2016-11-15

子どもたちを「読める」ようにしたいなら、ゆっくり音読させよ

AI研究者が問う ロボット文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20161114-00064079/

この記事について思ったことを述べますメモ書きなので読みにくいと思いますすみません

ーーー

最初から「読める」人はいない。幼児はまったく読めない状態からスタートして、徐々に「目の前の状況」と「言葉の音」をつなぎ合わせていく。

このとき重要なのは読めているかどうかではなく、現実世界とうまくやっていけているかどうかだ。つまり現実世界との折り合いがつけられれば、それで十分だということ。

いま発生している問題は、現代社会の一部で「深いレベル」まで読み込むことを要求されていること。端的に言えば、頭を使わないといけない仕事が増えた。

記事中の例題2とか、実際に口頭で言われたら「ゴチャゴチャ難しいことを言うな」と言われるレベルだろう。聞き手が「怒らせるためにわざと言っているのか?」と思っても仕方ない。パッと言われて判断できるレベルを超えているのだ。

しかし、これらは話し言葉であれば「ゴチャゴチャ言うな」勢が優勢になるが、書き言葉になると途端に「読みが浅い」勢が優勢になる。

そうなる理由は求められている前提が違うからである。話し言葉では処理スピードが求められ、書き言葉では処理レベル(深さ)が求められる。つまり書き言葉ではスピードを落とす必要があるのである

ここから個人的意見だが、言葉が読めない人の多くは、スピードを落とせない人が多いのではないかと思う。さっと読んで、すばやく解を出す、その癖がついてしまっているというわけ。

から、読みが浅い人たちへの対処としては、スピード重視をやめさせることが重要になる。そのための有効な策は、問題文をゆっくり何度も音読させることである。これは話し言葉世界でもスピードを落としてよいと認識させるアプローチである

あと生活習慣でいえば「急いで!はやく!」とせかす回数以上に、「ゆっくりでいいよ、慌てないでいいよ」と言うことだ。

そういう意味で言えば、時間制限のあるテストで、深く読めという指示を出すこと自体が「自分はできるんだからお前もできるはずだ」というマッチョ思想だろう。

しかも、人間勝手なモノである。読みが浅ければ、「読めていない」ことをあげつらうが、一方で読み過ぎたら読み過ぎたで「考えすぎ」と非難する。

結局はバランス問題しかないものを、正解があるように扱うのは、それに合致しない人たちの人間らしさを否定するようなものだということは肝に銘じておきたい。

  • 学校で習う数学も、キーワードを拾って公式に当てはめる、公式を組み合わせるなどのパターン化された作業。 解法暗記して、そのパターンをいくつ増やせるかが勝負だからね。 授業で...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん