我々は自分をコントロールしたいけれども、いざ自分をコントロールしようとすると、自分をコントロールされたくないという欲求が抵抗してうまくいかない。
そのようなアンビバレントな状況に常日頃から陥りがちです。そんな自分と自分が喧嘩するような状況、相反するペルソナの具有。これを解決するにはどうしたらええんじゃろ。
仏教的には自我への執着を捨てましょう、さあ修行しましょう、ということで簡単にかたがつくのですが、現代人にはなかなかそんなゆとりがないようでございます。
たとえばですね、1日5分や30分の呼吸瞑想で自己の客観視がずいぶんとやりやすくなります。「あっ自分と自分が喧嘩してる」「あっ執着してる」とすぐに気がついてやめられるのです。
たった毎日5分でも気合いを入れて取り組み、継続すれば十分に効果はあるんですが、これがなかなか皆さんやろうとしない。問題の根本原因が自己の客観視の欠如にあることになかなか思い至らないのでしょう。
代わりにやっていることはと言えば、目先の問題や興味にばかり飛びついているのです。一度自己を俯瞰し、諸々の問題に通底する深部を垣間見るような体験をしてしまえば、また違ってくるのですがね。
ともかく多くのばあい客観視には興味がまるでない。客観視して自分の心がどんなふうに働いていて、どういう仕組みで人生や生活の苦しみが生まれているんだろうか。
それが分かれば苦しみが緩和され、色んな問題が解決される、あるいは問題がそもそも問題ではなくなるのではなかろうか?面白そうだぞ!そういう興味がまったくないのですね。
ですから、より多くの人々に瞑想をしてもらうには、瞑想すれば若返りますよ、記憶力アップしますよ、というような薄っぺらいことを言って釣るしかないと思うんです。
だけどまともな指導者はそういうことはなかなかやらないのですね。騙しているみたいじゃからな。結果として、大衆の間にそういう方法が広まらない、一部の人だけに共有されている状況が続いているのでしょう。
ごくごく当たり前でシンプルなことなんですが、何も体験のない人からすれば「むずかしそう」「あやしい」「めんどくさそう」「当たり前のことを難しく言ってるだけ」と映るのは今も昔も変わりません。
仏教を知らなくて瞑想もやってない人は「我慢」と「ストレス発散」という方法でこれを乗り切ります。
そんな雑なやり方ではすぐに限界が訪れるとは思いますが、シビアな環境で生活していない人、高い目標をもたない人、快適な人生を志向しない人はこうした方法でも何とか妥協できる結果が得られるでしょう。