はてなキーワード: 恐怖とは
でもその商品、評価ひっくいねえ
こんばんは、しがないニコ厨です。
さてさて、EXIT TRANCE PRESENTS CODE SPEED アニメトランスBESTという商品が市場デイリーランキングで、
7/22(日) 5位
7/23(月) 3位
7/24(火) 1位
7/25(水) 1位
と推移していました。昨日からランキングが自動化されましたね。
このアルバム、なぜ売れたかっていうとレビューにもあるように"組曲『ニコニコ動画』"を真似たのかと見紛うほど、
曲目リストが被っているかららしいですね。 あれだけ中毒性のあるものだとCDで欲しくなりますもんね!
ぼくは、昨日はてブ経由でニコニコ動画で行われているオープンソース現象 組曲『ニコニコ動画』
を読んで、そこから見事にハマり、だいたいの動画を視聴しました。
歌ってみた系、素材系、元曲系などなど、ほとんどの動画で上記の商品が市場の上位に上がっていました。
まあ実際に売れているので、当たり前と言えば当たり前か。
でも、左上に来るのを4回くらい連続で見たときは、さすがに違和感を感じました。
反論できてない。おまえみたいのが下手に反論するとな、強固な城壁にも穴が空くんだよ。だから、いいか、馬鹿は慎め。
痛みの恐怖というのは通常何者にも勝るんだよ。それを見落としておいて何が「反論してみる」だ。
専門知識がなくても反論できる方法で反論してみる。
それは大量のアドレナリンとドーパミンが順番に分泌されるからである。
吊り橋効果と似ていて、レイプ魔に襲われて恐怖を感じた時に、 アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、 自分が恋愛をしていると脳が錯覚して、脳が快感を与えるドーパミンを分泌してしまう為、 体が快感を覚えて反応し、
なるほど激しい恐怖が快感に変わるというのであれば、
人は最高の快感を味わっていることになる。
極度の興奮状態、それと「痛み」があいまって、
暴力沙汰に巻き込まれた人間の多くはマゾに開眼することだろう。
しかしそういう話は滅多に聴かない。
殴られた人間がその後殴られマニアになって、夜な夜なヤクザに殴られに行くとか、
殴られながら「もっと殴ってください」と懇願するとか、
殴っている相手に恋をしてしまったとか、
そういう話は寡聞にして知らない。
中には、元々そういう素養があって開眼する人間がいないとは言わない。しかし実際にはレアケースだ。
しかし恐怖によって大量のアドレナリンとドーパミンが分泌されそれが快感に結びつくというのであれば、
もっと多くの人間が暴力によって開眼し、それが常識となっていてもおかしくはない。
しかしそんな常識はない。
つまりは「レイプ魔に襲われて恐怖を感じた時に、アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、
自分が恋愛をしていると脳が錯覚して」というのは、意図的か妄想かはわからないが
まったくの嘘であると断ぜざるを得ない。
そもそも釣り橋効果とレイプによる恐怖を同列に扱うこと自体ナンセンスである。
釣り橋効果の場合、相手の男は「恐怖を与えているその人」ではない。
むしろ釣り場師という恐怖を朧にし、その状況から救い出すための安全地帯のような存在である。
元記事を書いたやつが本気でそう思っているなら言わずもがなだが、
この増田です。ご丁寧にどうも。でも通じてなかったみたいなんで、ちょっと補足させて。
そもそも発端は元の話の男にとってレイプに相当するものはガチムチのゲイって部分なんだけど、これ、自分もモヤモヤしてた。ガチムチのゲイに失礼だよねと思って。でもこの喩えがもっともだと思う部分もあって、ひとつは元増田が書いてた肉体的に敵わない相手からの行為ってことだけど、それすらも決定打じゃないよなと思ってて。ゲイの喩えのキモはやっぱ、突っ込まれる立場になるってことじゃね?と思って書いたのが、
で、返事のこの部分
を読んでつくづく思ったんだけど。強姦の要件=性行為の成立としてとらえて、女への性行為の強制も男への性行為の強制も同じに扱うべきという観点からは全くその通りだけど、同時に、行為の暴力性(という表現が適切か分かんないけど、とりあえず)としては、この2つが同じなんて全く納得いかないわけよ。ペニスが温かいものに包まれるなんてのは、突っ込まれるのに比べたら全然なまぬるい(洒落ではない)。そこんとこが全然伝わらないんだなあ、と。
男から見たら、どっちも一緒なんだろか。それは(男が女になれない以上)仕方ないんだろか。まあ、逆を考えると、ペニス持ってない女には、自分のペニスが意図に反して温かいものに包まれる不快感がいかほどかなんて分かんないんだけどね。そのせいで過小評価してる可能性は否定しないけど。けど。。。。おっぱいをもまれたとか、外性器を弄られたくらいじゃないかなあ、と思うわけよ。それだって嫌だけど、でも、それくらいの嫌さじゃないの?突っ込まれるのと同等なの?ホントに?
