「なぜ数学を勉強しなければならないのか」と訊かれたら、「論理的思考力を身に付けるため」と答えることにしている。
論理的思考力とは、小さなロジックを積み重ねることでひとつの大きな結論を導き出す力のことだ。物事を筋道立てて考える能力、と言い換えてもいい。
たとえば以下の問題を考えてみる。
これは東大の入試で実際に出題された問題だ。そう聞くとすさまじい難問のように思うかもしれないが、実際は「円に内接する正多角形の周の長さよりも円周のほうが必ず長い」という気付きさえあれば、驚くほど簡単に解けてしまう。
Ⅰ.「直径×円周率=円周の長さ」なので、円周率とは直径が1の円周の長さに等しい。
Ⅱ.直径が1の円に内接する正八角形の周の長さは、円周(=円周率)より小さい。
Ⅲ.正八角形は頂角が45°の二等辺三角形8個に切り分けることができる。
Ⅳ.頂角が45°かつその左右の辺の長さが1の二等辺三角形は、底辺の長さを計算で求めることができる。
ここまで来れば、あとは余弦定理を使ってルートの計算をすれば良い。高一レベルの内容だ。
ここで重要なのは解法そのものではない。解体したひとつひとつの項目が、どれも基礎的で容易なものであるという事実だ。高校数学の簡単な知識のいくつかを正しい順序で組み合わせるだけで、円周率が(およそ3などではなく)3.05以上であるという大きな命題を証明できるのだ。とすればつまり、数学の本質は「正しい順序で組み合わせる」というその一点にこそ存在している。
教育における数学は、「正しい順序で組み合わせる」方法を身につけるために行われるものだと私は考えている。それがすなわち論理的思考力であり、その絶大な威力が発揮される分野はもちろん数学にとどまらない。たとえばプログラミングなどはまさしくロジックを重ねる力が直接的に影響するし、機械製品を開発する際にもスムーズな設計ができるだろう。
そして最も密接に論理的思考力と関わっているものこそが、文章力なのだ。
文法はあっているはずなのに、どこか読みにくい、意味のよくわからない文章になっている。そんな場合、理由の大半はロジックの繋がりが崩壊していることにある。先ほどの証明問題で、解答文にⅡの要素が抜けていたらどうだろう。「どうしていきなり正八角形が出てくるんだ?」と誰もが思うはずだ。それと同様の事態が、文章内にも発生している。しかし論理的思考力がなければ、それに気づくことすらできない。
というわけで、文章が上手くなりたいのであれば数学を勉強すると良い。まあこれは流石に強引な結論かもしれないが、実際、論理的思考力は社会でのあらゆる場面で直接的・間接的に役に立つ万能の能力なので身に付けておくと非常に便利である。私など、それだけで生き抜いているような気さえする。
参考になります。 良い参考書があれば、 おしえてください。
というわけで、文章が上手くなりたいのであれば数学を勉強すると良い。まあこれは流石に強引な結論かもしれないが、 自分でも書いてるように論理の飛躍もはなはだしい結論だな ...
概ね納得できる内容だけど、「上手な文章」というよりは「ぶれのない文章」と言うべきかな。 論理的構成力は数ある文章技術の一つでしかないし、あえてロジカルに書かない方が人の...
「論理的な文章の書き方」なんて本は飽きるほど世に溢れているから、そっち読んだ方がはやいよ そもそもこの文も主題は「論理的思考力を養うには数学を学べ」なのか「数学を学べば...