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はてなキーワード: 精神力とは

2024-05-31

anond:20240531190231

「失敗したら誰も助けてくれないかも」程度の不安で行動をやめるやつが

イノベーションを起こす胆力があるのかというとない

そもそもイノベーションって誰に認められなくても突っ走る精神力先見の明と才能がないとダメじゃん

 

なんでイノベーション起こす人間と、失敗の不安で行動を起こさなくなるメンタル弱弱人間

同一人物ってことになってるの?

まっすーの中では一致するの?

 

いわゆる成功者なんて心身ともにタフなゴリラサイコパスばっかりなのに?

 

そもそも不安なやつって一つの不安取り除いたって次から次に不安になるから成功に至るには精神力を試される試練ばっかだし。そんな生やさしい話じゃないし。

 

なんも無い主人公がいきなり成功するような

漫画の読みすぎじゃない?

あれは金儲けのためにああいストーリーにしてるだけだよ?

    まずお前が馬鹿であることを証明するために様々な専門知識を集めて、その次に理由構成しなければならないと思う。民事訴訟法規定は他の法律もそうであるが、一般

  精神文言があるというが、判例によっては、精神ではなく、目的であると書いている場合もある。立法技術にあたるので、しかし、民訴法82条1項がどのような技術によって出来ているか

   といっても、そういうことを解説している本は、コメンタールとか霞が関書籍いかないとインターネット検索したくらいでは書いてないので調べようがない。個別の条文の技術裏付け

  ないような状況で、誰がそれを使うのか。数学では、証明の途中に出て来る補題、有名な教科書定理には簡単証明がついている。

      哲学では、知能、精神力を使うことで円滑に計算する、もしくは、小さい問題から次第に解決して、理想とする大きな問題解決しなければならない。しかし、3階のぶちんぶちんが

 合鍵をもっているか消防士器具を使って部屋に入ってくる、寝ている間に人工知能無線強制的に夢をみさせられるという偽計に対しては、一般人は、有形力でこれを排除できないし、

   現に排除できていないのであるから暴力威迫にわたらない警察官公務に対する威力業務妨害は成立しない、という、昭和62年最高裁決定は、もりわきのままが、マンションの6階から

  行う、人工知能無線を用いた偽計業務妨害場合には、その趣旨が及ばないというべきである。よって、もりわきのままが、マンションの6階から無線インターネットへの書き込みを用いて

  行う偽計に対しては、平成12年最高裁決定等がいうところの、警察官公務に対しては業務妨害罪の適用はない、という解釈は及ばないというべきである。よって、本件のもりわきらがしている

   人工知能を背景とした、インターネットへの書き込みによる偽計に対しては、刑法233条の偽計業務妨害罪が成立する。

2024-05-29

anond:20240529234204

皆勤賞ってもらって親に褒められて嬉しい、っていう成功体験用の賞なんだ。

勉強もそこそこ、運動もそこそこ、褒められることは何もない。

けれど、「学校いきたくないな〜」みたいな時でも行ける精神を持っているっていう精神力を褒めたもの

 

でも、それだけが成功体験になると増田みたいに「休むことはいけないこと」と結びつけてしまう。

皆勤賞ってそうじゃないんだ。

根気強く粘り強く目標に向かうことができるんだ、っていう成功体験なんだ。

 

