2015-12-02

のうりんポスター

この騒動も見事に『どれだけ過激な事を言っている敵を見つけるか合戦』になっていて、いつもの風景で悲しい。

私は、今回のポスターは胸が大きいとかはどうでもよく、そのキャラが『恥ずかしがっている』『自主的にそういう格好をしているわけではなさそう』という部分が、違和感を抱かせて、反発を呼んだ理由なんじゃないの?と思う。(そこが違和感を抱いている理由だと気づけてない人も多く、その結果目に留まる巨乳に突っ走ってしまうのかもしれないが、たぶん主理由は表情とかそういう情報だと思う。そういう意味で『地元で受け容れられている』とかそういうのは無関係というか、『地元で受け容れられているからどうしたの?』と思う。)

けど、そういう疑問は『胸を晒す人は自己評価が低いから胸で他人の気を引いている』だとか『巨乳女性批判貧乳女性嫉妬』『二次元に負けた負け犬女の遠吠えだ』みたいなクソの投げ合いにかき消されてしまう。

かき消されてしまうどころか、巻き込まれ巨乳批判している側にカウントされてしまうのだから悲しい。

主体的晒しているように見えるのなら、別に問題はないだろうと私は思うが、そういう見方はどうも受け入れてもらえないらしい。

なんというか、一つ騒動が起こると、特定の対立点で同じようなカテゴリーにいる人の中から極端な意見代表意見に(対立する人によって)選ばれていき、そこを基準にずーっと話が進んでいってしまうのが、あまりにも不毛すぎるというか、そういう話の動きにもう疲れてしまった。

ツイッターとか2ちゃんねる、あるいははてなみたいな簡単に大量の意見を見れるようなところで、大量の意見を見過ぎると、人は基準点がぼやけてしまって、馬鹿になってしまうのではないか、と最近思うようになった。

過激な意見をかき消す機能がこの社会には必要なのだと思う。(過激な抗議をある程度無力化するためにも

その機能でこの私の文章も消されてしまうかもしれないがそれでいいと思う。

そう思うくらいには、知り合いが過激な相手に引っ張られていくのを見るのが疲れた

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん