日本でなぜ、ゼロ1が生まれないのか?単純に、その仕事量をわかっていないからだと思う。
ゼロイチの仕事量を、100ぐらいだと思って舐めているので、ゼロイチの人間にあれもこれもそれもしてくれと要求ばかりをなげて、してくれないとがっかりするのだ。
期待に応えてくれないと、私は何もやりません、協力しません、あなたの側は、それぐらいできて当然でしょう、というスタンス。
ゼロイチなんて、100ぐらいの仕事量なのだからと…つまり見る目がないのだ。
今まではアメリカの成功例を真似てばかりいたから、誰も知らないのは無理もないと思う。
そして、実際の仕事量は想像を遥かに超える、10000000000000000000000000000ぐらいの仕事量なのだ。サハラ砂漠を実際に地図もなしに横断してみるようなもので、最初に思っていたよりも難しいことがわかる。でも、サハラ砂漠に行く前は、これぐらい行ける!と思うのだ。
具体的な仕事量を延べると、
何も無いところからの基礎研究と(大学で研究の前例も学科も学問もなければ、大学にもない、さらにもっと基礎レベルになる。大学が後からついてくる)、そして、発明して開発を行い、特許などを取り、顧客に売り込む営業を行い、仲間を作る。ゼロイチ研究、開発、特許、商品化、顧客に売り込み、仲間さがし、を全部行わないといけない。他にも会計や法律、営業、すべてを一人にさせているのだ。負担を一人に押し付けているのだ。
誰ひとり、あなたの仕事は、もうそれぐらいでいいよ、ありがとう、とは言わない、これもしろあれもしろ、もっとくれもっとくれもっとしてしてくれ、くれくれくれ、しか言わないのだ。要求は青天井だ。
おまけに保守派からの反対勢力、メディアの風評被害、大衆の妬みによる足の引っ張り、暴言を吐き、邪魔をして、開発を盗み、人災の被害も尋常ではない。
体を壊しながら、100000000000000000000000000の仕事をして、手伝いもしない承認欲がやたら強い妬みにかられた国民のために、働いているのだ。
日本の起業は簡単、地方の起業は簡単、というけれど、もし上手くいったらそう言われる。簡単だったから成功したと。
ほとんどの人間は、ものを見る目がない。目に見えるものは分からない、想像力が無いのだ。相手の状況がまるで分からない。
暴言を吐きまくっているだけで、なにもしてこなかった人々は、
これから、暴言を吐きまくって足を引っ張ってきたリーダーに助けられるのだ。