スマナサーラ長老は「個人的な悩みは慈悲の瞑想で(解決へ向かう)」と言っている。
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/02/20/050000
本当にそうだろうか。私はこの2ヶ月たまたま暇を見つけては慈悲の瞑想をしていた。悩みを解決するというより瞑想そのものに興味があったためだが、2ヶ月前と現在の状況を確認し、慈悲の瞑想の実践をしていた私の個人的悩みが減っているのか増えているのか確認してみたい。
ただし私は仏教を信じており、書くにあたっては大きく私の主観が入るだろうことをあらかじめ言っておく。
私は24歳。2ヶ月前、私は無職で、仕事を探していたがなかなか決まらずに悩んでいた。無職であれば同居する家族も私のことを単なる穀潰しとしかみない。喧嘩も絶えず、自分が情けないやら悲しいやらで辛いわ、それでも誰かに相談することもできないわで悩んでいた。
以下悩んでいたことを列挙する。
・同居の家族とうまくいかないこと
・将来なにをすればいいのかわからないこと
・お金がないこと(家族とうまくいってないのに家族に援助してもらうのが辛かった)
・なんでも話せるような友人がほしいこと
その他の悩み
・太ってきていること
・禿げつつあること
・不細工
・無能
一ヶ月前に仕事が決まった。その手の経験がないと入社するのは難しい会社だったがたまたまプログラミング以外の点が評価されて採用された。ただ、いざ始めてみると意外にも私はプログラミングが得意だったようでトレーニングではいい結果を残し、今のところ上司は評価してくれている。人間的にも優しい人ばかり在籍している。
以下解決あるいは改善した点
・仕事が見つかった
・うまくいっていなかった家族とは別居することになった
・お金は依然足りないが以前よりずっと良くなった
・不細工なのは変わらないが服装や髪型は清潔感のあるものになった
・性格は悪いままだが慈悲の瞑想を頻繁にするので怒りが長期間継続する事はなくなった。怒りを感じること自体も減った。
・相変わらず無能だが他人から評価されることで自身がつき、マナーや接客的な自分の苦手な部分も多少できるようになった。
解決していない点
・やっぱり太ってきている
・やっぱり禿げつつある
・友人と連絡を取り合うようになったけどもっと頻繁に話したい
・嫉妬深さは変わらない(意識的に嫉妬しないようにしてはいる)
新たな悩み
少なくとも私のここ2ヶ月で言えば悩みは大きく減っている。新たな悩みも以前のものと比べればそれほど深刻ではない。慈悲の瞑想のおかげであると断定的には言えないが私が直近の2ヶ月で慈悲の瞑想をしたことと同時期に悩みが大きく減ったのは事実である。