から「休んではいけない」ではなく「計画通りに体調管理をしてリフレッシュして目標達成を目指せる」ことを誇りにして頑張れ。

2024-05-23

anond:20240523015535

ゲームでのダメージってのは傷をダイレクトに受けているわけではなく、傷を受けないバリア精神力やらスタミナやらを消費して張っているんだぞ。

からたくさんダメージ食らうとお腹が減ったりする一方、見た目的には特に変化はないということになる。

2024-05-21

社会高齢者基準になっていくよね

これが高齢化社会の怖さなんだなってようやく気づいたよ

年寄り向け社会の中で生きていかなくちゃいけない

高齢者の体力、高齢者判断力高齢者精神力に合わせて俺たちも生きていかなくちゃいけない

退屈だ

退屈でつまらない人間にみんななっていくね

2024-05-13

anond:20240512200705

これできるのってホワイト大企業に務めてるだけじゃできなくて

子供が健常者でかつ健康であること

自身健康かつ体力精神力があること、つわりも酷くなく、産後状態が良い事が前提だよね


あとちょっとでもできないことがあるとそれをゆるしてもらえない

知識技術だけじゃダメコミュニケーション能力もだしマネジメント能力も全部あって、子供のために仕事を休んでいい になる

どれか欠けると〜も満足にできないのに仕事に穴開けるんじゃない、〜もできないのに子供も育てるなんてキャパオーバーでしょと言われる

他の人は仕事休まない代わりにどこか穴があっても許されやす

2024-05-11

非オタクの方が魅力的な人が多いと気付いてしまった

ありもしない世界に逃げ込み、存在しないキャラクターに向き合い続ける人生でいいのか。オタ活が単なる不毛現実逃避であり、更に非オタクの方が魅力的な人が多いと気付いてしまった。

当たり前だが、現実から逃げず様々なことに向き合い続けてきた人の方が人間性が良くなりあらゆる能力が高くなる。

目の前のことに向き合う誠実さや精神力問題解決能力コミュ力が育つ。それに伴い、経験値知識や知恵も溜まる。必然的に、非オタクの方が頭と性格が良くて健全メンタルを持った人が多くなる。

(タバコや酒や異性等の別のものに逃げてきた奴はやってることはオタクと同じだから論外)

対して、オタク人生の役に立たないアニメ漫画知識、虚学の知識でみっともなくマウントを取る始末。それが一般社会から見てどれだけ恥ずかしいことなのか気付いてすらいない幼稚な人が多い。

また、現実よりも二次元価値があると言ってしま人間までいる。「現実世界vs架空世界」で後者が優先されるべきと言う異常さを理解してない。

現実直視しないため、社会と大きくズレた価値観を持ち、現実には絶対存在しない性格をした人間(キャラクター)を生み出す。現実世界で勝てない人が最後に傷を舐め合うために行きつくのがオタクワールドなのだ

字書き、絵描き……どれだけ創作技術を上げたところでそれで高給取りになれるのはごく一部。やっとの思いで努力の果てにプロになったところで、不況出版業界で安く買い叩かれ将来性もない。そんな人生でいいのだろうか。

2024-05-08

anond:20240508164225

ながい!

例の如くサンキューGemini

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## 独身子供に慕われる「おもしろおじさん・おばさん」になるための難しさ

1. なぜ「おもしろおじさん・おばさん」になりたいのか?

2. 「おもしろおじさん・おばさん」になるために必要な条件

3. 「おもしろおじさん・おばさん」になるための具体的な方法

4. 「おもしろおじさん・おばさん」になるための覚悟

5. まとめ

おもしろおじさん・おばさん」になるのは、想像以上に難しく、努力と忍耐が必要

しかし、子供に慕われ、社会の無害なアウトサイダーとして活躍できるのは、大きな喜びと言えるでしょう。

2024-05-07

anond:20240507182055

体力・精神力自慢になるような水準では全くない

2024-05-06

anond:20240506170153

ちょっと調べただけだが、最前線に送られるのは囚人部隊懲罰部隊脱走兵などの軍規違反者)ではないのか。単に弱く、体力も精神力もなく士気も低い人間最前線に送ってもせいぜい弾除けにしかならない。現代戦争ではどうなのか分からないが。

2024-04-30

anond:20240430084840

初対面で7.8割がフワフワしているのは反応としては現実味がある 社会人として必要スキルでもあると思うし

ただ、(何を言われても)フワフワし続けるには精神力を使うので、一方的に期待するのはテイカ思考といえる

相手にフワフワしてもらいたいならなるべく自分もフワフワの受け答えをするように心がけるとよいと思う

2024-04-21

トランス女性(自称女性女装癖の変態性犯罪者野郎)はキモい

とは言えこのご時世だと性犯罪者みたいな弱者男が女に成りたがる風潮は避けられないんだよね。


弱者男性問題本質は異性にモテ無い→他者から承認されない→異性を獲得出来ない劣ったオスだと世間から認知され社会的評価も下がる→多少仕事趣味を頑張った所で「非モテ劣等人種」が評価される事は無い→承認欲求が満たされず自尊心が傷つき人格がぶっ壊れる

