私の親はいわゆる「先生」と呼ばれる職業である。曽祖父、祖父、父と代々そうである。
私は一人娘で、その職業に就く選択はしなかった。だが、したい勉強をさせてもらっている。
親の職業のおかげで、金持ち、恵まれてる、そういう言葉とその裏に確実に存在する妬みと悪意を事あるごとにぶつけられながら生きてきた。
大人になった私は、親の職業をむやみやたらに言わないことと牽制することを覚えた。それでも言われたら「お金がないだけでなく心まで貧しいのか」と思うことで溜飲を下げた。
中学生の頃、金持ちだと言われるのがとにかく嫌で「普通の人と結婚して普通の生活がしたい」と言ったことがあった。海外旅行も外食も当たり前じゃない「普通」の家庭にしたいと。親は「そんな生活、お前には無理だよ」と言った。あの時はそんなことないと思ったけど、今はわかる。自分には今更そんな生活はできないことが。
選んでこの家に生まれたわけじゃないと思いながらも、結局その裕福さを、一人娘というだけで誰よりも享受している私は、今更貧しい生活なんてできないのだ。そして妬みをぶつけてくる人たちを手助けする気なんて、更々持てないのだ。
だから私は私自身と、もしかしたら将来できるかもしれない大切な人を豊かにするためにしかお金は使えないと思う。
裕福なら、妬みをぶつけられるくらい、なんてことないだろうと人は言うだろうか。
もしそうなら、豊かさを手にしてる人と手にしてない人は永遠に相容れないだろう。
だって結局、自分が傷つかないようにするには、傷つけてくる人だとわかった瞬間に距離を置くか、そもそもそういう人たちと関わらないようにして生きていくしかない。
金があるかどうかが一つの基準である人や、職業だけで人を金持ちだと判断できる人、そしてそれを躊躇いなく口に出せる人は、私とは違う人間で、他人に金があるかどうか私が気にしないのは、私が裕福な層だからこそなのだと思う。
恵まれていて、何が悪い。恵まれていることが悪であるかのような社会はもう嫌だ。そもそも私が稼いでるわけでもないのに、全部父の金なのに、肩身の狭い思いで生きていくのは嫌だ。
ここでやはり上野千鶴子の「みんなが緩やかに平等に貧しくなればいい」という結論はやっぱりおかしいとわかる。みんなが豊かになるべき、ではなく、みんな貧しくなれば平和という考えに至る人は純粋におかしい。
小野不由美の十二国記に、 裕福な家の娘で、裕福である自覚があるから、お高くとまっておくしかないじゃない。というキャラクターがいたな。 お話の中では王になって、貧しい国民を...
俺もしゅしょうタンにビンタされたい しゅしょうタン・・・ああしゅしょうタンに会いたい・・・
幸不幸は身近な他人と比較することによって起こるものなので、平等であることが人間にとって一番不幸を感じずに済む。 そして国全体が貧乏になることが確定的なら、皆が平等に貧し...
んー、問題は、上野氏自身がまったく貧しくなろうとしていないということだな 高度成長できなくても格差を是正してやっていこうというなら正論なんだが、自分が豊かなままで皆貧乏...
ロシアの農奴解放が行われていた時期にだな 農民のためにと自分の所有していた土地を思い切って全部開放した貴族が その後他の貴族から全く話を聞いてもらえなくなったという話があ...
なぜ「何年も前に」になるのかわからんが、今から分配しまーす貧乏になりまーすとぶち上げればもっと注目されたと思うぜ
あのコラムに脊髄反射的反応してるバカってこの程度の読解力なんだな よくわかったわ こりゃ指摘されるまでもなく衰退していくわけだわ
数%しかいない富裕層は実はすごく孤独 だから結局金持ちは金持ちと付き合うんだよ せめて私立中に行かせてもらっていればねえ