2015-08-19

認知症にならずに最後を迎えて欲しい

医療従事者や、身近にそうなった人がいて病院に通っていた人なら判るように、老人は簡単に認知症になる。

ヒトのように見え、ヒトのように行動するなら、それはヒトなのだ

でも、認知症は、病気ではなく症状で、治らない。元には戻らない。

そうすると、ヒトに見えるのに、ヒトとして扱えなくなる。

認知症の老人が居たとして、その老人が食事がとれなくなったりする。点滴だけで生かされている。

その老人が生き続けるか死ぬかは、家族が決める。本人にはもう決められないからだ。

老人は簡単に認知症になる。

当然、病院にはとても沢山の認知症の老人が居る。基本的にはある程度の期間で死ぬ

そして、老人本人にとってはどう死ぬ事になっても結局同じだということは、理性では判っている。

もはや自分のことが誰だかもわからない、下手すると目で動くものを追ってるだけ。

そんな老人は、家族が泣いてくれようが、事務的に処理されようが、何の違いもない。

本当に悲惨な独り身の最期

http://anond.hatelabo.jp/20150818220840

ここで書かれていることは、総合病院に老人のお見舞いに行ったことがあれば多少は見聞きするはずだ。

きっとまだ若くて、老人を人間としてみて、同情できる、良い医療従事者なんだろう。

心が壊れないように、折り合いをつけている途中なのだと思う。

お墓の前で泣いてくれる息子がいようが、無縁仏になろうが、死んでしまえば同じだ。

息を引き取る老人の周りに家族が集まる光景を見て、そうなれたら良いなと考える、外からの願望だ。

悲惨だと感じるのは、外から観ている人間であって、本人にとっての悲惨さとは違う。

それだけは、間違えてはいけないし、そこに一線を引かないといけないと思う。

夫婦二人で暮らしていて、妻に先立たれ、あっという間に認知症になって後を追う夫も居る。

その夫は、死ぬ間際は、独り身なのだ

そしてどんなに友人がお見舞いに来ても、認知症になれば、もはや声は届かない。

はいずれ死ぬ。老人は簡単に認知症になる。

PPKなんて単語流行ったのも一昔前だ。人は死ぬ。死に様は大抵選べない。

認知症になる前までの人生を悔いなく生きることが、一番大切なのだと思う。

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