2011-04-22

自分の知る、ある「自分探し」について。

その人を、ひとまずAとしておこう。女性だ。彼女は悪い人間はないのだが、なにをやらせても水準に達しない人間だった。というより、現実は、この表現でもなまぬるい。

2つばかり、具体例を出す。「名前さえ書けば合格させてもらえる、と評判の、偏差値30台、三流以下の短大を、3個ばかり不合格になる」「バイトを3件連続、2日でクビ(実質1日しか働いていない。2日目に行くと、「あなたはもう来なくていい」といわれたらしい)」こういうかんじに、なにをやらせても社会適応できないタイプ人間である

そこまでは、しかたがないと思う。一種の障害として受け入れるしかない(邪推しかないけど、実際、障害なんでしょう。その手の判断はもらってないらしいけど、どちらかといえば、その手の相談を親サイドが功名に避けた節が見られる)。社会のふところは狭いから是認されるまで厖大な時間がかかるだろうけど、それは乗り越えるしかない現実だと、正面から見据えるしかない。

ところが、彼女の親は、「Aがなにをやってもできない」人間であることを認められなかった。なにか才能があるのだと信じた。彼女に様々な「習い事」をさせた。Aは親に反抗するなんて思いもよらない人間だったので(思春期がまったく反抗をしめさない。この時点で、ほんとうおかしいと思う)辛抱強くすべてにトライした

彼女自身も信じたかったんだろう。なにかひとつぐらい、できるはずだと。

けれど、Aはなひとつ結果を残せなかった。ほんとうに、なにひとつ。あるひとつ世界での平均にとどくことすらできなかった。料理教室に通ったのに、自分の食事も作れるようになれなかった。

ここでの一番の問題は、彼女が(そして、彼女管理する親が)「ある何かができないと感じた途端、すぐにそれを抛棄、次の『習い事』に乗り換えた」ことではないか

つまり、彼女の親は、それさえあれば一発逆転できる、宝くじの一等賞のような才能がいつか我が子を救ってくれるという幻想から抜け出せなかった。それを追い求めすぎるあまり、我が子に、腰を据えて取り組むことを教えなかった。

料理教室の問題だって、そう。「自分の食事も作れるようになれなかった」じゃねえよ。

それを当面の目標として設定し、完遂までは、なにがなんでもしぶとく食い付いていくべきだったのではないか。どれだけ時間を掛けてもいいから、なにかを完成させた、という達成感を教えるほうが先決だったんじゃなかろうか。

努力もせずある日突然ひらける才能なんて、所詮幻想だ。今更声を大にするまでもないリアル。が、

そうして、Aは20歳を迎える。習い事けが、増えていく。趣味はなく、好きでやってるのではなく、親に言われたからひとまず手を染めてみた、という「習い事」の数だけを積み重ねる。

それが、Aの自分探しだ。

いったいいつまで、自分探しをつづけるのだろう。彼女は。いったい何になるのだろう。

その後、私とAは付き合いを断った。残念ながら現在彼女の様子を知ることは出来ない。

  • 実らなかった恋に意味がないわけはなく、然りとて成就するまで挑戦し続けるためには時間遡行の能力でも身に付けないとダメな場合もあり。 しかしながら。それら含めて失敗はすべて...

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