という所にある。他者から承認されない=社会から認められない、というのは大半の人間にとっては致命的となる。特に社会的生物である男性あれば尚更。


男性場合パートナー等の異性から承認を獲得するには

一定以上の外見

身長

・安定した職業

一定以上の継続した年収貯金

・安定したメンタル、多少の不条理理不尽を耐えられる精神力

女性アプローチをかけ話題提供し楽しませる程度のコミュニケーション能力

デートプラン等を考案するプランニング能力

長男以外である事、親族が毒では無い事

実家から出ている事、自活可能な程度の家事能力がある事

といった、努力では獲得出来ない生来のものも含めた能力の内何点か若しくは全てが要求され、

尚且つ全ての水準を満たしても異性の承認を獲得出来るとは限らないのに対し(現に筆者の知人にはこれらの水準を全て満たしているにも関わらず高齢童貞独身人間がいる)

女性場合男性要求される様な水準が求められる事はまず無い。


現実として大半の女性女性であるだけで異性(男性)から承認を「モテ」として獲得できるというモテ非対称性がある。

つまる所、弱者普通水準のレベルでは女性の方が圧倒的に生きやす、逆に言えば弱者寄りから一般人レベルでは男性の方が遥かに生き辛く、女性には要求されない水準の努力能力要求されると言える。まさにハードモード

(個人的にはこういった非対称性の優位がある事を理解しているにも関わらず男尊女卑男性社会とやらを主張し弱者性を強調する女性極めて悪質だろう)


モテ」る事が出来ず弱者男性に追いやられた男性から女性の方が恵まれている…こうなったら女性になってやろう!」と考える人間が現れるのは女性優位社会では仕方ない現象とも言える。

男性目線からすればそんな人間は只管にキモ女性として生きつつ女性スペースに侵入して汚らしい性欲を満たしたい下劣精神性の雑魚底辺人間しか思えないのだが、一部の女性は、この様な自称トランス女性という性犯罪者権利を持ち上げ続けた。同じ「女性」として。


男性社会ホモソーシャルとやらから排斥されたゴミクズがどう生きようが知った事では無いのだが、一部の女性女装癖の変態をも女性として受け入れるのであれば「どうぞどうぞ」としか言いようが無い。

男では無く女ですら無い性欲の汚物を受け入れてくれるのであるから寧ろ有り難いぐらいだ。

「男の問題は男でやれ」という言説を肯定するのであれば、トランス女性(女装癖の変態性犯罪者)もまた「女性であるので、「女の問題は女同士で解決してね!(男に責任押し付けんなよ)」と言う他無い。

トランス女性(女装癖の変態性犯罪者連中)の問題は、まさしく女性特有の問題である


キモい連中がセコい連中と内輪揉めしてるのをただ眺めるだけの日々が続く……

2024-04-19

体力があれば

すっかり老い上司が言う。「やっぱり体力がものを言う。東大京大の奴らは頭もいいが体力がある。受験をこなすだけの根性は体力があってこそ。体力こそがもっとも有力かつ根源的なビジネススキル。俺も若い頃は云々」

またある同僚は言う。「もう寝てない自慢とかやんないけど、昔はまあ寝てたらできない仕事もあったよね。忙しいとか言うけどさ、寝てる暇あるだけいいじゃんとかって思っちゃう。やっぱり体力がないと乗り切れない局面ってあるよ」

そうだな、そうかもしれないな、と思いながら僕は休日になると眠くて仕方がない。朝ゆっくり起きて、昼寝して、お酒を飲んだらすぐに眠くなる。すぐ寝るやつは燃費が悪いんだよ、と大学時代合宿で笑われたことを思い出す。肉親の今わの際ですら、うつらうつらとしてしまたことを思い出す。一日中立ち仕事バイトをはじめて、三日目で熱が出て立ち上がれなかった朝を思い出す。きっと僕には体力がない。

