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はてなキーワード: 浪人とは

2024-03-13

今年こそ東大医学部に行く

6浪だけど旧帝(できれば東大)医学部目指す

結局ゴミカスネトウヨと反トランスTERFとはてブや5chやTwitter(現X)や4chanレスバしたり、pixiv東方とある魔術の禁書目録やヴィンランドサガやサウスパークの絵を見て妄想したりして全く勉強せず時間潰してしまった。

お陰で医学部全落ちした。後者はまあ自分責任だけど前者は許さん。くたばれTERFとネトウヨ

でも浪人したいってちょっと言ったら親がいい加減働くか大⚪︎みたいな専門行って資格でも取ってこい」って言われた。悔しい。ただ隠れてやる分には良いらしい。

とりあえず専門行って仮面浪人する。どうせ今の事実上ニート状態じゃいくらネトウヨとTERFとレスバしたところで何も世の中は変えられない。

考えたらチャンスは今年しかない。7郎は流石にやばい。もうやると決めたらには合格するまで、はてブ増田も5chもTwitter(現X)も4chanpixivYouTubeも見ない。ちょっと息抜きする程度に抑える。絶対

就活が終わった

この匿名ダイアリー不安に駆られて「多浪 就活」「多留 就活」「○○歳 職歴なし 新卒」みたいなキーワード検索して不安をより膨らませた私のような人のために残す。

ただ私は理系だし女だし(周回遅れなのにキャリアの中断が起こりやすい側の性であることがプラスに働くのかは不明)何の責任も取ることはできない。

詳細は省くが、浪人とか留年とかそんな感じで、20代後半での新卒就活

2025年卒業見込。243月上旬内々定。早くはないが遅くも無い。内々定先も所属大学の中で妥当ラインだと思う。

同じ不安を持つ後輩、今頑張っている同期に向けてアドバイスを少しだけ残す。当たり前の事ばかりだが私は気付くのに時間がかかったので参考にしてほしい。

1.年齢を気にする企業ESで弾くか一次で落とす。選考を進んでいると言うことは年齢については大して気にして無い。

2.オファーサイトオファーを送ってくる人は外れ値を想定せず学生の年齢全然見てない事が多い。

3.浪人留年中退、再入学などの大きな出来事についてはほぼ深掘りされる。ポジティブストーリーとして納得させる事ができれば個性アピールに繋がる。

私は恥ずかしながら1つ目に気付くのがとても遅かった。年齢というマイナスカバーしようと意気込んでいたが面接では別に大したマイナスだと思われてない事も多かった(寧ろそのせいで企業理解や熱意が伝えきれず足を引っ張った)。変に気負わず就活を頑張ってほしい。

就活が終わった

この匿名ダイアリー不安に駆られて「多浪 就活」「多留 就活」「○○歳 職歴なし 新卒」みたいなキーワード検索して不安をより膨らませた私のような人のために残す。

ただ私は理系だし女だし(周回遅れなのにキャリアの中断が起こりやすい側の性であることがプラスに働くのかは不明)何の責任も取ることはできない。

詳細は省くが、浪人とか留年とかそんな感じで、20代後半での新卒就活

2025年卒業見込。243月上旬内々定。早くはないが遅くも無い。内々定先も所属大学の中で妥当ラインだと思う。

同じ不安を持つ後輩、今頑張っている同期に向けてアドバイスを少しだけ残す。当たり前の事ばかりだが私は気付くのに時間がかかったので参考にしてほしい。

1.年齢を気にする企業ESで弾くか一次で落とす。選考を進んでいると言うことは年齢については大して気にして無い。

2.オファーサイトオファーを送ってくる人は外れ値を想定せず学生の年齢全然見てない事が多い。

3.浪人留年中退、再入学などの大きな出来事についてはほぼ深掘りされる。ポジティブストーリーとして納得させる事ができれば個性アピールに繋がる。

私は恥ずかしながら1つ目に気付くのがとても遅かった。年齢というマイナスカバーしようと意気込んでいたが面接では別に大したマイナスだと思われてない事も多かった(寧ろそのせいで企業理解や熱意が伝えきれず足を引っ張った)。変に気負わず就活を頑張ってほしい。

2024-03-12

anond:20240312130942

知り合いの大学教授が言ってたわ。

1年浪人して入学してきた人間は、顔つきから既に変わっていて、人間性が成長してるんだって

大学講義への取り組み姿勢も、現役生と全然違って真剣で、学ぶものも大きいと。

若い時代の1年の苦労辛酸は、その後の人生を確実に豊かにするから、まぁがんばってや。

2024-03-11

難関大学中退者には性犯罪者と同じ評価を下す

性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近四谷大塚講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑しろ」という声が絶えない。

なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。

1.性犯罪社会にとって危険である

2.性犯罪者はどうせまた再犯する

1は自明だが、2の理由はなんだろうか?

そもそも犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。

ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないもの場合はそうであるといえる。

この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。

なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから犯罪者のこの気質修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実性犯罪者再犯率は極めて高い。

対象者のうち,調査対象となった性犯罪事件裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。

昨今、東大京大といった難関大学中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。

大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人留年中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退留年浪人となる。

中退は、そもそも高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。

難関大学卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつう感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。

日本大学卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由放棄して中退してしまったということになる。

これは、平穏生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者論理と全く同じことに気づくだろう。

難関大学中退する人間は、大抵の場合仕事が出来ない。

これは以下のような理由による。

まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。

次に、なぜ彼らが大学中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。

一方でふつう人間というのは そのような近視的なもの見方はせず、 より高い視点物事を見ることが出来る。 つまり自分人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的視点ものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。

最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。

このような人間は、中退せずに難関大学卒業した人生と、今の人生比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである池江璃花子白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベル選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病治療において抗がん剤放射線治療をした影響によって 自分身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子池江璃花子からに他ならない。 ふつう人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである

では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理適用出来るのではないかと思うかも知れない。

その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。

東進林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。

「これから一ヶ月間、必死勉強しろ必死勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」

この論理学歴の高低に適用すると、 仮に必死勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから結論として低学歴はやっぱりだめということになる。

実際、使えるか使えないかは概ね出身大学偏差値と相関がある。 特に論理思考力など仕事をする上で重要能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合受精しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学問題思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから低学歴基本的には使えない。

しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒高卒の差に比べれば、大学偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチ関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。

から偏差値が低い大学出身人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。

anond:20240309115938

ラブひな啓太郎だけじゃなくなるまで落ちて浪人突入した時はワクワクしたな

このドタバタがまだ続くんじゃーって感じで

でもってその後受かっちゃうと、なんか白けてもういいやってなっちゃうんだよな

優秀な子だったのに、対人関係トラブルメンタル病んで不登校

結果下から数えた方が早いレベルにまで落ちてしまった

それもまた人生だししょうがない

終わった高校生活も受験しょうがない

次のフェーズで頑張ってほしい

フリーターなのか浪人なのかは分からないけど

2024-03-09

典型的男尊女卑長男教の家庭で育った母

私の母親典型的男尊女卑長男教の家庭で育った。

やれ女には学歴なんて必要無い大学だって金の無駄だ、長男様が家業を継ぐ為にお前ら(母・叔父)も仕事辞めてサポートしろ

とにかく長男に従え一切逆らうな、みたいな当時でも少し古めの考えの人間ばかりで、家にいた頃から成人してからも凄く苦労してきたという。


から私自身は特に進路も何も口出しされなかったしノビノビやれた。

しかし、その分兄が露骨冷遇されていた。


幼い頃から「何で母親は兄に対してやたらと口うるさいし、厳しいんだろう?」と幼いながら思っていた。

兄は私の目から見ても、真面目でどちらかと言えば大人しい方で、何も言わず勉強して成績も上位をキープしていた様なタイプだった。

一方私はどちらかと言えば適当タイプで、勉強スポーツも大して出来ないし、高校の頃は周囲に影響されてギャル化してよく夜遊びもしていた。

けれど、いつも本当に細かい所やどうでも良い様な事で、母に厳しく注意されたり怒られていたのは、常に兄の方だった。


私は色々遊んでても、遊びすぎで成績が落ちても「次から気をつけなさい」ぐらいで特に怒られはしなかったのに

兄はちょっと成績が落ちた(90点代~100点が、一教科だけ80点後半だった)みたいな事でも

「こんなに成績を落とすなんて!お前は努力が足りない!もっと勉強しろ!」

とか、私の部屋に聞こえるぐらいまで大声で怒られていた。

そんな母が怖いのか、父も空気になったり、母に同調してやんわり注意したりと、兄にとっては凄い居づらい家だったと思う。

私も兄と二人の時は普通に接するけど、母の雰囲気が怖くて、兄が理不尽な事も怒られたりしていても、何も出来なかった。

私にとっては母はおおらかで良い母親だったと思う。それだけに兄への態度が何でこんなに厳しいんだろう?って思っていた。


大学進学の時も、兄は奨学金大学行け、小遣いはバイトして稼げ!って感じで一切援助も何も無かったが

私は浪人しても良いとすら言われていたし、学費どころか一人暮らしお金も全部出してくれていた。

さすがにこれはどうかと思って、母にそれとなく聞いたら「(兄は)男だから良いの。男なら自分の力で大学ぐらい行かなきゃ」って言っていた。


結局兄は大学卒業就職してから一気に疎遠になった。電話にもいつも出なくなり、恐らく着信拒否されているか、番号を変えられたんだと思う。

連絡すら取れないから、両親が亡くなっても葬式にすら来ないだろう、という程度には縁が薄くなってしまった。

母は「どうしてこんな事になったんんだろう?ちゃんと分け隔てなく育てたのに…」って言っていて、さすがに正気を疑った。

でも母の中では差をつけている自覚が本当に無い様で、便りも何も無い事を本気で嘆いていた。


恐らく母は、男尊女卑家庭で育って苦労した鬱憤を、本来は伯父や母方の祖父母にぶつけるべき不満を

兄という「男」に対してぶつけていたんだろうなって思う。悪く言えばただの八つ当たりだった。

結局母は、自分男尊女卑家庭で育って散々苦労したのに、兄に対しては同じ様な苦労をかけさせてしまった。

虐待…とまではいかなくても、差別再生なのだろう。


インターネット言論では男児に厳しくしろ、厳しくして育てるべき、少しでも粗相したら厳罰を、厳しく育てて正しい男女観を育てよう、

男児男児の頃から去勢すべき、といったママ達や彼女らを支持する人達書き込みが目につく。

知人や(元)友人にも、似たような考えの人はいた。

彼女らの家庭環境はそこまで詳しくは知らないけど、もしかしたら普通の家庭に見えて、家庭内では凄い嫌な思いをしたのかも知れない。

それが原因で男嫌いフェミになったのかも知れないけれど、そんな彼女らが子供を厳しく(理不尽に)育てたら

