http://anond.hatelabo.jp/20161001021328
この記事を読んで、話題に上がっている自殺した人のブログを読んだ。
人生は本当に運の要素で溢れていると思う。
しかし、大学に進学すると上には上がいるもので、もっと恵まれている人たちもいる。
すごく簡単なことだったりするんだけど、それを知っているだけで大きな差ができてくる。
だが、そういうノウハウが恵まれていない環境に届くことはほとんどない。
だからある程度力を持っている人間が手助けすることでしか、その子は救われない。
恵まれない家庭に置かれた人々がいるとする。
それもまた同じ道理だ。
だが、大人、常識、他人、一般、、、そういった言葉で家庭を同列のもとみなしてしまう。
さらに、ここでいう家庭に置かれた人々というのは親も含まれる。
色んな常識と、その常識を構成する、恥をかきたくない、立派に思われたいという気持ちが、
それをわかっていて行動しない人々は何をもって立派なのだと言えるのだろうか。
もちろん役割に差はあるだろう。
辛い環境に置かれると疑い深く、攻撃的になるため、せっかく助けてやってるのにあいつらはクズだ、
そう思わされる場面に何度も遭遇する。
それでも恵まれない人間を救えるのは恵まれた人間という事実は変わらない。
その行為が巡り巡って、世情や治安を良くし、自分の子孫の環境にとっても住みやすい環境を作る投資の一つだと知ってほしい。
知らない人間に声をかける恥ずかしさに慣れてほしい。
みせかけだけの立派な人間だけでなく、本当に立派な人間で溢れる世の中になってほしい。
まあそれは俺よりも恵まれてる人らに任せるよ