体力づくり、体力勝負、心技体。

から漠然と体力は生きるのに必要な要素として教育され、スポーツ運動自然と育まれものだと刷り込まれてきた。お察しのとおり僕は運動も苦手、部活文化部趣味インドア。体力を身につける機会なんてなかった。気まぐれにランニングしたりジムに通ったりもしたが、体力がついたという実感はない。運動後の爽快さのあとには常に眠気がついてまわるので、運動すなわち疲れるもの、という認識でいる。

年齢を重ねたこともあって、体力を意識することが多くなった。上司は同僚は思いついたように体力をつけようと走り出したり、最後は体力よ、と強がったり、バイタリティのある働きぶりを評価したりしている。僕は決して評価されないが、なけなしの体力(らしきもの)を絞り出して通勤し、一日十時間程度は仕事をこなしている。でも本当はずっと寝ていたい。やはり僕には体力がない。

僕のこの体感、消えない眠気を宿した肉体を怠惰だと呼ぶのであれば、怠惰とは呼ばれない程度の体力とはどのようなものなのか。そしてその程度の体力とはどうすれば身につくものなのか。若さを失っても取り戻せるものなのか。

いまだに答えを得ていない。たとえ体力を身につける方法を得たとしても、きっとその方法をこなすだけの体力が必要になるのだろう。小さなことからコツコツはじめる体力があるとは思えない。どうしたって僕には体力がない。

こうも漠然とした体力の正体とはいったい何なのだろう。いわく筋肉量、いわく持久力、いわく精神力。適正に運動し鍛えられた身体が生み出すのが体力というものなのだとしたら、僕はもうそんな身体と素質を取り戻せないのではないか

きっと他のみんなは僕より体力があるに違いない、と恐れつつ、今日Netflixを観ている途中で寝てしまう。二時間映画にすら見合わない僕の体力。楽しさの代わりに眠気が支配する人生。原因はきっと、やはり、どうしたって。

いったい体力ってどうやったら身につくのだろう。そう思いながら寝床眠る。僕は夢の中でのみ軽やかに走り、想い人と明瞭に話し、眠気のない頭でいられる。

でもそのうち夢の中でも眠くなるのだろうな、と恐ろしくなる。

どうすれば体力がつくのだろう、体力っていったいなんだろう。

体力があれば、なあ。

2024-04-18

anond:20240417211742

タイパなら筋トレだよな。

1日1時間を週3回で健康的でかっこ良くなれる。

問題精神力の消耗と、筋肉痛によるQOLの減少だが、

慣れるとむしろ精神力の維持・向上に役立つし、筋肉痛快感に変わる。

やはり筋肉はすべてを解決する。

anond:20240418093856

そのチームは、はっきり言って、お話にならないくらい下手だった。もちろん技術面でもそうだし、ゲームに対する姿勢のものがいまひとつ弱腰だった。おそらくだが、このゲームクランマッチデザイン自体に、プレイヤー言い訳をさせるようなところがあるのだ。ふだんはある程度任意の動きを許されているプレイヤー達は、ユーバーチャージが貯まるタイミングでチームプレイシフトし、まとまって動いていかなければならない。しかし、チームプレイというものには、個別プレイヤーの動きとは異なり、実体がない。ここに自分への甘えを許す罠がひそんでいるのだ――おれのプレイが悪かったのではなく、チームとしてのまとまりが悪かったのだ、というような。

Nとの出会いと「MGE」

折しも大学合格したばかりで浮かれていた私自身も、この甘えに参加していなかったかと問われれば、違うとは言い切れない。そんな私とともにこの悪い流れに拍車をかけていたNも、私がチームに参加しはじめたころは、手数よりも口数のほうが多い人間だった。他のメンバーに不出来なプレイを指摘されると、よくもまあそんな理屈をすぐに思いつくよなと感心するほどの切り返しで、「だってから始まる台詞を連発した。

だってソルジャーが付いてこなかったんだ。」「だって相手ゴリ押ししてきたんだ。」「だって、おれは下手なんだ。」おそらく連日の負け続きのために、彼自身にどうしようもない負け犬根性が染みついてしまい、しかも彼はそのことを自覚できていなかったのだと思う。チーム自体にはおもしろ人間が揃っていたし、Nもまた日常会話ではとても楽しい思いをさせてくれたが、勝負事となるといかんせん悪いところが出てしまっていた。

