いま、この社会でメガネやコンタクトを使っている人たちは極端に言えば狩りの時代は今で言う「障害者」なわけだったんだよね。視界が鮮明じゃないから、獲物を捕まえることもままならない。
だけど今はそんな人たちにはきちんと矯正するものが与えられていて、社会もそれで困らないようにできている。
だから、障害者の定義なんて社会の有り様ひとつで簡単に変わるし、もっというと社会のあり方でしか決まらない。
歩く必要のない社会なら、車いすユーザーは障害者ではない。音声によるコミュニケーションを必要としない社会ならば、現在の定義での聴覚障害者は存在しなくなるの、わかるかな
一般人の障害(この人はつまり邪魔といいたいのかな)になっているから障害者なのではなくて、社会の側にその人を困難な状況に至らしめる
なにか(これが障害)があるので障害者になっているわけですよ。
「障害者」をなんと呼ぶか、害の字をひらがなにするのかどうか、チャレンジドというのか障害を背負わされたというのか、なんて議論は本質ではない。そもそも障害自体が個人の問題に帰着するものではなくて、社会の問題であると認識すべきだし、言い回しはその次だと思う。
ALSの氷水も、それを云々いってた芸能人も、24時間TVなんかも、みんなが感じる違和感の出処ってきっとここだろう。
こうやって個人の機能の問題にしている限り、これらのストーリーは「頑張る障害者」や「あなたの周りにもいます」とか「自分もいつなるかわからないから」なんていう当事者意識に訴えかけるものにしかならない。
しかし、未だにこんな考えの人がいると知って驚いた。
普通に生活できてる一般人にとってその存在が障害なんだから障害者でいいじゃん
いま、この社会でメガネやコンタクトを使っている人たちは極端に言えば狩りの時代は今で言う「障害者」なわけだったんだよね。視界が鮮明じゃないから、獲物を捕まえることもまま...
狩りの時代ではよく遠くを見るので近視は少ないし、当時もメガネはあったので問題なし メガネ成立以前にも近視はいたが当時の社会環境では生きて行けず淘汰されただろう。 なので...
普通に行きている人も、インフラの力は使っているわけで インフラは国によって与えてもらったものであって、個人で無人島で生活してるわけじゃないだろ。 自分の力で生活出来てるわ...
http://anond.hatelabo.jp/20140901172332 この一言に尽きると思います。人は一人では生きられないのですよ。