あんま男女の非対称性みたいな話は好きじゃないんだけどさ。セックスは非対称だ。たとえ好きな相手と充分な合意のうえでしたとしても、暴力性は無くならない(だから、そんな行為を許すって特別だよ的な。他の人だったら暴力であるような行為が、ある人となら暴力にならないってすごいことなんだよ的な。そんな逆説的な関係。セックスと暴力って)。性犯罪が女にだけ厚くなってるのはこのせいじゃないか。
でも、その説明だと、女性器だけでなく、尻の穴に突っ込んでも強姦罪が成立するとはなっていないのはおかしい、立法の不備だ、という結論につながるよね。
尻の穴に突っ込む行為が性行為であると広く合意のある社会であれば、強姦罪になるのが妥当と思うけど、たぶんまだ違うだろね。それに制度ってのは後付けで出来るもんだから。尻の穴に突っ込む犯罪が多発して、それが傷害罪で処理し切れない事情を持つと認定されたら、そういう制度になるだろうけど、それまではそうならないんじゃない?で、現実問題としてそういう犯罪が多発するか(かつ立件されるか)って言ったら当分はならないと思うので、潜在的(原則的)にはなってもおかしくないけど、現実問題としてはならないというのが今のとこの答えです。
あと話を振られたので答えてみたけど、ここで書いたのは、女にとっての強姦の恐怖は、男にとってどんなものに相当するかって話なので、犯罪の定義とは別の話ね。そっちの話をするなら、妊娠という要素が大きいと思う。
経験者から聞いた話なんだが、いじめようとすると大抵のひとは始めは嫌がるんだが、 暴れて疲れるとほとんど身動きも出来なくなる。もう好きにして状態になる。
大抵のひとはいじめられるとありえないほどの快感を覚える。
それは大量のアドレナリンとドーパミンが順番に分泌されるからである。
吊り橋効果と似ていて、いじめっこに狙われて恐怖を感じた時に、 アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、 自分たちは友達だと脳が錯覚して、脳が快感を与えるドーパミンを分泌してしまう為、 体が快感を覚えて反応し
改変してて吐き気を催してきた。吐きそう。気持ち悪い。まじで死ねばいいのに。この元コピペ書いた奴。いじめを虐待にしてもいいしDVにしてもいいし恫喝にしてもいいけど、自分が言われたらどうなのかね。レイプだから特殊なんじゃない。
例えば女性が男性に(殺意を感じるほどに)ボコボコに殴られたら、レイプや性的な行為が一切なくても、強烈なトラウマになったり、自殺したいと思ったりするのだろうか?恐怖感だけでそこまで精神的に傷つくのだろうか?
これは普通に同性同士でもあると思うけどな。
例えば女性が男性に(殺意を感じるほどに)ボコボコに殴られたら、レイプや性的な行為が一切なくても、強烈なトラウマになったり、自殺したいと思ったりするのだろうか?恐怖感だけでそこまで精神的に傷つくのだろうか?
やはり嫌悪感が決定的な役割を果たしているのでは?
