最近、「わたしは今まで家庭内での役割に則って生きてたのだな」、と思うようになった。
この会社に就職したのは、パソコンを触るのが楽しかったので情報系に進みたい。家族がそういう仕事をしていて憧れた、などと思っていたから。
スペックは20代後半、総合職で技術よりの仕事。所謂ホワイトな会社。
なんなら、情報系が勉強したいと理系学部に進んだ頃から、違和感があった。
勉強を全くやる気になれず、なんだか苦痛でしょうがないのだ。まるで興味のないことをやらされているような、そういう状態。やる気はないし知識もないのでびくつく感じで日々を生きてた。
今思うと、熱中できるほどは志望してなくて、この分野に進学しておけば父親がうるさくないからという理由のほうが多かった。
つまり、在籍していることでその目的は達成されていたのだと思う。入学してじゃあ何やるか、があまり強くなかった。
就職もそうだったんだろう。
父が納得する就職をしてポストを得ることで、父親に「自分は父親としていい仕事した」と、思わせることができた。
だから、勤務し始めてやる気もない、知識もない自分は当たり前なのだが(大学からの積み重ねもないので知識ゼロだし、自分の目的が達成されたからやる気もない)。。。
今まで、自分は「そこ(親に文句言われない)」を目的にして生きてきた、その事実に気づいてなかったわたしは、クソ真面目にもご丁寧に、イチイチ情けなさを感じてた。
折角志望して入ったところなのに、何にもできないなんて。。うっ。。。みたいな。
なんでそんな役割担ってたんだろ?と思うと、姉とのバランスかなーと思う。
姉は、好きなように生きて父母をよく心配させた。大学選び、就職活動などなど。挙句、同棲と結婚も身内への根回し足らずでやや父母の反感を買ってたし。
そんな中でわたしは、姉のようにはならないことでバランスを取ることを選んだのだと思う。父側の意向に沿うようにし、母とも仲良くし安心させる。家庭の不和は起こさない。
姉には甘えて感謝することで、姉としての居場所を奪わないようにしてきたのだった。
あのパーティーメンバーではそういう立ち回りをすることがクエストを周る(社会で家族として生きること)のに必要だったんだなー。
いい子に育てると犯罪者になります、 って言う本が思い浮かんだ。