第一回プニ4トーナメント」が開催されるころには、すでに多種多様な戦法が開発され、そのうちのいくつかは創始者名前を冠するほど有名なものとなっていた。たとえば「エアショ」という技術は、語感から空中にいる相手ミサイルを当てるものだと想像できると思う。しかし、たとえば高所に立っているプレイヤー視野の狭さを逆手に取り、地上からミサイルの直撃を狙う「タンザナイト」や、攻撃を避けるために圧倒的な地形的有利をあえて捨て、さらに対戦相手の動揺を誘う「ハイペリオン」、その派生系の「疑似ハイペ」などは、あの当時の盛り上がりと、そこで活躍したプレイヤー革新的発明がなければ生まれなかった、奇跡的な語彙と言っていい。

「MGE」は、相撲将棋を掛け合わせたようなゲームだった。要するに、狙ったところに駒を正確に打つために専門技術が要り、しかも持ち時間ゼロなのだ技術、体力、精神力集中力、持続力――思いつく限りのあらゆるゲーミングスキルが試され、しか言い訳はできない。繰りかえすが、負けは負け、勝ちは勝ちなのだ私たちは否応なく加熱していく舌戦とともに、ただ次の戦いに勝利することだけを望み、全身全霊をかけてこのゲームに臨んだ。

そして、いつごろからか、あれだけ言い訳ばかりしていたNが、「プニ4」での試合に限って、だんだん自分欠点を認めるようになっていった。あそこで高所から降りるのは悪手だった、あそこで狙いが乱れたのは集中力不足だった、もっと大胆に動くべきだった――そんな言葉が彼の口からいくつも溢れだし、その希望象徴するかのように、彼の強さを表すポイントは天を突くような勢いで伸びていった。

そして5年が経った。先日、私はこのゲームの思い出を記すために、かつての「山本Gaming」のメンバー、Gにコンタクトを取った。彼は快く私を迎えてくれ、ボイスチャットに誘ってくれた。矢のように過ぎ去った時をほんのすこしでも埋めようと、Gと話をしているとき、仮眠から目覚めたNがボイスチャットに現れた。どう話を切り出したものか迷っていたが、私が「プニ4」という言葉を口にすると、Nの口から光に満ちた言葉がとめどなく溢れだした。彼は昔とおなじように、私のスクリーンネームを短く縮めた「ロールさん」という言い方で、私のことを呼んだ。

「ロールさん、これだけは言っとくよ。もし『プニ4』がなければ、いまのオレはないよ。オレはあそこで、勝負おもしろさを知ったんだ。あれがなければ、おれはこんなふうに戦えていなかったよ。たとえば、いま、負けるとするじゃないか。でも、そんなことは当たり前のことなんだよ。負けるなんて当然のことなんだよ。だってオレは何百回も、何千回も、何万回もあそこで負けてきたんだ。でも、そのたびに取り返してきた。戦ってきたんだよ。いまやっているゲームだって、負けることは当然ある。でも、そんなこと、ほんとうに当たり前のことなんだよ、ロールさん。だって、オレの心は、絶対に負けないんだから。勝つために、オレたちは戦い続けることができるんだから。」

【電遊奇譚:其七】敗北の先にある戦い

2024-04-12

anond:20240412204224

SNSなんてやめたほうがええやで。

時間精神力無駄遣いやで。

2024-04-01

anond:20240401015210

あと仕事に後腐れがなくて終業後に仕事が追いかけてこないのもええとこやで

なんなら、ホワイトカラーというか知識労働は「無限に続く後腐れ」こそが本質と言えるかもなあ。

永久仕事に追われ続けることに耐えられる精神力に対価が払われているのかもしれない。

2024-03-24

anond:20240324113227

トランス女性スポーツ参加とトイレ利用に関する反論

1. トランス女性スポーツ参加が女性選手不利益をもたらすという主張

トランス女性身体能力が、出生時の性別に基づくカテゴリー分けによって、必ずしも他の女性選手よりも優れているとは限らないという研究結果があります

ホルモン療法などの移行措置によって、トランス女性身体能力女性範囲内に収まることが示されています

スポーツ競技は、身体能力のみによって決まるわけではありません。技術戦略精神力なども重要な要素であり、これらの点においてトランス女性が有利であるという証拠はありません。