女好きの男の人が、痴漢やレイプに遭った時の女の気持ちを想像する時は、痴女や逆レイプではなく、どう考えても腕力では勝てそうもないガチムチのゲイ(しかも武器所有)を想定して考えるといいんじゃないかな。
なんでそこでゲイが出てくるの?ゲイにとっては本当にいい迷惑だろう。それに、イケメンだろうが関係ない、腕力の違いこそが問題なんだと主張しておきながら、一般男性が性的嫌悪感を催すのが確実な(と思われる)ゲイを例として挙げるのは卑怯な論法だと思う。ガチムチのゲイじゃなくて、ガチムチの女性を想像しろ、とすればいいのでは?想像力が要求されるだろうけど。
痴漢やレイプの話をしていて、美人の痴女や逆レイプになら遭ってみたいとか言い出す男には、心底反吐が出る。女を狙う男の性犯罪者と、男を狙う女の性犯罪者を同列に語ることが、そもそも間違ってる。簡単だ。男の方が力が強いからだ。
基本的に女は、素手でも女を傷つけ、殺すことが出来る男の腕力が怖い。セックスが成立するのは、相手を信頼して身を任せてもいいと思えた時だけ。それ以外は夫婦間でもレイプだ。
「傷つけられる」「殺される」という恐怖感の前で、人間は本能的に体がすくむということを、忘れてものを言う人が多すぎる。性犯罪では、「気持ち悪い」「嫌だ」という嫌悪感ばかり取り沙汰されているけれど、それ以上に怖い。その気になれば、目の前の人間は自分に危害を加えられると分かっていて、声を出すことの勇気がどれ程のものか想像して欲しい。イケメンだろうとそうでなかろうと、自分の性欲に任せて相手をどうこうしようという人間は総じて怖いものなのだ。
女好きの男の人が、痴漢やレイプに遭った時の女の気持ちを想像する時は、痴女や逆レイプではなく、どう考えても腕力では勝てそうもないガチムチのゲイ(しかも武器所有)を想定して考えるといいんじゃないかな。もちろん真っ当なゲイの方々には申し訳ない話なのだけど、ポイントは嫌悪感だけでなく、危害を与えられるかもしれないという恐怖感なのだし。
女性専用車両の問題もそう。自分の周囲が毎日ガチムチのゲイの方々ばかりだったらと思えばいい。男=痴漢じゃないように、ゲイ=痴漢ではあり得ないのに、そのまま乗り続けられるストレートの男性がどれほどいるんだろうかと思う。
自分が腕力で敵わない相手から、性的な対象で見られることに、男は慣れてなさすぎる。だから一番最初に言ったみたいな、無神経な発言が出来るんだと思う。
http://lifehacking.jp/2007/07/ten-things-to-learn-before-graduating/
はてなブックマーカーは仕事中にブラブラとネット巡回してるくせに、仕事論みたいなものがホント大好きだよなあ!
僕の感想を言わせてもらうと、まったく嘔吐が出るね!あれしろこれしろって、俺は資本家ちゃんの奴隷じゃねーっつーの。これって「オーケ!みんなで社畜になろうぜ!」ってことでしょう?これ読んで喜んでる人って格差社会の下にいて快感を得てるようなマゾヒスト?それとも提案型営業が得意な自称コンサルタントみたいな人?
というわけで僕が社会で生きる上で本当に心がけてべきことを6つ書いておくよ。特に学生のみんなは参考にしてね。
会社では誰も責任をとろうとしない。責任を負うというのは目に見えない仕事で、目に見えない仕事は評価されないから。金はやるから上司は責任をとれよ、というのが年功序列システムだったのだが、これが崩壊して成果主義となったため、進んで責任をとる上司は絶滅寸前になった。責任感を胸に秘めるのは坊やの生き方である。責任逃れのテクニックを覚えよう。
会社の行く先なんてどうでもいい。いい給料でいい仕事があれば、迷わずそちらに転職すべきである。そのためには常に転職先を探しておくべきだ。それが自由経済というものだからである。今までやって来た仕事の責任なんて感じなくていい。人間関係に遠慮して下らない会社に留まるなんて愚の骨頂。社会的に出世すれば、人間関係なんて後からついてくる。大会社にいるから安心、なんて思っている人、かつてのダイエー社員やカネボウ社員もそう思ってただろうね。
会社ってのはだいたい馬鹿みたいな組織で、暇にしているとどうでもいい仕事をさせられる。余裕があると会議が長くなる。だから仕事について、時間を守る必要なんてない。余裕を持って仕事を進めるなんてもっての他。上司の言う締切よりずっと後、自分の目で見て本当にギリギリのところで、ちゃんと仕事が出来ていればいい。もっとも、お客さんとの約束は守ろう。こちらもギリギリで十分だけどね。
