2014-01-13

定義」は個人的なものではない 社会科学を駄目にするイケダハヤト

http://www.ikedahayato.com/20140110/2218423.html

この記事に至る経緯として

1. イケダハヤト氏が「区のサイトメールをするのも、立派なロビイングですよ」とツイート

2. 楠正憲氏が「それはロビイングとは言わないのではないか」と指摘

3. イケダハヤト氏は「ではあなたロビイングをなんと定義しているのか」と反論(?)

4. 楠正憲氏は「Wikipedia百科事典を読んでみたらどうだろう」と再反論

という流れがあり、上を踏まえての記事である

氏は「そういうことじゃないんですけどね…」と結んでいる。

色々と問題の多いこの記事だが、この記事の最大の問題点は、氏が個人の解釈定義に優先させていることである

凡そ社会科学の大半の用語は定義と個人の解釈が混同されて、統一された定義がなされてこなかった。

定義の不統一は「役不足」「気の置けない」といった慣用句からモラルハザード」といった学術用語にまで及び、

さらにはハイエクが「自由の条件」で指摘したように、「自由」という言葉に至っては学術レベルでその定義は大きく異なる。

論文を書くにしても、自然科学ならば定理や公式で自明となっているところが

社会科学だとまず定義を明らかにしていくところから始めていかなければならない。

議論の前提としてその場にいる全員が用語を同じ意味認識していること重要であるが、

自然科学の用語と違い、社会科学の用語は定義が人によって大きく異なるため、

議論をするにも論点が合わず有効な議論がなされないことが多かった。

それでも現代においては抽象的な概念はともかく比較的具体的な事象については先人の努力により

ある程度統一された定義がなされ、議論の場が出来上がりつつある。

そしてこの「ロビイング問題」である

氏はロビイングを「区にメールを送ること」と定義づけた。当然辞書にはそのような定義はない。

氏がただの素人ならば間違いを指摘されて終わりである。そもそも間違いを指摘されることすらないだろう。

だが氏はある程度の影響力を持つ人間である。ファンも一定数いる。

彼らがロビイングという言葉を間違えて覚えてしまい、また彼らが社会的にある程度の影響力を

持ちはじめたら、ロビイングという言葉定義はどうなるのだろうか。

そうやって間違えた意味で覚えた言葉を発する人間有益な議論を進めることが出来るのだろうか。

これはロビイングに限ったことではない。

というより、個人の解釈定義に優先させるその姿勢が問題なのである

先達の智恵の集合により確立された知識が個人の勝手解釈によって改竄されようとしているのだ。

または侮辱されていると言い換えてもいい。その現場を私は目撃してしまったのである

氏は、専門的な知識もなく遮二無二「僕の考えた○○」を発表できる立場にはもうない。分からないなら口を噤んで欲しい。

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