ワンパンマンのサイタマに対してこうあって欲しいという思いが見る人ごとに異なっている。
俺のサイタマは最強だが日常を逸脱することができず、就活という変化すら許されなかった男だ。
ヒーロー活動に本来の自分を取り戻したように見えて、実は3歩後退したまま突き抜けてしまったように見える。
ずば抜けた力を認められるわけでもなく、ただ日常が過ぎていく。
一方で村田版サイタマはコミュ力が高く、好奇心旺盛で、己の力を試し、誇示し、世界に影響を与えたいと願っている。だからその他大勢の主張には深い信念がこもっており、それを理解した上でぶっ壊す所に面白さの重点を置いている。
ONE版サイタマは世界のルールを理解できない。だからその他大勢の正論が的を外しているように描く。サイタマは真剣に相手のルールを理解しようと試みるも、いつもすれ違ったまま勝負がつく。そこに笑いの重点を置いている。
俺が見たサイタマと、そこから弱虫ペダルの小野田と僕のヒーローアカデミアの緑谷が進む道を重ねて見れば
強大な力を持ちながら一番大切なものをことごとく守れていない共通点を見出すことができる。
彼らは本来一番大切であったであろうもの(髪の毛、アニ研、生まれつきの個性)に救いが無い。
物語の構造的に異世界転生して無双するパターンに類似している。
だから俺は誰にも憧れることができず、ただただ救われてほしいと祈るばかりなのである。
村田はよく自分の限界とどう向き合うかというテーマを描いている気がする。
努力と根性で好きなだけインフレできる少年漫画でやる内容じゃねえなと思いつつも俺自身そのテーマは大好きだ。
結局は気持ちの問題で解決するしかないのかもしれないけれど、読み手に生きる希望を考えさせるきっかけになる。
そういう状態になるために一回死んで異世界転生すればいいよっていう救いを物語は与えてくれる。
そうではない結末を見せるために、