そんな育て方をされて歪んでしまって異性憎悪を拗らせても不思議では無いと思う。母の様に。


そんな負の連鎖が続くのが、他人事ながらしんどくでしょうがない。

せめて私は、母からどこかで受け継いでいるかも知れない負の連鎖を断ち切りたい。

俺の履歴書・上

俺は医局内でうだつの上がらない眼科医父親と、同じくうだつの上がらない乳腺外科医母親の一人息子として生まれた。

うだつの上がらない両親は医局内で粗雑に扱われており、かと言って開業する気概資金もなく地方郊外の関連病院を行ったり来たりしていた。

そのため俺はいつも都内にある母方祖母の家で過ごした。

スポーツも不出来で両親と同じく気弱な俺が平穏学生生活を送ることができたのは、幼稚園から高校までエスカレーター私立男子校に進学したからだろう。

母校は俺が入学した時には既に開成筑駒などに大きな差をつけられていたが、同級生には芸能人経営者の子息がたくさんおり、彼らとの格差を感じずにはいられなかった。

高校卒業した俺は1年間の浪人を経て都内私立大学医学部に進学した。

大学時代一年目は強制的寮生活となった。

部屋の先輩はスポーツ推薦で入学した他学部学生であり、俺とは全てが真逆だった。

合コンに明け暮れ、大量の酒を飲み、それにも関わらず部活で結果を示していた。

先輩は善意から俺を合コンや遊びに連れて行ったが、お互いに気が合わないとわかってからコミュニケーション殆どなくなり、寮から出られる二年目以降は祖母の家に帰った。

大学卒業した俺は東京を離れ地方総合病院にて初期研修に入り、そのまま内科の道に進んだ。

当初は呼吸器の道に進もうと考えていたが、実習中に見た気管支内視鏡のおぞましさと患者の辛そうな様子を見てやめた。ちなみに内科のローテート中でもこの気管支内視鏡を目にするのが一番嫌だった。

消化器に進んだころ、病院薬剤師をしていた妻と知り合った。

内視鏡指導医が義父と友人であり、俺を紹介したのであった。

妻は俺が女性経験がないことを知ると「その歳で…?信じられない…」とドン引きしていた。

結婚式の際、地方で代々事業を営み財力もあり顔の広い義父の招待客でホテルが埋め尽くされる中、隅っこで父と母が小さく座っていた。

結婚後、妻との営みは片手でちょうど数えられる回数しかなく、妻は俺の性的能力の低さを侮辱し俺は男性機能喪失した。

そのため俺と妻の間には子供がいない。

完全な家庭内別居が始まり、消化器内科医として一人前になった頃にちょうど病床の母が亡くなった。

乳腺外科医の母は遠隔転移を起こした乳がんにより亡くなった。

見舞いも拒む妻は当然葬儀の日にも予定を入れており、俺は一人で東京に向かった。

通夜葬儀を終え家に帰る新幹線の中で人生の虚しさを感じた。

続く

漫画の終盤に出てくる受験描写本命落ちること少なすぎるよね

本命に落ち、滑り止めに合格浪人するのもどうかと思ったので、なんとなくやる気の出ない大学生活が始まる……

みたいなの全然見かけないよね

2024-03-07

anond:20240307095220

社会におけるマイナー用語だとは思うが、院の在籍者にとっては極めて普通に学内で使われる用語だし、元増田自称を信じるならそもそもまだ社会に出たことがないわけで、何ら意図なくごく普通に使っただけかと。あと24学生って浪人留年してんのかって思われたらヤじゃん。

2024-03-03

知り合いが最終学歴高卒だったことがわかった。大学中退なのを隠してた。

別の知り合いで浪人留年してる奴がいて、そいつのことうっすら馬鹿にしてたからめちゃくちゃイメージ悪くなったわ。ただでさえ感じ悪いのに、自分学歴詐称かよ。

ていうか俺的には浪人留年中退どれが駄目って中退なんだが。途中で投げ出してるんだから

2024-03-02

コンビニカウンター越しの卒業式

日の出来事。

3月1日今日高校卒業式だったようだ。16歳の少しの期間を過ごした学校制服を目に留めて、気づいた。2005年まれの18歳、1人コンビニレジを切り盛りしていた。すっかり忘れていた。嗚呼今日シフトを変えておけば良かったと、白くなっていく脳味噌で思った。

 私は幼少から患っていた精神疾患を、高校一年の夏に拗らせ、通信制に転学した。真面目に生きてきたつもりだった。勉強もそこそこ、普通にやってきた、のだろう。行きたい大学もある。やりたいことも沢山ある。身体が、精神が許さないのだ。サボりだと思われるだろう。分からない人の方が多いだろう。この感覚が、私が文章を綴っている媒体から、君の指先に届かないだろうか。

 17の夏。残り一年精神状態回復がみこめない。そこで、通信制の特色を生かし、18の卒業時点で、単位を残すことで、推薦で大学に行くという道を残すことを選んだ。少し、悔しかった。

18の秋。あと1年を切るか切らないかの段階で、あまりにも外部と接触しない己を変えたくて、コンビニアルバイトをはじめた。はじめは精神もめちゃくちゃだったが、今月からスマホ料金や模試の代金も、自ら払えるまでになった。

 職場の方も優しい。過ごしやすい。少しずつお洒落趣味時間も充実してきて、忘れかけていた。

 そんな時、あの制服を見かけたのだ。3月1日だった。「あ、あぁ…」と、マスク越しに声が濁った。私が一年遅らせた卒業が目の前に迫った。しかも、憧れていた、やっと入学できて、そして去った、その場所が。

 女子生徒2人だった。彼女らは店内を見て回る。私がフェイスアップに努めた、袋菓子の棚を。先程まで品出しをしていた、カップ麺を触っては、また戻した。顔に見覚えはあった。少し大人っぽくなっていた。涙が溢れそうになった。自らの再形成されかけていた自己肯定感を踏み荒らされた気分だった。意味もなく怒鳴りそうになった。彼女らは何も悪くない。別に何も悪くない。ただ妬ましかった。嫉んだ。憎んだ。

 数分ほど経って、2人は私の前にカゴを置いた。カップ麺と袋菓子複数打ち上げだろうか。震える声で呟いた。

「袋は…おつけしますか?」

顔を見合わせる2人は、すぐに

「お願いします!」

笑顔で言った。私はいつもより丁寧に、丁寧に、優しく、柔く、そうっと、バーコードスキャンして、袋に詰めた。割り箸も、おしぼりもつけた。お礼の言葉を述べて、袋を手渡した。弾けるような笑顔が視界に入った。

彼女らは私に気づくことはなかった。それは私があの頃より、身なりが整っていたからか?いや、そんなはずはない。

いなくなったやつのことなんて、きみたちは、ちっともきにして、いないのだ。

自動ドアが閉まった。私はカウンターの奥へ飲み物を取りに歩みを進めた。

始まる。予備校も塾もない、アルバイトをしながらの細々とした、浪人のような、現役生のような日々が始まる。

私の青春は、カウンター越しに幕が下りた。

2024-02-26

anond:20240226111439

被害者10歳だと加害者の年齢が24歳でも可哀想だと思うんだけどそういう考え方が無いんだ

24歳の大学院生女性浪人中の18歳男子家庭教師になり性的にとかは裏山

結局やられた側が抵抗できる体力だったかを重視してしま

10歳は無知すぎと弱すぎで可哀想

2024-02-25

毒親じゃなかったのに幸福に思えないか子供要らない

毒親に育てられ、子供のころ不幸だったけど、自分育児を上手くやると思って子供作ってる人がいる。

毒親を恨んでるけど、自分毒親に似ている自覚があって、同じことを自分も繰り返しそうだから子供作らないという人もいる。

まり考えずに子供作って、案の定虐待連鎖させ、あまり考えずに自分欲求充足のことだけを考えてる人もいる。

子供を持つ持たない、反出生主義の賛成派反対派、などの界隈には毒親関係する人が多い。

私の親は別に毒親ではない。虐待されてないし所得は高いほうだったと思う。海外旅行にも連れて行ってもらった。

習い事も塾も行っていた。今考えると結構コストが毎月かかっていた。

でもなぜかうっすらと小4くらいのころから、生きていたい気持ちが薄かった。

消滅したいというか、死ぬのは痛くて苦しそうだし、はじめから存在しなかったことになりたいような気持ちがうっすらとあった。

いじめられてもいない。いじめターゲットにされるような目立ち方をしたことが無かった。

クラスメイト部活の先輩、先生、誰にも悪い印象は持ってない。部活の後輩にはなんかナメられてた気がしたけど、どうでもよかった。

社会のレールから脱落したこともない。中学受験メジャーではない地方都市高校受験をして進学校へ、そこから駅弁正社員就職

大学浪人就職浪人のような所属のない時期を過ごしたことがない。

うっすら憂鬱ではあるけど、明確な鬱状態になって勉強仕事ができない、部活に行けないなどのダウンをしたこともない。

恋人いたことも数回ある。周囲の人間に対して不満がない。周りの人間のせいで幸せが無いんだというふうには思わない。

生きていてよかったとか、子供を作り子供にも幸福を感じさせよう、という強い欲求を感じる器官が無いという欠損が、こちら側にあるから駄目なんだと感じる。

異性叩きや若年世代叩きや老害叩きや政治叩きや外国人叩きなどに熱心な人たちは敵を殲滅すれば幸福が得られると期待をもっていそうだ。

他人に怒るエネルギーを持っている人間のほうがよほど子供を持ちそうに思う。子供を持つには負のもの攻撃的なもの、害あるものを含めて「エネルギー」が必要だ。

何も考えずに子供を持ち虐待連鎖させる人間は「子孫をのこすタイプ人間」だ。

自分はとりあえず生きているだけで、怒ったり期待したりすることができない。

不幸でもない。生きていて金に困ったり暴力を受けたりしたことがない。

死ぬまで生きているだけなのだろう。交際は向こうから来たパターンしか発生していない。自分からは何もできない。

意欲が持てないのだ。恋人ができれば、結婚すれば、子供ができて育てばそこに幸せがあると期待できない。期待しないから怒らずに済んでいるのだが。

今の状態でも不幸は感じていないし、子供が夢を叶えただので親として強い幸福を感じる、といったことを求める気にならない。

子供が重度障害で生まれたり、子供犯罪を起こしたりして、強い不幸を味わうのも嫌だ。

要するに意欲がない。感情上下に耐えられるだけの元気がない。

学歴コンプこじらせて閉鎖病棟に入れられた

登場人物

 ・父

 ・母

 ・第一子 (以下,私)

  2000年まれ大学4年生.3年生を2回した.

 ・第二子 (以下,二号)

  2002年まれ大学3年生.幼稚園から大学学科まで私と同じ.

 ・第三子 (以下,三号)

  2005年まれ高校3年生.幼稚園から高校まで私と同じ.

大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.

 ・実家から通える,

 ・理系の,

 ・国公立大学に,

 ・予備校などには頼らず,

 ・現役で合格すること.

これら全てを満たせば学部卒業するまでの生活費学費も払ってくれるという.

私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.

同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.

が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれ環境にいるということを私は知っていた.

そして私は父の出した条件に従うことにした.

実家から通える理系国公立大学は3校あった.

 ・A大学

  通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・B大学

  通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・C大学

  通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験得意科目の配点が大きい.

A大学にどうしても通いたかった私は,合格可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.

私はC大生になった.

入学一週間後には,自分大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.

シラバスを読む限り1年生の講義高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.

1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.

やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.

私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センター数学で65%しかとれないくら勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.

とんでもないところに来てしまったと心から思った.

やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.

堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.

3年生前期のGPAは1を下回った.留年が決定した.

その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人視野に入れているという.

一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.

私は理解できなかった.親の方針って,絶対的ものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.

親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.

与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ

私は自分の至らなさを受け入れられず自殺未遂をした.

校医に紹介された精神科へ通うことになった.

はっきり言ってこれは逆効果だった.

医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.

結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.

今度の主治医旧帝大出身で,博士号までもっていた.

学歴コンプさらに加速した.

だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善大学へ通えるようになった.

真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.

通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語先生相談したら週1でレッスンをしてくれた.

特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.

次第に興味の対象が広がり大学院へ行きたくなってきた.

進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.

その部屋には布団とトイレ監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集勉強もできなくなった.

数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.

入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.

入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.

昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.

夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.

二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.

三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.

からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.

2024-02-20

anond:20240219144354

友だちが今年浪人したんですけど、その子四谷学院で友だちになった方と背景がものすごく似ていてちょっと気になった次第です🙇‍笑

合格おめでとうございます❣️

2024-02-13

ボーっと生きている

定年が見えてきた会社員だが特に何も成さずボーっと生きている

中流家庭に生まれて三食食べることはしてもらい屋根のある家でダラダラ過ごした

勉強は全く好きではなかったし幸い塾に行くほどのお金も無かったので家で漫画読んだり気合いでねだって買ってもらったパソコン雑誌ゲームを打ち込んで遊んでた

夏休みなどはじいちゃんばあちゃんの家に預けられて朝から晩まで山や海や川や草むらで遊んで過ごして当然宿題できずに終わるというのを繰り返した

学校勉強は嫌いだったけど教科書を読んだら分かる内容なのでダラダラと近所の公立高校へ進学

コンピュータが楽しくなったので大学へ行ってコンピュータで遊ぼうと思うが受験勉強をしなかったので大学不合格

近所の予備校がタダで通わせてくれるというのでダラダラ浪人

浪人中暇なのでバイトして自動車免許も取得

年末くらいからは観念してちゃん勉強して国立大学情報滑り込み

しか勉強できないので教養留年

家庭が貧しくなっていたので授業料をまけてもらってたのに留年でパー

たまたま収入だった父が職につけて払ってもらえた

生活費奨学金

専門に上がったら大変楽しくなったけど研究はできないし就職活動もしてなかったので教授先生にお願いして地元企業に放り込んでもらう

当時学生はそんなに就職に苦しんで無かった

学生の間力を入れていた同人誌作りを続けていたらコミケで今の妻と出会いすぐ結婚

一年くらいで子供ができてローンで一戸建て建てて引っ越し

計画なので子供も増える

奨学金もすぐに完済して子供健康に育ち長男特に勉強せずに国立大学入って留年

そこは似るのかよ

あとはこのままずっとヒラ社員で社内システム管理仕事して引退の予定

最近趣味はぶくま

意識が著しく低い

anond:20240213002110

未だにナオン呼びとか浪人界隈にいた時の心の傷が癒えてなくて草

anond:20240209092737

私の人生

さなから利発であった

勉強が得意だったので医師を志した

高校生の時に恋人に入れ込みすぎて勉強サボったら大学は落ちた

一方彼女はすんなり進学して都会で男を作った

浪人して大学に進学してからは勉学に専心するためナオンを断った

卒業した後も立派な医師になるまではナオンは要らないと心に決めた

枯れた

立派な?医師にはなった

高校生の時に彼女と食べたラーメンはこの世のものとは思えぬほどにうまかった

それを今日思い出した

2024-02-12

anond:20240212113816

あのへんの進学校って、現役と浪人東大行くやつの割合が同じくらいなんだよな

結構浪人で身を落としてしま受験生って多いんだけど、浪人生同士で支え合う仕組みが出来てんのかな?

灘高といっても現役で東大受かるの結構難しいんだぞ。断じて余裕ではない

トップ層→理3or理1or海外

何を持ってトップとするかは基準によるが、受験勉強トップは理3に首席合格しがち、数オリ物オリ勢は理1かな。たまにMITとか行くグローバルなやつもいる。


平均層→頑張れば理1に現役で行けるけどちょいきつい(一浪すれば大体行ける)

医学部なら京都府立医とかは現役で大体行けるが、阪大医は浪人しないと無理(関西だと阪医のすぐ下が京府医になってしまうがこの2校はレベル差がめちゃくちゃあるので...)。

