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はてなキーワード: 総合病院とは

2024-05-30

anond:20240530161642

そうなんだ……。

子供入院で(親の入院でもだけど)総合病院大事さを知ったから、出来てくれたら安心なんだけどなあ。

anond:20200511235418

埼玉南部にいると小児科総合病院の少なさに苦労する。

風邪症状の悪化した、入院しなきゃ死ぬかもレベル町医者小児科でぎりぎりの判断だったりして、

いざ総合病院に駆け込むとなると車で30分かけて隣の市、東京都千葉などの総合病院に行って入院するしかない。

田んぼや広大な土地が消え、タワマンができ、町医者が増え、教育塾が増え、発展したなと思うけどうちの市には小児科総合病院がない。昔から都内に頼らないとならないわけですわ。

子供入院したとき時間がかかってあわや、という感じだったので、どうにか変わってくれんかのう。後世のためにも

2024-05-26

anond:20240526124931

技師である程度稼げるのは病院勤務だな。総合病院ならなお良い。

俺が勤めてるのは整形外科クリニックなんだがクリニック系は軒並み低い。大卒初任給からまずそんなに上がらない。

病院はもう俺の年齢で身につけるべきスキルがないからどこも取ってくれない。悲しいがこれが俺の現状だ。

2024-05-21

anond:20240521222753

かかりつけ医って親身になってくれるものなのとちがうん?大丈夫

救急事情話して総合病院でもいってみてもらったほうがいいのかも?

婚活男だけど30過ぎてくると結婚相手選択肢上方婚しかないんだけどどうすればいいんだ?

 35才年収700万円。上場企業で働いてる底辺弱者男性増田だけど

女性下方婚をするメリットがない」って増田投稿を見て驚愕してる🫨


男で35を過ぎたら婚活相手候補基本的上方婚しかないんだわ


 独身女性年収独身男性よりはるかに高いことはよく知られた話だ

実際俺の婚活で並行してる女性もそんな感じの人ばかりだわ


 1人は同い年の女医北陸の方の医学部医学科出たらしい)さん。総合病院で働いてるらしい

身長は俺より高い。年収も俺より高いだろうって感じ

 もう1人は3つ上の地方ゼネコン社長令嬢。親の会社事務をしてるとのことだ

どっちも俺より格上だわ


 女性にとって下方婚メリットないんだったら、結婚してもストレスが双方にかかるだろうし、付き合いやめた方がいいかもなあ

 妥協して20代後半くらいで年収4-500万円くらいの格下の女を選んだ方が全体的として幸せかもなあ

2024-05-17

資金源あるクズ医者総合病院クズ弁護士を雇って殺人三昧か

隠蔽裁判所に行って毎回吐くような話

あいつらが人間肉団子になればいいのになと思います

2024-05-16

月曜から夜ふかし最新回を見てて思ったんだが

歯医者って他の医者に対してコンプレックス持ってんのか

知らなかった。偉そうだから「お医者様だぞ」って思ってるのかと思ってた

正直、患者からしても歯科医師医師って明確に違う感じがするよなあ

皮膚科とか耳鼻科だとまあ内科もいけるんじゃね?って思うけど、歯科はなあ

(偶にQQで総合病院に行くと当番の医者歯科だったりして笑うけど。何が出来んねんて。「明日また来てね」って言う係かよ)

医者も奥が深いね

兎に角大変な仕事だと思うよ

でも人に感謝されるしやり甲斐もあるし金も貰えるし社会的地位も高いし、良いよね

こちとら全て真逆仕事なんでね(こんなに大変で辛い思いしてるのにな)

やっぱり学生時代頭脳資金をフル稼働しないと前者の様な仕事には就けないよね

もし頭脳資金があっても、医療に携わりたくはないけどね。その2つを使って違う仕事に就くべく学ぶわ

仕事には結びつかない学問を修めた身としては、仕事に直結する勉強ってのがピンとこないんだけどね

学問道楽みたいなもんだと思っているからね

学問の延長線上に仕事があるとかだと幸せだよな

2024-04-29

anond:20240429092619

歯医者がこんなに増えたのは1980年代以降だから

法律が変わって規制が緩和されて単科医院設立がしやすくなったか

それまで歯科って総合病院しかなかったから気軽に行けるものじゃなかったんだよ

2024-04-11

anond:20240411165930

同意しかない。

どうでもいい肩の痛み程度ならその辺の開業医行けばいいのにね

元増田はこれを「すごく珍しいことを体験した!」と思ってわざわざここに書いたんだろうから病院慣れしてない人なんだろうな。

なので総合病院に行くべきか開業医に行くべきかの判断ができなかったのかも。

anond:20240411124506

紹介状なし受診だと思うんだけど、選定療養費かからなかったの?

自分難病なので大学病院の通院歴かなり長いけど、ここに書かれてることが苦手なら、元増田総合病院とかの大きい病院に向いてない患者だと思うよ。

anond:20240411124506

最近総合病院は問診票を書かなきゃいけないような新規外来は受けたくなくてそんな風に居心地悪くしてるんだよ

から紹介状診療情報提供書を持っていこうね

2024-04-10

anond:20240410023429

点滴打って返されるのは精神科病棟がない総合病院くらいだろ……

2024-03-31

とにかく田舎での暮らしが怖くて震えている

現在地方にて1人暮らしをしている20代の男。

まれ育ちは都内社会人になって数年を経て地方に転勤となった。

ここでの生活は本当に怖い。

買い物はイオンスーパーで事足りる。

近所付き合いも問題ない(あまりないが)。

仕事内容も人間関係問題ない。

最大の問題点は病院がないことである

総合病院小児科併設の内科クリニック、眼科クリニック、耳鼻科クリニック。

これしかない。

県庁所在地まで行けば大学病院もあり、ここよりはクリニックも多いがそれでも地元に比べれば少ない。

選択肢がないのだ。

俺は既に都内にて人生初の胃カメラ大腸カメラと胆、膵、肝、腎のエコーをしており異常はなかったため消化器についてしばらくは問題ないが、大学病院やがん連携拠点病院にて10年以上研鑽した医師検査を行う消化器内視鏡クリニックなんてここには存在しない。

総合病院の消化器内科医師が少なく経歴も載っておらずこちから選ぶことはできないようだ。きっと内視鏡AIも搭載していない。

胃がん大腸がんになれば早期発見できずに確実に死ぬ

耳鼻科ファイバースコープ設備を持っていない。総合病院への紹介が必要らしい。これでは20代、30代の若者がなる咽頭がんを早期に発見することができない。都内にいた時は定期的にかかりつけの耳鼻科にて鼻炎や喉の痛みを訴えてファイバースコープをしてもらっていたがここでは気軽にできない。

咽頭がんになったら早期発見できず確実に死ぬ

内科クリニックはおじいちゃん先生小児科担当のおばあちゃん先生のみ。人柄は良いようで評判も良い。

しかし、熱を出して通院した際に血液検査をせず喉を視診してリンパを軽く触診しただけで「喉かぜだね〜」と診断した。地元病院では不安症な俺を気遣い、熱がある時にはいつも血液検査をしてヘモグロビン白血球CRPの数値を見てくれた。ここではそのように親切な病院はない。

白血病になれば早期発見できず確実に死ぬ

そう。

この田舎では大病を患えば確実に死ぬのだ。

「気になる症状があれば病院に」とは言うが、ここにいる医師たちは「何かおかしい」という症状がなければしっかり診ない。

若ければ尚更である

「何かおかしい」という症状が出た際には既にリンパ転移や肝転移を起こしているため確実に死ぬ

まさに「医者に殺される」という状況である

しばらく移動はないため数年はここで暮らす必要がある。

俺は一人っ子で他に兄弟はいないため、絶対に親より先に癌で死ぬことは許されていない。

以上のことから待遇も良く人間関係にも恵まれているが、仕事を辞めて都内に戻ろうかと考えている。

給与待遇が下がっても病院の多い都内に住みたい。

田舎病気になれば助からない。

ここはアフリカと一緒。

2024-03-27

胃が胃たい

なんつって

4年前から胃たい

レントゲン胃カメラMRIも、異常なし

胃たみ止めも試した

ロキソニ胃ンも試してみたが、意味ない

リリカとかもダメ

何が原因かわからん

総合病院かいくべきだろうか

しかし胃常ないだろうなぁ

実は胃じゃなくて右胸の骨が原因とかだろうか

2024-03-24

anond:20240323152228

油絵を見る機会ってそんなに無いかな。世田谷区小学校出身だけど、油絵なら名画のレプリカが校内に飾ってあったけどなあ。

百歩譲って校内に飾ってなくても美術室になら油絵って置いてないか

自分はそのあと区立中学に進学して美術部に入ったけど、美術部の部室(美術室)には部員が描いた油絵もたくさん置いてあった。

あと役所病院開業医総合病院ともに)もなぜか油絵が飾ってある確率高くない?