実際に、トランス女性スポーツ競技に参加しても、女性選手が圧倒的に有利な状況が続いています

トランス女性の参加を排除することは、彼女たちのアイデンティティ否定し、社会参加を阻害することにつながります

2. トランス女性トイレ利用が女性利用者安全プライバシーを脅かすという主張

トランス女性女性用のトイレを利用することで、犯罪が起こったという具体的な事例はほとんどありません。

逆に、トランス女性男性用のトイレを利用することを強制することで、彼女たちが嫌がらせ暴力を受けるリスクが高まります

トランス女性女性であるという自覚を持っているため、女性用のトイレを利用する際に、他の女性利用者危害を加えるようなことは意図しません。

トランス女性トイレ利用を制限することは、彼女たちに対する差別助長し、社会的な偏見を強化することにつながります

3. 包括性と公正性を実現するための解決

スポーツ競技においては、出生時の性別ではなく、性別移行後の身体能力に基づいてカテゴリー分けを行うなどの方法検討されています

トイレに関しては、性別に関わらず誰もが安心して利用できるようなユニバーサルデザイントイレを増やすことが有効です。

トランスジェンダーに関する理解を深め、差別偏見をなくすための教育や啓発活動重要です。

4. 結論

トランス女性スポーツ参加とトイレ利用は、複雑な問題であり、様々な意見がありますしかし、彼女たちの権利尊厳を守るためには、包括性と公正性を実現するためのより綿密な検討配慮必要です。

2024-03-23

anond:20240323154802

はてなーを名乗るという事は己をを殺すという事

徹底的に犬になりきるには己を律する強い意志精神力がいる

anond:20240323103233

暇空氏は加えて現実での行動力訴訟)+求心力寄付金で表される支持)+資金力(寄付金個人資産)+長期の戦いに耐える精神力があるんで単なる暇人とは別枠じゃないかあれ。

2024-03-20

年を取った発達障害者の末路。人生の虚しさがヤバい

ADHD……ASD……LD……。

というよりか、学歴職歴資格も、手に職もないままに、年齢だけ重ねてしまった、社会不適合者の虚無感が、マジでやば過ぎて恐ろしい。

この僕にしても、ちょっと油断しただけで、虹の橋が見えてきて、生きた心地がしなくなる。

からこそ最近は、自宅でひとりきりの時も、シャドーボクシングならぬ、シャドートーキングとして、目の前にドッペルゲンガーの僕がいると想定し、ひっきりなしに喋るようにしている。

もしくは、僕の作業部屋――、後ろでいつも見守ってくれている、グッドガ人形チャッキーに、「おめめパッチリ可愛いな」「おまえのクレイジーさを見習うぜ」などと話し掛けて、心を上向かせてゆく。

要するに、『セルフトーク(心の声)』の狂気版であり、なるべくアホでポジティブ話題を、たった1人の時にもばら撒いて、頭を前向きにバグらせる……という寸法。

ではなぜ、これらの事を全力でやるのかと言えば、いつだって鬱々しさのスタートは、『自分視線が脳に向かう感覚』『意識が内側に閉じこもる感覚から始まるゆえ、思いつきの言葉物理世界に投げ込むことで、悩ましさから脱出するのだ。

それだけじゃなく、なるべく貧乏揺すりをしたり、部屋の中でも歩き回ったり、横になる時間を減らしたりして、自動的思考を止めるようにしている。

正直な話、なんの安定感もない暮らしの為、横断歩道を渡っているとき、4トントラックで跳ねられたくなったり、交番の前を通っているとき発狂した警察官に射殺されたくなったりと、「そろそろ魂を休ませたいな」と、しょっちゅう願ってしまう。

これってのは、鬱症状だとか、考え過ぎだとか、そうした個人問題ではなく、社会病理――是正されない格差問題だ。

たとえばアメリカでは、学歴格差経済格差により、尊敬されたり、感謝されたり、愛し愛されたりする機会を損失し、やり甲斐をなくして不健康になり、そのままぶっ倒れてしまう事を、『絶望死』と呼んでいるらしい。

