2013-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20130315120759

もちろん、女の方にも落ち度が有るってのは自明です。でも、その上で、おあずけを食らってかわいそうな元増田彼氏を批判するのはレイプ加害者呼ばわりだっていうのは何か思考停止してる感じがする。

まだ若いであろう元増田彼氏が、今後も同じようなスタイルで異性とコミュニケーションを取っていくとしたら、おそらく同じような嫌な目に会うことも多いでしょうし、そのたびに女性を責めていて誰が幸せになれるというのでしょうか。信頼に欠ける男として生きづらい人生を歩くのが正義なのか、という話です。

もし、同じシチュエーションで男にちょっかいかけられても嫌がらない女の子が10000人いても1人に満たない状況であれば、女が悪いし単なる事故だし増田彼氏は何も悪くないかもしれませんが、現状必ずしもそうではないという悲しい現実があります

例えて言うならば、イタリア観光地にてお尻のポケットに入れてた財布をスラれた日本人下手人を訴えたら「イタリア観光地で財布を見せびらかす馬鹿を野放しにしている日本は最悪!」とか「イタリア人全員が善人になれるわけじゃない、先進国でもお尻のポケットに財布入れてるような奴は本来盗みに遭ったら自分の方を責めるべき」という意見しか認めず「イタリア観光地だろうが日本だろうが盗みはやっちゃだめだよ」ってたしなめる人に対し「盗まれた方の落ち度は否定するのか! あんたも馬鹿だ!」って責めるようなもんだと思うのです。さらに「日本は最悪!」のところに反応した人が「日本人全員馬鹿呼ばわりかよ!」って怒っている、みたいな状況になってる。

泥棒に油断を怠ってはいけません。でも泥棒をしないようにする自制心を求めるのは悪いことでしょうか。自制心が無い人を批判するのは責められることでしょうか。

どうも、被害者の落ち度について述べていれば加害者の非から目を逸らすことができると思い込んでる人は「正義に反することに対して無力もしくは無防備である人は、正義に反することを肯定していることになる」と考えているように思います。なんでこういう理屈になってしまうのか考えてみたんですが、どうも、日本語では「単にそれに対して無力である」というのと「肯定する」という二つの意味が同じ言葉「認める」になってしまうので、そこを混同している人が多いんじゃないかなと思いました。「現実デートレイプされたと感じてしま女性が少なから存在することを知り自制を求める」それと「デートレイプに無防備な女性放置する」のとはまったく別ものです。でも「デートレイプだと感じる女性が少なくないことは認めた方がいい」って言ってしまうと両方の意味になってしまうわけです。

  • http://anond.hatelabo.jp/20130315120759 を書いた元増田ですが、脊髄反射の下手な改変が気持ち悪いし意味不明になっちゃってるので、逆バージョン書いてみますね。 確かに増田も不注意だった...

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