はてなキーワード: 禅宗とは
位牌ってなんだか良く意味が判んなかったですが、こういうことだったんですねー なるほど
仏教は本来お位牌必要としません。われわれは釈尊の弟子であるため、他界では釈尊と一緒になれるはず、特に供養しなくても成仏になれるはずです。仏教の起源地インドでは、お位牌はほとんど飾られていません。
なぜ、日本はお位牌と仏壇が必要なのか、これは仏教の伝来、日本の文化に深い関係あります。
仏教は紀元後1世紀に 中国に伝わり、538年前後日本に伝わってきました。仏教伝来とともに、中国の文化や風習なども伝わってきました。古代中国の儒教では、亡くなった人の名前、官位などを板に記する風習あり、これは最初位牌の形です。
日本においでは鎌倉時代に禅宗の寺院で用いられたが、江戸時代以降一般家庭では用いられた。これは仏教の普及に密接な関係あり。
鎌倉時代に入ると、前時代末期からの動乱で仏教にも変革が起きた。それまでの仏教の主流が「鎮護国家」を標榜した国家や貴族のための儀式や研究に置かれていたものが、次第に民衆の救済のためのものとなっていったのである。さらに江戸時代に徳川家康は、寺院諸法度を制定し、寺社奉行を置き、仏教を取り締まった。また、人々には必ずいずれかの寺院に登録させるようにした(寺請制度)。そのため、今日に至る葬儀を取り仕切る主宰教としての地位を確立した。
仏教普及によって、仏壇仏具は細分化され、お位牌も大量生産の時代が来ました、本来は高価で上流階級しか買えないお位牌は、庶民の間でも簡単に手に入れることが出来ました。
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おはようございます。
東京の春は気持ちがいいですね。
去年の年末旅行先で、何気なく手にとった「般若心経」の解説文庫。
(これ、電車で読んでる時に後ろから見えるとすごくはずかしいというのはおいとくw)
2回も禅宗にもどるっつーことは、ご縁がふかそうかもなあと
勉強しといた方がいいだろうかみたいな軽い気持ちで手にとったんだけど
すんごく面白かった(笑)
人生なんてつらい事のが多いんだから
そのまま受け取ってても勿体ねーべ?
辛いことの合間に起こる楽しい事を拾い上げていくのが修行じゃねえかよ、
みたいな感じ。
あたま悪いからちゃんと読み込めてないけどね。
ちがうかもしれない。ごめん。
お経にかいてあるのもそういう事なんだから
私がちょっとぐらいへこたれててもいいんジャマイカと思った去年の冬でした。
ま、この年になると、そうそうそんなヘビーな出来事は少ないんだけどね。
正確には、少なくなっただけ、だから、皆無じゃないんだけど。
世の中には禅宗以外もいるんだから…
仏教の伝来には大きく2つのルートと二つの宗派があってだな…。
インド(原始仏教)―ダルマさん―中国―朝鮮―日本 (北伝ルート:大乗仏教)
インド(原始仏教)―ビルマ―タイ・ラオス・カンボジア (南伝ルート:上座部仏教)
というふうになるんよ。
んで、中国経由のほうの根本経典は、基本的に般若心経とか法華経とか、浄土宗だと無量寿教とか阿弥陀経とかの大乗経典。
仏教の経典っていうのは、基本的にすべてお釈迦さんが語ったものを後の世に経典に表したという形になってるんだけど、大乗経典っていうのはお釈迦さん以外の如来(ブッダ)が登場したり、観世音菩薩だの弥勒菩薩といった菩薩が登場したり、不動明王が登場したり、とにかくいろんなキャラが出てくる。
ちなみに大乗仏教ってのは、自分一人で悟って涅槃行ってもつまらんから民衆も救済してやるまいよ、という立場の仏教ね。
(これに対して自分一人が修行者として悟ることが第一と考えてるのが上座部-南伝仏教な)
もうこれだけでもわけわからんと思うんだけど、こんなわけわからんのは本当の仏教じゃない、っていうことでわけわからんことをやり出したのが禅宗で(公案とか只管打坐とかね)、それが日本に伝わってきて、明治になって鈴木大拙という人がアメリカで大々的に禅を普及したので、禅=日本というのも間違っちゃいないんだよ。
禅宗のお坊さん(?)が書いた本で昔読んだのだけど、重心足が片方の足の上になるように横になって、両足を浮かせて一瞬で落とすといいらしい。
それを何回か繰り返すと、脇腹の緊張が解けて精神が落ち着くんだとか。
わりと効くので是非。
家でしかできないのが難点といえば難点だけど・・・