はじめに、桜宮高校による過度の体罰によって亡くなられた方には、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
また、トラウマとなるような体罰を受けたことのある方々にも、深くお詫び申し上げます。
その中で、「何を言っても本当に言うことをきかない生徒」を何人か目にしました。
こう言うと、「言ってもきかないのは、教師の力量不足だ」と言われそうですね。
その通りです。異論はありません。多くの教師は、間違いなく力量不足です。
よく言われる、「社会に出たことも無いのに”先生”ぶってる」のが大半の教師ですから。
そもそも、1対40という圧倒的数的不利状況、多数の事務作業、、、この先は本意では無いので、止めておきます。
どうしても変な方向に生える歯があるから、正しい方向に矯正する。
どうしても言うことをきかない生徒がいるから、正しい方向に矯正する。
でも、正しいって何でしょう。誰にとって、正しいのか。
ところで、日本社会の新卒信仰に対する異常さは、様々なところで耳にします。
それについての是非は今は置いておきますが、そこには「新人の矯正」という観点が見え隠れしているように思います。
日本人は、どうやら規格通りの、正しい製品を作るのにかけては、ほぼ世界一のようです。
ただ、それが得意すぎて、どうやら人間に対しても―学生であれ、新入社員であれ―規格にはめようとする傾向がありそうです。
日本人の、人間に対する考え方―教育方針―が「そのまま」である限りは、正しく矯正するために、体罰は必要でしょう。
規格に収まってもらわないと、困ることがあるからです。あなたが歯や骨盤にするように。
日本人が、もう少し多様性を認められるようになれば良いな、と思います。
もちろん、他人に過度の迷惑や危害を加えるのは論外です。
また、「自由」と「放縦」は違います。これについては、多くを書かなくても大丈夫でしょう。
多様性を認めるとは、「ありのままを認めること」だと思います。
そう言うと、「子供が努力しなくなる」という声も聞こえてきそうです。
僕は学生時代は、勉強(特に英語と化学)は得意な方で、大して自慢にはなりませんが、その2つは偏差値が70を切ったことはありません。
それだけの勉強も、毎日のようにしていました。でも、それを努力だなんて思ったことはありません。むしろ楽しかったです。
薔薇に向かって、「おいコラ、お前も紫陽花みたいな綺麗な青色を咲かせられるよう努力しろよ」という人がいるでしょうか。
もしいたとしたら、薔薇にとってはとんでもない苦痛でしょう。それこそ遺伝子操作をしてもらうしか無いわけです。
「おい、お前も立派な赤色を咲かせられるよう、頑張れよ」と言えば、本人(本花)は自ら喜んで精進するでしょう。
それが、「自分のまま」だと知っているから。認めてくれて、嬉しいから。
もう少し、もう少しで良いんです。
そして、それを―教育の場でも、会社でも、普段の生活でも―他者に展開する。
そういったことができれば、良いな、と思ったりもします。
「日本人が、多様性を認めない民族」だと何の根拠もなく思い込んでる貴方が、「他人のありのままの姿」なんて認められるとは到底思えない。