2024-02-11

学歴コンプは一生背負うけど、勘違い学歴を誇る魔法も一生モノ効果がある

自分地元には旧制ナンバースクール中学ルーツとし、かつては屈指の難関、名門だった県立高校がある。

その高校Wikipediaの著名OB欄は学者官僚財界人作家軍人がズラーっと並んでいる。

しかし実はとっくの昔に凋落し、今は東大なんぞもはや4~5年に1人くらいしか出なくなり、私大浪人込みの延べ人数合格実績ですら早稲田40人慶応10人くらいが平常運転になってしまった。

それでも地元ではこの高校の生徒は神の子扱いだし、生徒自身自分学歴学力に対するそうした評価について一点の疑いも抱かず胸を張っている(なぜかまだ高校偏差値68くらいある)。

さて、この高校の学年上位1/3あたりの生徒は現役で青学明治あたりに合格し、そのまま進学することになる(この高校明治青学がやたら多い)。

5chやYouTube的な学歴価値観では

「俺は明治青学とき人間だったのか……」

と悲しみの進学と相成るところだが、この高校の生徒の場合は違う。

『素晴らしい名門である我が母校において、学年上位層をキープしてた自分が進学する明治大学青山学院大学は凄いエリート大学だ!』

と当然に発想するので、彼らは胸を張って目を輝かせて明治青学入学することになるのだ。

この思い込みは強い。

落ちぶれてからとっくに30年は経っているカビの生えた県立高校入学し、そのレベルの低い母集団で中の上をキープし、実力通りの大学合格するだけで、

東大合格したくらいの誇りや自己肯定感を得られるも同然なのだから

俺が新卒入社した大手金融機関の同期に、『この高校明治青学に現役進学』という典型的な経歴の持ち主がたまたま3人もいたのだが、彼らはやはり高校以降の自分の経歴、人生を誇っていた。

大手金融といっても東大新卒なんぞ滅多に入らず、日東駒専からトータルで軽く2桁人数は入社するような程度の格の企業だったけど、

やはり『誇り高き彼ら』は自分人生栄光を疑わなかったし、そんな自分入社した会社泣く子も黙るエリート集団だと当然に思い込んでいた。

自分の将来を案じて卑屈な発言を繰り返す慶応経済(体育会運動部)出身の同期の嫌味やネガティブ発言や諫言を全て「わけのわからないノイズ」とばかりに余裕でスルーし、

彼らが相変わらず強がりではなく本心から勝ち組を疑わない様子見て、

勘違い東大並みの効用すらもたらす』と感心したものだ。

東大医学部なんか目指す必要はない。

スポーツ全国大会を目指す必要もない。

ただ、旧制中学ルーツの落ちぶれた県立名門高校入学するだけで良いのだ。

地元人間なら老いも若きも崇め奉ってくれて、同級生勘違いし続け、教師も誇りを抱くよう教育し、

やがて本人は労せずしてその高校発の過去の栄光自意識下で体現することとなる。

そしてその効果は落ちづらい。

幸せ絶対的ものだとしたら、彼らは間違いなく幸せ人生を勝ち取ったことになる。

2024-02-10

実家は太くも細くもなかった

実家は太くも細くもなかった。統計年収中央値、300万くらいは年収がある家だった。

田舎の有名企業工場ブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。

勉強田舎公立中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。

高校進学の時、親は地元偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。

で、ここからである

まず、この高校に進学するとき約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。

周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。

からちゃんと親に言った。「大学に行きたい」と。

そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。

ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。

親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取り20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。

その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。

でも、この世帯年収特別生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMac自分バイト代と親の援助で買うことができたのに。

から大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。

けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。

親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らし最初資金だけは援助してくれた。

それ以降は、昼間バイトして夕方から大学勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパート家賃も払うという生活をしていた。

でも、大学お金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。

そして今、大学出会った人と結婚して、子どももいて東京暮らしている。

この街に住んでいると感覚が狂ってくる。

区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子ども学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。

こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。

しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。

知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。

実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。

それは統計情報も示していることだ。

それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしま世界存在する。

まり、この日本には格差がある。

これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。

からしかたらこ結論が分からいかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。

だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。

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