よくよく思い返してみれば、そんな別大陸の話をせずとも、僕たちが住む日本――『氷河期世代』以降の人々はとくに、薄給非正規ゴロゴロといて、ストレスだらけで暴飲暴食し、孤独な日々で自暴自棄になり、身も心もズタボロであるから、「続々と早死にするのではないか?」と言われている。

やはり、どこまで行っても、ここは資本主義の国である

稼ぎを得る体力/知力/精神力も……技術も人脈も資金力もないとなれば、年々、生命力が衰えるごとに、より不安定で貧窮した暮らしになりやすい。

こうした現実直視すると、「不幸のどん底に堕ちる前に、若年性のぴんぴんころりで、さくっと全てが終わったら良いな」と、巨大なる虚無感に襲われる。

からこそ、頭のネジを外して問題を起こしまくるか、死んだ魚の目でぼけ~っと過ごすか……そうやって自分の心を守る為に、極端に生きがちになる。

よく世間では、『中庸こそが幸せ秘訣』と叫ばれる――「何かに偏らずに、真ん中の道をゆっくりと進もう!」という教えだが、そんな悠長な事は言っていられない。

統計的に見ても、経済的に困窮した弱者は、健康を害しやすく、孤独を来しやすく、早死にしやすいからだ。

――そうは言いながらも、闇雲に生き急いでしまうと、ちっちゃなミスを連発し、コツコツと修行できなくなり、周囲の人間をないがしろにし……などなど、より一層、ピンチを招きやすくなる。

からこそ僕は、カオス型の幸福論――『矛盾を愛する、混沌を愛する、狂気を愛する』、そんな姿勢を磨き上げて、ぐちゃぐちゃな日々に突入しても、それを全てネタにして物を書き、腹の底から喚き散らして、己が生きている全時間を、無条件で肯定してゆきたい。

ちなみに、僕がハマっているお笑い芸人ヘッドライト町田(50歳/男性/独身)は、寝る間を惜しんで、バラエティ番組を片っ端から録画し、DVD整理整頓をし続けている。

しかも、バイトダビング作業で忙しいゆえ、録るだけ録っておきながら、ろくに視聴していないらしい。

もはや録画の為の録画であり、ただの惰性というか、「きっと将来に役立つんだ」「大事な物なんだ」と固く信じて、心の安定を得る為の、儀式みたいなモンなのだろう。

こうやって頭をバカにせねば、売れていない現状で目が痛い……

お金地位も名声もお嫁さんもGETした同期の奴ら、

うだつの上がらない非正規生活

年齢的な厳しさ――など、

容赦ない現実タコ殴りにされてしまう。

まり一見かに見える事が、極大の虚しさ……精神崩壊を遠ざける為の、最善の手段な事もあるのだ。

2024-03-19

「(自分の)コスパが悪いか子供を作らない」と言ってる奴らクソすぎるだろ

その点だと、俺の「自分が親に求めているものを、自分が持っていないか子供を作らない。(子供から見て)コスパの悪い人生子供が送ることになるから」はスゲーまともな理由だと感じるぜ。

俺が親に求めるのは4つ!

・不動の精神力

遺伝子クオリティ

時間的な余裕

・十分な経済力

俺はこのどれもを持っていないからなぁ……。

まず遺伝的に発達障害の傾向があり、生まれつきのレベル精神力カス

時給1500円レベル薄給なのに残業は月平均60時間有給消化率は40%程度、これでは子供と遊ぶ時間なんてないし、子供私立に通わせるのも難しいだろうな。

ガキの頃オヤジの帰りを待ってから夕飯を食べるっていうルールがあったんだが、電車で2時間通勤してるオヤジが2時間残業したら飯の時間は夜の9時とかでさ、それが習慣づいて今でも完全に夜型だから参ってるよ。

