取得するの。
社会に恵まれていない人ならこれから話す話は忘れていいが、そういう社会の仕組みに不都合があるのではなく手前の生育環境と人間性の低さに不都合があるの。
序でに言っておくけど、今時公道で私有地・サーキット使用の車両を恥らいなく走らせている人、それやめるまでタバコもお酒もやらないでね。