東京に出て6年、母とは8歳〜18歳まで二人暮らしで、毎年2回は帰省していた。
彼女とは地元で1年半ほど、東京で5年半ほど一緒だった。週末同棲のようなものだった。
それで最後の帰省になるかもしれないと思い、実家に帰って、母と2ヶ月ほど過ごした。体を悪くして、年々弱っていく母に、少しでも楽に過ごして欲しくて、家具や家電を買った。
一人でも生きていけるように、PCの使い方を教えた。図書館に行って、調べものをする習慣をつけて欲しいと思って、自分もそうやって毎日過ごして、調べたり、勉強する姿勢を見せた。
ぼくが居なくても、少しでも楽に生きて欲しいと思ったから。本当は、もっとお金を稼いで、楽をさせてやりたいとも思う。それができない自分がもどかしかった。
理由はよくわからないが、もう好きじゃなくなったとか、好きな人ができたとか。
まあ、彼女とは結婚することはないと思っていたし、ぼくも手伝って、彼女は納得のいく就職先を見つけ、自分で生きていくそうだ。良かった。
良かったと思っていたのだけれど、それは、後になって予想以上に大きい物を失ったと気づいた。
母のいる家は地元の僕の心の拠り所だし、東京での彼女の家は、東京のぼくの心の拠り所だったということに、いまになって気づいた。
おかえり、ただいま、一緒にご飯を食べて、たわいのない会話をして、それがいつまでも続くように思っていた。
実家を離れるとき、ぼくは、もう二度とこの日常を、長い時間味わい続けることはないのだと気づいて、深く悲しんだ。
同様に、彼女と過ごした5年半の日常は、ぼくの東京での生活を、目に見えないところで支えてくてれていたのだと気づいた。
そうして、2つの拠り所、日常を失って、ぼくはぼくの弱さに気づくとともに、今までぼくを支えてくれていた人の存在に気づいた。
失礼ですが、でも男性がその若さで「心の拠り所」の大切さに気づくことが新鮮です。 離婚や死別を経験した男性の方が女性よりも落ち込みやすいのは、拠り所の提供度合いが偏って...