「吉村貫一郎」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 吉村貫一郎とは

2023-07-23

コミック版「壬生義士伝」(追記)

これは凄い。凄い。(大事なことは2回言うスタイル)

俺の中の燃え尽きたと思われた熱情を呼び覚まして、涙と共に、俺の中にまた何かを灯した。ありがとうながやす巧ありがとう浅田次郎

ながやす巧は、20年かけてコミック化したんだ。コミックが売れなくて、貯金がなくなってもコミック化を諦めなかったんだよ!(あとがきから受け売り)

20年の間、連載誌を替えながら、転々として話を紡いできたんだよ!きっと、その中には、人に言えぬような屈辱と、そしてそれを助ける周りからの助けもあった筈だ!その歩みが!その熱情が!その執念が!俺には、最後に石を割って故郷に花を咲かせた吉村貫一郎生き様と重ならないでいられようか!?

ながやす巧貯金を増やすめにもみんな買って読もうな!

(追記)

実はかなり以前に、原作浅田次郎小説版壬生義士伝」を買っていて、恥ずかしながら小説版の方は途中で脱落していたので、改めて少しずつ読み比べている。

当時小説版を読み進めていた時にも思ったのだが、小説版コミック版とで、登場人物の語り口が一致している。これは、ながやす巧原作に対して寄せているリスペクトによるものだと思う。浅田次郎あとがきで「劇画版では原作から一語一句変更されていない」と書いているが、これはウソ(笑)それなりに落とされてしまっている表現もある。一方で、コミック化にあたって、追加されている表現もあり、それが読み手に感動を与える効果を生み出している。

最終巻で、次男記者に対して握り飯を勧めるシーンがある。ここは、小説版では、「おや、お口に合いませんでしたかな」という表現もが入るのみだが、コミック版では、父貫一郎が死に際して握り飯を与えられ、それを口にすることなくこの世を去っていったシーンが記者の回想として描かれている。このくだりの表現は、コミック作者としてのさだやす巧が浅田次郎世界を魂のレベルで深く理解し、それをコミックからこそ可能な形として描き出すという、異次元イタコ芸ともいえる凄味のある場面と言えるとおもう。

2020-11-01

歌うまは正義?いや時に邪魔だなあ

かくいう自分も歌うまは正義というフレーズを使ったこともあるけども。だいきほのFNSを見た人が実観劇してみたいと言ったときに使った。

あ、ショー。ショーだと、歌うまは確かに正義かもしれん。(でもそうだとしても歌うまは正義って言葉原理主義みたいで最近抵抗感出てきた。)

芝居(ミュージカル)だと歌うまは時に邪魔だなあと思う

RENT。出てくる登場人物みんなこんな歌がうまいって実生活で有りうるか歌手パフォーマー弁護士大学教授が同じぐらい歌うまいけど(最高だ)

ひかりふる路は気にならなかったかな。凱旋門ファントムはひとまず置いといて、壬生ワンス。もう、吉村貫一郎ヌードルスも、歌で身を立てちゃえばいいじゃん、て思ってしまう。ギャングなんてやめてデボラと一緒にショービジネス世界に飛び込んじゃえばいいじゃん、って思ってしまううまさ笑。源太もか。

ファントムみたいな、歌がうまいという役柄であればありがとう😊


歌唱じゃなく、逃げてなく、気持ちが入ってる歌。歌を歌ってるんじゃなくて、魂が漏れてるような。轟さんの凱旋門はそう思った。あー、ラヴィックはええ男やしお医者さまだし、でもお歌はあまり得意じゃなかったのね、という説得力

あと、組曲虐殺を観たときもそう思った。

とは言え、井上芳雄うまい〜て思って満足だったし、小曽根さんの音楽も素敵だった。凱旋門も、ボリスジョアンありがとう😊だしなー。塩梅はむずかしい

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん