2016-10-01

人生環境で決まるから

http://anond.hatelabo.jp/20161001021328

この記事を読んで、話題に上がっている自殺した人のブログを読んだ。

人生は本当に運の要素で溢れていると思う。

自分は家庭環境客観的には恵まれていた。

しかし、大学に進学すると上には上がいるもので、もっとまれている人たちもいる。

まれている人間は恵まれて生きていくためのノウハウがある。

すごく簡単なことだったりするんだけど、それを知っているだけで大きな差ができてくる。

だが、そういうノウハウが恵まれていない環境に届くことはほとんどない。

 

虐待にあっている子供がいるとする。

の子自力自分を救うことはまず難しい。

からある程度力を持っている人間が手助けすることでしか、その子は救われない。

 

まれない家庭に置かれた人々がいるとする。

それもまた同じ道理だ。

だが、大人常識他人一般、、、そういった言葉で家庭を同列のもとみなしてしまう。

さらに、ここでいう家庭に置かれた人々というのは親も含まれる。

色んな常識と、その常識構成する、恥をかきたくない、立派に思われたいという気持ちが、

本当は救えるのに救おうとしないという感情掻き立てる

 

不幸を予防するには、恵まれ人間自己犠牲必要だ。

それをわかっていて行動しない人々は何をもって立派なのだと言えるのだろうか。

もちろん役割に差はあるだろう。

辛い環境に置かれると疑い深く、攻撃的になるため、せっかく助けてやってるのにあいつらはクズだ、

そう思わされる場面に何度も遭遇する。

それでも恵まれない人間を救えるのは恵まれ人間という事実は変わらない。

その行為が巡り巡って、世情や治安を良くし、自分の子孫の環境にとっても住みやす環境を作る投資の一つだと知ってほしい。

知らない人間に声をかける恥ずかしさに慣れてほしい。

 

みせかけだけの立派な人間だけでなく、本当に立派な人間で溢れる世の中になってほしい。

 

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん