はてなキーワード: 金の卵とは
http://www.asahi.com/culture/update/0113/TKY201001120503.html
いよいよ大手出版社が紙媒体からデジタル媒体に移行するらしい。
「今年は電子書籍元年」とも言われてるとのこと。
このニュースの中で気になるのは以下の部分。
大手出版社幹部は「アマゾンが著作者に直接交渉して電子書籍市場の出版権を得れば、その作品を最初に本として刊行した出版社は何もできない」と語る。
マガジンがデジタル化してもジャンプは文句言えないことになる。
なぜ今までこういうことが起きなかったのか?
漫画もそうだが文章の場合、出版社に所属する編集者の校正作業が入っているはずだが
その著作権はどうなるのだろう?
中にはほとんど編集者が共著とも言える程、赤入れしてるケースもあるだろうし、
本当か嘘かは分からないが、ゴーストライターが書いてる芸能人本もあるだろう。
もっと複雑な裏があるような気がする。
手を出さないでほしいと思ってるのではないだろうか?
Amazonが独占して発行することは阻止できたとしても、
作家本人が専属スタッフを雇うか、Amazonが社内に編集部をつくるか、
もしくは外注に依頼することになるか。
http://anond.hatelabo.jp/20090719163243
昭和21年生まれの夫は、15歳のときに父親を亡くして、高校進学を諦めて就職せざるをえなかった。当時は中卒は「金の卵」と言われて、高度成長期を支える貴重な労働力だったから、仕事を探すのにはあまり苦労はしなかったが、もちろん低賃金だ。夜間の高校は行かせてもらえた。夜間高校の授業料はタダだ。それは今でも変わらないはず。昼間は工場で仕事をし、夜6時から9時までは高校生。
では、当時、今の奨学金制度などがあったら、夫は昼間の高校に行けただろうか?
無理だと思う。なぜなら「親への仕送りも含めた生活費」を稼がなくてはならなかったから。確かに今の住宅費と教育費は、とても高いと思うけれど、住宅費と教育費がタダになっても、子供に教育を受けさせるのが、子供にお金を稼がせることより大事と考える親がいなければ、どうにもならない。
1.人間性を評価される
→つまり、振られる=人間性の否定
2.評価基準が曖昧
→定量的ならば年収、身長だが、就活は相手が欲しいと思うか否か
3.落ちたとき、フィードバックが無い
→なぜ否定されたのかがわからない。解決の糸口が見つけ出せない
4.短期間の努力では解決するとは限らない
5.人生最後の関門
6.どこに地雷があるかわからない恐怖
→無名優良を独力で探すのは至難。
7.挽回が困難。
→一度落ちるとはい上がりにくいシステム。チャレンジしにくく、安全志向が増える。6と合わせて若くて美人な女性に男性が集中する原因。
→「金の卵」にはわからない。
高度成長期と違い高卒出身の重役などは望めない時代。中小企業が十数年で大企業、というのも望みにくい。
とりあえず、でお見合いした世代とはズレが大きすぎる。
何となく、で結婚した人達に、「絶対第一志望。確固たる理由」を求められる不条理。
結論。
本来、結婚生活なんてやってみないとわからない。
1.人間性を評価される
→つまり、落ちる=人間性の否定
2.評価基準が曖昧
3.落ちたとき、フィードバックが無い
→なぜ否定されたのかがわからない。解決の糸口が見つけ出せない
4.短期間の努力では解決するとは限らない
5.人生最後の関門
6.どこに地雷があるかわからない恐怖
→無名優良を独力で探すのは至難。
7.挽回が困難。
→一度落ちるとはい上がりにくいシステム。チャレンジしにくく、安全志向が増える。6と合わせて有名企業に学生が集中する原因。
→「金の卵」にはわからない。
高度成長期と違い高卒出身の重役などは望めない時代。中小企業が十数年で大企業、というのも望みにくい。
とりあえず、で就職した世代とはズレが大きすぎる。
何となく、で就職した人達に、「絶対第一志望。確固たる理由」を求められる不条理。
結論。
本来、仕事なんてやってみないとわからない。
他人と違う感想を持つことも言うことも全く問題ないと思うけど、誰かがなんか感想を言った後にそれを否定するようなタイミングで言ったら、「どうしてそういうひねくれたことしか言わないのか」という印象になるかな。そういうことじゃないのかな。そうじゃなかったら(疑うようなことを言って)ごめん。
でもそういう性質の人だったら、逆にオタク気質の男性(素人批評家タイプ)と相性がいいと思う。相手の感想を尊重して、自分の意見を控えるような一般的なタイプの女性だと無意識のうちに色んな感情をセーブしちゃうから、こういう人が相手だと我慢の連続になっちゃって相性良くないんだよね。そういう人にはセーブしない増田みたいなタイプが向いてる。珍しいタイプなので、むしろ金の卵だと思う。
確かに高いと思う。たぶん、会員になって購読して欲しいからわざと高くつけてるんじゃないかな。一本1ドルとかで気軽に落とせるようだとわざわざ会員になろうとは思わないっしょ。
まあそういう戦略が今後も成り立って行くかどうかはわからない。
もちろん、知の共有という意味では無料でどんどん出す方が良い。読者にとっても著者にとってもね。ただ、巡り巡って学会運営が成り立たなくなっちゃったら、そもそも質の高い論文が集まる場が無くなっちゃうわけで、金の卵を産む鶏を殺すことになっても困るしなあ。
自分はそういう場を維持したいと思ってるから、ACMとIEEEは自費で会費と電子ライブラリの料金払ってるよ。計算機関係だと著者が自分のサイトでも論文公開してることが多いけど。ただまあ、日常的に会員になるほどの接点は無いけれどたまたま参考に見ておきたい論文がヒットしちゃった場合は確かに困るわな。新しめの論文なら著者に連絡すれば送ってもらえるかもしれないが。
野麦峠にしろ、上野の大火災(工員達が避難を禁止されたために、一酸化炭素中毒死、熱による焼き殺しの目にあって退寮に死亡した)などの、工場労働者の悲惨な環境というのは良く聞きます。
次に、農村は当時、戦後の農地改革によって、土地が小作人に分配されたために、それよりも以前と比べると、楽になった(もちろん絶対的には過酷な状況)という認識しかありません。
もちろん、口減らしによる人売り・人買いがあり、野麦峠にしろ、上野の大火災が起きたことは認識しています。
その2つが前提で、
金の卵というの単語が、優秀な人に付けられた標語であったか、単に単純労働者を騙すための詐称であったか。という使い分けについては
後者であったと思います。農村が苦しく人減らしで売られてきて、過酷な労働に従事する。どうみても、人買いの世界であって、優秀な人に高い給料を支払って才能を育てる。
という世界であったとは思いません。
なので、おっしゃられていることは、金の卵が単純労働者、過酷な労働者を指す言葉であって。儲かるのはそれを取得した、オーナーである。というのを補強こそすれ。反論ではないと思います。
金の卵は、オーナーから見てカネになる卵だ。というのが、当時の上流階級というか、経営層の認識であった。というのは、おかしくないと思いますが。いかがでしょうか?
※そして、それは、現在の一部の転職市場や、一部の日雇い労働市場にも同じような、うわべはいいけど、中身は違う。というケースが存在しているように見えています。
そもそも、金の卵という単語は、
当時の新聞などが付けた単語。
使い方としては、優秀な人材のこと=金(きん)の卵とおだてていたが、
実際は、工場労働者で野麦峠で想像されるような過酷な労働だった。
ガチョウではなく、卵の方。という所から皮肉を感じ取って欲しいのと。
戦後当時の上野に上京してきた、労働者が実際は過酷な労働だったという時代背景を察した上で、
当時の金の卵という単語が、いわゆる誇大広告だった(まさに、人買いのだまし文句だったという暗喩)。という事を感じて欲しいのだが?
確かに、優秀な若者もいただだろうが。大多数は野麦峠ほどではないものの、過酷な労働だったはずだし、いろんな人権問題がおきていたはずだけど?
問題はその計画が全然功を奏していないという点なんだが、これからどうするの?若者は賢くなりすぎていてそういうフィクションが全然通用しないし、依然としてひっかかるのは2割程度にとどまっている。これを3割や4割に増やすことは不可能状態、つまりね、failureなんだよね。戦争でもしなきゃ経済体質を大きく動かすことは無理だ。
今の若者ってのはもうほんと金の卵状態で、むちゃくちゃ賢くなってるから、人生で何が大事かなんて見通しているわけね。中学生や高校生もうまく洗脳できない。つまり、いい大学、いい会社に入って、他人を操る側に回れる人間が勝者という考え方がいきわたっているから、恋愛主義とか触れ回っても鼻で笑われるだけだし、その空気に押されて恋愛至上主義者も肩身の狭い思いをすることになる。つまり、恋愛至上主義者は勝ち組競争のドロップアウターとしての烙印を押され、卑屈になってしまい、なかなか恋愛主義は普及しないことになる。というか、受験競争や就職競争の淘汰圧が強すぎて自殺者が増加している現状を見れば、今の若者がいかに賢くて、何に一点集中しているかが明白なわけよ。こういう状況では恋愛主義は負け組のなぐさみ事くらいの意味しか持ち続けられない。
あくまで集団就職をしたのは、その世代の一部(中卒で農業の次男・三男という条件を満たす)と言えるので、あまり具体的な追跡資料はないようです。
(見付かったらぜひ教えて下さい)
比較的資料と言えるかもしれないのは、
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95-01402.html
●面白そうな論文
http://fm.koeki-u.ac.jp/~mihara/2005.1.20tsuchida.pdf
●関連書籍
現場労働者の工場小説・1960年の春・中学校を卒業して大手の製鉄会社に集団就職・その後、昼夜三交代勤務で働く労働の実態・家族・労働者の群像を描く小説集。
・「金の卵 転職流浪記 集団就職で都会へきた少年のそれから」大宮知信 1300円
集団就職で都会へやってきた少年の、「それから」。下町の個人商店や町工場に引き取られ、劣悪な労働環境の中で青春を駆け抜けた。元祖フリーター、「金の卵」の著者が描く哀歓溢れるエッセイ。
で、以下は個人的な意見ですが
集団就職した人達は、結局土地や家の相続ができない(居所がない)ために「集団就職」を選ばざるを得なかったわけで、田舎に帰ったケースはあまり多くはないのでは。
職を転々としながら、今は掃除のおじさんをやってたり、配達のおじさんをやってたりという感じなのでは…と思います。
グルメなタダ飯食いの戯れ言である。
Youtubeの登場はひとつのエポックメイキングな出来事だった。これによりウェブに動画をアップロードすることが非常に簡単になり、一気にウェブ上を流通する動画コンテンツの量が増加した。また、Youtubeが提供するユーザーインターフェースの各所や外部ブログへの対応もシンプルだが使いやすく強力だ。
国内では、個人による動画コンテンツのアップロードといえば、アップローダーを通じて細々とやりとりされるものであったか、P2Pネットワークを通じてのやりとりという房事的な行為であった。それが、Youtubeの登場により、品質・サイズ・長さの制約はあるにしても、誰もが簡単に手持ちの動画コンテンツをアップロードし公開することが可能になった。その結果、Youtubeはオンラインに存在する誰もが利用できるビデオライブラリーとなった。ただしそこで流通している動画コンテンツの内実は、Youtubeのキャッチコピーである“Broadcast Yourself”に見合う、利用者が自分で作成した動画コンテンツではない。Youtube開発者は個人のオリジナルコンテンツを公開する場というありかたを考えていたのだろうけど、だれがそんな面倒くさいことをしますか、そんなもののどこが面白いのですかという利用者側の声なき声に支えられて、共有ビデオデッキとして使用されているのがYoutubeの現状である。
YoutubeはWeb2.0の代表格として扱われている(*ソースを書く)が、その中央集権型のサービス体制は、食らいついてくるマッシュアップが生み出す2次的な付加の増大に対処し続けることができるのか。
Youtubeも権利者からクレームを受けることが増えて、違法コンテンツのアップロードには敏感になっている。つまり、当初のようなオンラインビデオライブラリー(←過去に放送されたテレビ番組の)という位置づけは望めなくなってきている。(確率的な閲覧(=アップロードはされるけれどすぐに消されてしまう))では、オンラインビデオライブラリーたり得ない)
すると、Yoububeは別の存在価値を己に課していかなければならないわけで、目下期待できる使い道は
といった案が思い浮かぶが、前者はめったに面白いものが現れない(知り合いの同士で撮影した動画を閲覧するという使い方はある。mixi動画はそういった用途で始まった)し、後者はマスメディアがそこになんらかの儲けを得られると考えなければ流行らないだろう。
Youtubeが潰れるにはどういう流れが考えられるか。資金難で閉鎖するか、偉い人に潰されるか。資金難は、広告で稼ぐというモデルでなんとかなるか。Googleにも買収されたし。いまのところ、Youtubeは金の卵的な扱いを受けているし。偉い人の件は、常に問題としてくすぶっている。
現在の漠然とした印象では、Youtubeは今のぬるい状態を続けながら、ぬるい動画配信インフラとして存在し続ける気がする。テレビクリップはアップロードされては消されるという確率的ビデオライブラリー(確率的というのは見られるときもあれば見られないときもあるということ)として存続する。その間、別のエポックメイキングなインフラ整備(たとえば携帯電話の通信速度高速化や利用料金の定額化・低額化)があれば、何か新しい使い道も見えてくるかもしれない。