2020-05-20

コロナ疎開

所属する会社コロナ対策に素早くて、3月上旬からずっとリモートワークだった。

3月中の生活

朝 :子供保育園に預け、自宅にトンボ帰り

午前:仕事

昼 :店でランチ帰宅して夕食の仕込み

午後:仕事

夕方:定時前にサボタージュ保育園にお迎え

夜 :家事育児、就寝

通勤不要恩恵謳歌していた。

しかし、3月末に、政府緊急事態宣言を発令するだのしないだので事態急変。

我が家流行りの住職近接を実践しており、会社は徒歩圏だ。しかし、家は狭い、古い、高いの三拍子揃ったジャパニーズウサギ小屋

子供の遊びは公園児童館。家は食事睡眠だけ。家事家電課金して物理で殴れ。こんまり最強と割きっていた。

そんな状態で、非常事態宣言保育園休園になったら、仕事子供邪魔され、ストレスから家庭内が険悪になるのは目に見えていた。

迷うことなく、非国民の謗りを受ける覚悟疎開スタートコンクリートジャングルから限界集落一歩手前の実家へ。

老親だけで暮らす実家は広い。1階は車庫と農作業場、2階は生活空間、3階は使用者のいない子供部屋。そして離れの倉庫。かつては酒を密造していたらしい。この広大な空間に3人ばかりが増えても何のことはない。

そして家に潜む沢山のモノ。それは、私が昔遊んでいた汽車飛行機トラックオモチャだったり、小学校の教材だったり、五月人形だったり。今の自分なら間違いなく断捨離しているモノたちが、子供達に娯楽を与えている。

さらに家の周囲は、山の裾野まで広がる田畑に囲まれている。仕事息抜きがてらに少し家から出ても、他者との濃厚接触や3密など望むべくもない。まあ、疎開者に厳しい目を向けられているのは感じるが。

しかし、これらの環境は老親による維持の賜物である長男の私をはじめ、兄弟全員が都会を選んだ我々は、早晩訪れる親の死によりこれらを失う訳である

田舎を出た時点で取るに足らないと切り捨てたはずの価値を今、見せつけられている。

私は、何もない、閉鎖的で、陰険風土田舎を憎んで、都会に出たのではなかったのか?そして良い学歴、良い職歴を得るために努力したのではないのか?

しかし、僅かばかりに高い給与を得るために、狭小で閉鎖された都会にひしめき合い、消費を強要されながら生きている。

コロナが終息した後には快適で便利な都会は戻ってくるのだろうか?

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