2013-06-26

「先達の知恵」か「老害」か

ひとつ仕事を長く続けることの価値は、今だからこそ見直されるべきなのだと思う。

何十年もかけて蓄積された知恵やノウハウに、やはり付け焼き刃の小手先テクニックでは叶わない。

知れば知るほど自分は未熟だと思い知らされる。

そんなベテランカリスマ職人に目をつけられて、もうじき一年になる。

はじめの頃はよかった。普通に人として見られていたと思う。

最近、何か組織で問題が起こると、なぜかわたしの責任にされる。

その問題にわたしは関わっていない、という主張は、信者達によって潰される。

だいたい原因は、その職人が高齢で記憶力が低くなっているために、あのときあれを言った言わないのしょうもない責任のなすりつけ合いだったり、単なる勘違いだったり、それによる連絡の行き違いだったりする。

ずいぶん濡れ衣を着せられた。

根回しが足りなかったのだ、と最近理解した。

先手を打って、いわれなき誹りから身を守れるポジションを確保しておけばよかったのかもしれない。

この人から学んだこともとてもたくさんあって、きっとこれからも、まだまだわたしの知らないことを教えてくれる存在なのだと思う。

が、この理不尽な扱いには内心うんざりしている。

自分仕事ぶりにさほど目立った手落ちがあったことはなく、多分単に性格の相性が悪いのだろう。

しかし、気に食わないならなぜわざわざ自分の流派にわたしを引き抜いたのか。

こうやっていじめ抜くためなのか。

まさかそんな低俗なことをやる人間はそういまいと思っていたが、もしかしたら彼女自身もはっきりと自覚がないままにこういうことをやっているのではないか、そういう自分に疑問を持たない精神の持ち主なのではないか、と最近は思えてならない。

年を取るにつれて自己批判のチャンスは減るし、他者から怒られるチャンスも減る。その成れの果てが、この人なのか、と。

優れた技術豊富経験則に基づいた知恵を持っているがゆえに、追随する者ばかりが増えて批判者が傍らに不在となってしまった人。

幸いというか、別の理由があって転職活動中でもあるし、長くてもあと半年ぐらいのお付き合いにはなるんだろうけど、とにかくうんざりすることばかりで一回整理したくて増田に書いた。

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