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2023-07-13

なぜ火サスは火曜の夜2時間サスペンスだったのか

月曜のりきって火曜平日になれてきた夜になぜこんなテンプレサスペンスがよさそうだ!ってなったのか

ルーチンって意味でありふれたサスペンスドラマってことなのか

そもそも平日の火曜の夜に2時間も、映画と違って出来のよしあしもわからないドラマをそんなに見る人間がいたのか

ウィキペディア

番組初期のプロデューサーだった小坂敬は「哀しくなければサスペンスじゃない」が最初のコンセプトであるとして、「単なる謎解きに終始せず、きっちりとした人間ドラマを作ろう」ということで、登場人物はみんな何か重いものを背負っていることをじっくり描くことが最大のテーマだったと話している[1]。

第1回放送は、島田陽子主演の「球形の荒野」(松本清張原作)。1980年代は、松本清張作品などの日本推理作家海外ミステリーなどを原作として、ベテランスタッフ映像化する重厚作品が多く、全盛期には視聴率もしばしば25%を超える人気を誇った。日本テレビにとっては、1980年に放映の始まったよみうりテレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』に次ぐ2時間ドラマ枠であり、1988年からさらに『水曜グランドロマン』を設けるなど、日本テレビ系列では2時間ドラマ枠が多くなったが、『火曜サスペンス劇場』はその中核であり、最も息の長い枠となった。1990年代以降は、主に50歳代から60歳代の女性視聴者に絞り定番シリーズ放送する安定路線が敷かれた[要出典]。特に1990年代は、日本テレビの視聴率全国的好調になっていた年代でもあり、日本テレビのドラマ枠としては、最も高い視聴率殆どの回で記録しており、ドラマ視聴率ランキングの上位にもしばしば食い込んでいた。

この番組の開始によって、『木曜ゴールデンドラマ』が、読売テレビ一社制作に変更された(それまでは、日本テレビと読売テレビが交互に制作していた)。また、札幌テレビ放送テレビ岩手福岡放送といった系列局が制作することがあったり、系列局の地元の“お国自慢”などに絡んだ作品制作されたこともある。

また、大林宣彦神代辰巳鈴木清順実相寺昭雄劇場映画で名声を博している旬の監督たちを起用して演出家主導の意欲作を撮らせる試みもしばしば行われた。その結果、難解なストーリー前衛演出も辞さず、2時間ドラマのみならずテレビドラマの枠をも破るような作品群が少数ながら生まれている。

番組スタッフロールは、当初は「最後に『制作製作):日本テレビ、(担当制作プロダクション)』」とクレジット表記されており、1985年4月以降は、「最初に『制作日本テレビ』、最後に『製作著作:(担当制作プロダクション)』」当とクレジット表記されていた(同時に日本テレビ製作番組製作から製作著作表記が代わった)。当枠終了後、日本テレビは製作プロダクションとの制作打ち切り関係も絶縁し、視聴者層を若年層に絞った路線に変更した。

一時期は視聴率20%を超えることもあったが、2000年代に入ってから視聴率低下に歯止めがかからず、2005年9月27日放送をもってを24年間の歴史に幕を閉じた。最終回放送内容は火サス最多出演俳優水谷豊主演の「事件記者三上雄太III 逃走援助」で、放送時刻は19時からの3時間特番により通常より1時間遅い22時 - 23時54分であった。

からなかったこ

なぜ火曜の夜だったのか。

たぶん始まったときがそうだったからってだけなんだろう

 
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