本当に油絵を観る機会がなかったのではなく、単に興味がなくて視界に入ってなかったのでは。

2024-03-23

「わりとある」という表現

レイプ被害の6歳未満女児がわりといる

数年以内に亡くなる例が多い

レイプされた女児を見た時は吐き気が止まらなかった

 

こんな感じのポスト炎上していた(させられた?)。

なんでも年間60件程度しか発見されていないのに一人で何件も見ているなんておかしい、嘘に決まっている、誇張するバカ言葉は信用ならないetcという点らしい。

 

自分はこれを読んで「ポストした人が何件も目撃している」とは思わなかったので何故そんなに疑われているのかが分からない。

日本で実際にある被害だとしても身近で起きるとは思っていなくて、実際に目撃して「本当にあるんだ=わりとある話なんだ」と感じた話だと思っていたから。

総合病院の数で件数を割って0.02%ぐらい(うろ覚え)しか遭遇しないから何件も1つの病院になんて!というものもあったが、強姦に限らず事件の起きやす地域というのは存在するし年に2件が同じ病院に運び込まれることが絶対にないと言い切れるんだろうか。

 

そもそも1件でも相手が成人でも男性でも許されることではないのに、12歳未満相手は60件しか起きてないから!と言う主張の方がグロテスクに感じた。

2024-03-20

anond:20240320101739

一般的な量で満足感はないけど足りてるのか、バカ食いの量じゃないと栄養不足でぶっ倒れるのか、前者なら我慢してればそのうち慣れると思うぞ。

とりあえずその辺の内科行って相談総合病院検査するにしても一回個人クリニック行って紹介状書いてもらわないと初診料が高い。

2024-03-16

anond:20240308183813

ありがとう

月曜在宅にして、毎日9時間寝ていたら回復してきた。繁忙期の疲れ+生理で苛々マックスだったらしい。あと、総合病院メンタルヘルス科の予約もいれた。アランはまだ呼んでないので買ってみます

2024-03-13

総合病院勤務医ワイ、クリニックでこっそり痔の手術

スッキリしたで

2024-03-09

俺の履歴書・上

俺は医局内でうだつの上がらない眼科医父親と、同じくうだつの上がらない乳腺外科医母親の一人息子として生まれた。

うだつの上がらない両親は医局内で粗雑に扱われており、かと言って開業する気概資金もなく地方郊外の関連病院を行ったり来たりしていた。

そのため俺はいつも都内にある母方祖母の家で過ごした。

スポーツも不出来で両親と同じく気弱な俺が平穏学生生活を送ることができたのは、幼稚園から高校までエスカレーター私立男子校に進学したからだろう。

母校は俺が入学した時には既に開成筑駒などに大きな差をつけられていたが、同級生には芸能人経営者の子息がたくさんおり、彼らとの格差を感じずにはいられなかった。

高校卒業した俺は1年間の浪人を経て都内私立大学医学部に進学した。

大学時代一年目は強制的寮生活となった。

部屋の先輩はスポーツ推薦で入学した他学部学生であり、俺とは全てが真逆だった。

合コンに明け暮れ、大量の酒を飲み、それにも関わらず部活で結果を示していた。

先輩は善意から俺を合コンや遊びに連れて行ったが、お互いに気が合わないとわかってからコミュニケーション殆どなくなり、寮から出られる二年目以降は祖母の家に帰った。

大学卒業した俺は東京を離れ地方総合病院にて初期研修に入り、そのまま内科の道に進んだ。

当初は呼吸器の道に進もうと考えていたが、実習中に見た気管支内視鏡のおぞましさと患者の辛そうな様子を見てやめた。ちなみに内科のローテート中でもこの気管支内視鏡を目にするのが一番嫌だった。

消化器に進んだころ、病院薬剤師をしていた妻と知り合った。

内視鏡指導医が義父と友人であり、俺を紹介したのであった。

妻は俺が女性経験がないことを知ると「その歳で…?信じられない…」とドン引きしていた。

結婚式の際、地方で代々事業を営み財力もあり顔の広い義父の招待客でホテルが埋め尽くされる中、隅っこで父と母が小さく座っていた。

結婚後、妻との営みは片手でちょうど数えられる回数しかなく、妻は俺の性的能力の低さを侮辱し俺は男性機能喪失した。

そのため俺と妻の間には子供がいない。

完全な家庭内別居が始まり、消化器内科医として一人前になった頃にちょうど病床の母が亡くなった。

乳腺外科医の母は遠隔転移を起こした乳がんにより亡くなった。

見舞いも拒む妻は当然葬儀の日にも予定を入れており、俺は一人で東京に向かった。

通夜葬儀を終え家に帰る新幹線の中で人生の虚しさを感じた。

続く

2024-02-24

[]番外編

一生に一度は言ってみたいセリフ

「〇〇番の方、外科〇番診察室にお入りください」

近所の総合病院看護師や受付じゃなく、診察室の机に設置されたボタンマイク医師が直接患者を呼ぶ。

あのアナウンスカッコいい。

必ず俺も言ってみせるぜ。

2024-02-13

anond:20240212235504

未分化胃癌所謂スキルス胃がん)のことを言っているのでござますな?

かにスキルス胃がんは「バリウムの方が見つけやすい」と言われることもあります

しかし、あくまで「見つけやすい」だけであり、確定診断にはやはり内視鏡検査必要なのでございます

また所謂スキルス胃がんもそのほとんどがピロリ菌胃炎により萎縮した胃粘膜の一部から発生しているという事実にも注意が必要でございます

非常に若いピロリ菌陰性の方がスキルス胃がんに襲われる闘病記事番組散見されますが、実際には通常医師人生で一度も巡り合うことがないと言っても過言ではないほど少ないケースなのですな

内視鏡を専門にしている人間(消化器内視鏡専門医を持っていても出身救急であったり小中規模の総合病院転々とし専門的なトレーニング長期間受けていない例もあるので注意)ならば胃カメラ中は些細なびらんでもよーくよーく観察し必要ならば生検を行ったり半年後や一年後の胃カメラを強く推奨して経過観察するのでございます

まり大きな声では言えませんが、被爆リスクなどさまざまなファクター考慮した結果として、萎縮していない胃粘膜から突然発生し急速に進行する超絶稀な胃がん心配してバリウムを受けることはお勧めできないのですな

補足

画質の点から上部内視鏡は鎮静剤を使用してでも経鼻ではなく経口で行うのがおすすめですな

逆に大腸カメラは引き抜くカメラと反対の腸壁をよく観察したりするためにも、力を入れたり息を合わせる必要があるので鎮静剤を使わないことをすすめます

2024-02-06

俺の実家は太い

実家が太い云々という増田を目にして、俺もつ自分人生について書きたくなった。

約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。

医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。

そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。

まず前提として俺の家系は代々医者一族で、父方の祖父地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院理事長をしていた。

その祖父思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。

母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。

当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父漠然尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。

俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。

そんな祖父プレッシャーのせいか物心がついた頃にはもう塾に通っていた。

習い事も多くさせられ、ピアノバイオリン空手水泳テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。

これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。

また、センス問題なのかモチベーション問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。

ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまたこともある。

いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。

朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。

勉強ストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。

ネットテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。

そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校入学することはできた。

しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。

小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。

当然の帰結かもしれないが、イジメにあった。

と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマアニメで見るような苛烈ものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。

いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。

クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。

留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。

当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。

しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。

もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。

とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。

それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。

そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。

が、2年前くらいかセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。

もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家幽閉され続けるのだと思う。

もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。

そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。

から今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォン通信量を払い続けいてるんだと思う。

多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。

から現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。

こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。

いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。

思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。

とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。

読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。

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