やっぱさ、人生って親ガチャなわけよ。

ガチャってのはまずは確率10%程度の小当たりを引くのが最低ラインでそこにさえ届かない水増し部分は最初からハズレなの。

そこでコケた所から始まる人生とか可愛そうでならねえぜ。

実際、俺は俺が可愛そうでならねえよ。

もしも生まれつきイケメンで、身長も高く、せめて情緒さえ安定していれば楽しく学生時代も過ごせただろうなあ。

毎日死にたいと思いながら人生最初の20年を暮らさなきゃいけなかったのも、今クソみたいな仕事をやってるのも、全部親ガチャがハズレだったからだよ。

人生最初から失敗した状態で始めてくれないかなんて頼みたくないなあ。

この世界もっと弱者に優しければいいんだが、基本的には表彰台に上がれなかったモブは全員生きる価値なしの世界からなあ。

2024-03-18

車椅子を押す側 の ぼやきと一部の生活

車椅子を押す側のとある所感、一例として書いてみる。

あんまりまとまってないけど、ご容赦ください。

  

――――――――

  

自分車椅子押す側の健常者。

身内が車椅子。元は歩けてたけど、病気車椅子になった。

押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。

から押す側はだいぶ神経使う。重いし。

  

で、身内は結局あんまり外に出たがらなくなった。

繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。

  

――――――――

  

そんな身内の言い分を聞いてちょっと唸ったことがある。

例えば、人混みを通らなければならないとき

介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、

乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。

  

そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。

大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。

で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。

それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、

そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味から、受け取り方が違うよ!」と慰めた。

  

そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。

よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。

  

――――――――

  

人間というか生き物は、自立したい生物だと思う。

金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、

身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。

自分身体が突然制御不能になったら嫌でしょ。

最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。

周囲だって毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。

  

でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。

傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。

本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。

自分要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。

いくらこっちが善意でも、いや善意からこそ。

  

まり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、

「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安

それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初言動のものになってるのかなと思った。

  

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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。

だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。

これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。

外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。

  

でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。

  

簡単な例でいえば、トイレだ。当然多目的トイレしか使えない。

から多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。

車椅子トイレ使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。

ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。

いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。

しかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。

かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレセックスをするアホもいたりするからな…。

健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。

  

車椅子の人だって介助者だって別に自分関係なければ許せるかもしれない。

本来なら…病気になったり、事故に遭わなければ…。

そういうありもしない未来過去がそのたびに去来し空しくなる。

心の許容範囲の在り方、理不尽に変わってくる。必死だ。

  

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他の例だと、地方美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。

外出の選択肢として楽なのはアウトレット舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。

海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。

  

エスカレーター階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。

エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。

一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。

見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。

降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。

  

実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。

障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。

若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。

  

ただ「使える」バリアフリーかっていうと難しいときもある。

とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。

エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。

(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)

  

施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。

でもまあそれは「平等サービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。

美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから

コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。

たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。

  

本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分パイプ椅子…なんてこともあった。

クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。

「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。

楽しむために行くのに、悲しい気持ちになるのは本末転倒だ。

  

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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。

自分車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。

望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分いるから存分に楽しめなかったりする。そもそも自分の行動や欲求に付き合わせている。

そういった事実によって生まれ葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。

そういう立場体験していない自分が、その感情否定することはできない。

  

ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。

身内の気持ちは身内にしかからいから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。

  

当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。

だって事実事実で動かしようがない。

すみません」って言わないと通れないんだから

  

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設備が悪い!とか周りが悪い!って文句もあるときはあるけど、

社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。

人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離コミュニケーションをとる。

これは最近トランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。

自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。

平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。

  

からまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、

なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。

  

身体不自由だろうと身内には元気でいてほしいから、

色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。

無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。

  

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そういうわけで(?)

車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。

助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。

舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。

  

こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。

  

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おまけ

  

これは最近の空しかった話。

テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。

  

「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。

いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。

かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。

でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルそもそも高い。そこに行くまでの道程ハードルも高い。

立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。

何より、身内と自分の体力や精神力が持つとも思えない。

そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェス非難してるわけではない。

  

でも行きたいなって気持ちは誰にだってわくもんだし。

「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子から無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。

から「行きたい」じゃなくて「行きたかったなあ」になる。

  

介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。

  

こんな無力なこと、ある?

自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。

身内はこの先あの景色体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。

  

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やっぱりあんまりまとまらなかった。

2024-03-17

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