仕事の話になると必ず上司の酒は飲めとか、社員旅行には絶対参加しろとかいった類の話が挙がっていること自体、とっても恥ずべきことだよ。嫌な酒は飲まなくていい。それであなたの会社の評価が下がったなら、それはそれで甘受すればいいじゃないか。会社人としてのちっぽけな誇りを得るのではなく、人間として誇り高く生きるんだ。どこまで出世したって上司はいる。いつまでもヨイショしているような人生を歩んでも仕方ない。
世の中はほんとうにバカばかりです。自分に自信がなくて働くのが怖いとか言っている人は、本当に働いてみると別の恐怖を味わうと思う。こんなバカが世の中を動かしているのか!ってね。企業の不祥事がニュースになるたび「誰も止めなかったのだろうか」と思うでしょう。誰も止めません。みんな現状維持しかできないバカだから。だからあなたに少しでも才能があって、ちょっと努力すれば、すぐに仕事なんて片付きます。もっとも、バカが邪魔しなければの話。本当に悲しいことだけど、実質的な仕事というのは大半がバカの対処です。バカと生きる術を身につけましょう。
なんのために仕事をするのか?会社のため?まさか。稼ぐため?もちろん。自分や家族のため?そりゃそうだ。でも、もしあなたの心にもう少し余裕があるならば、社会のために働くんだ、という考え方を身につけよう。自分のため、稼ぎのためで仕事をしていたら、いつか潰れる。なぜなら、世の中には生まれた時からこちらの生涯年収を越える資産を持つようなガキがたくさんいるからだ。バカと付き合って身銭を稼ぐだけの毎日では、いつか死にたくなる。だから社会のために働こう。仕事の中に少しでもいいから、社会の利益になる提案を組み込んでいこう。社会を良くして、将来のためにバカを減らしていくんだ。自分の利益ばかり考えて仕事をしていると、定年になった時に自己中で溢れた荒んだ世の中に気付くことになる。そしてあなたは文句を言うこともできないんだ。
感想、反論、お待ちしてるよ。じゃあね!
今朝、新聞を配達していたところ、閑静な新興住宅地の、とある家の前でバイクを倒してしまった。
溜息をつき、そこいら中に落ちた新聞を拾い、積み直していると、
突然どこからかドン!ドン!という音が聞こえてきた。
ふと顔を上げてみると、目の前の家の玄関ドア(真ん中に縦長の凹凸ガラスが嵌め込まれているタイプ)の、凹凸ガラスの部分にぼうっと人影があり、その人影がこちらを見ていた。
というか凝視している。ガラスに顔を思いっきり押しつけて、凝視している。
ガラスの凹凸と、家の中から当たる逆光のせいで表情は見えないものの、かなりの強い怒気を感じる。
女の人のようだ。20代後半から30代前半の雰囲気。勘だけど。
その人がこちらを見ながらドアをドンドン!と強く叩いている。
あっ…バイク倒した時の音がうるさかったかな…。
時刻は未明だし、確かに迷惑だったかもしれない。
申し訳ない気持ち、それから急に知らない人に激怒された事に対する恐怖と保身の気持ち(本当はこちらの
方が強い)で、とりあえずドアの向こうの人影に会釈した。
人影は、見えているのかいないのか、しばらく動かず黙ってこちらを見続け、それから奥に消えた。
とりあえずホッとはしたが、戦慄というか、軽い恐怖からくる興奮が身体の中にまだ残っていた。
何はともあれ配達を続けなければならない。
雨というだけでテンション下がっているところに、自分の不注意とはいえバイク倒して、
その上いきなり年上の女性に超怒られたことでモチベーションは急降下していた。
(余談だけど、もし人影が年下だったとしたらこんなに落ち込まない気がするのはなんでだろう。)
十代の頃だったら逆ギレして、内心悪態をついてるかもしれない。
二十歳を過ぎて丸くなったというよりも、ただ余計なエネルギーが無くなっただけじゃないだろうか。
そんなことを考えながら新聞を拾い集めていたら、
さっきのドアがゆっくり開いて、懐中電灯を持った男の人が出てきた。暗くてよく見えないが30代ぐらい
だろう。
お、怒られるんだろうか…。
どちらにせよここでちゃんと謝って許しを得たいと思った(それほどさっきの事が恐かった)ので、
「すみません、お騒がせしました。」
というと、男の人は雨の中散らばった新聞と倒れたバイクを見て小さな声で「あ、大丈夫ですか…?」とだけ言い、様子を伺いながら、家の中に入っていった。
そこでようやく分かった。
さっきのあれは怒られていたのではなく、威嚇されていたのだ。
どうやら自分は不審者だと思われていたらしい。
何か音がした→奥様が家の外を確認→怪しい人影→ドアを叩いて威嚇→去らない→旦那様起こす→旦那様がドアを開けて確認→なんだしんぶんやか→しんぶんやだったよ
そう考えるとあの鬼気迫る感じは納得がいく。
なーんだそっかぁー怒られたんじゃなかったのかぁーはぁー良かったー
…と思いたいのだけどここだけの話、
やっぱり顔の見えない人型のシルエットが黙ってこちらを見つめたままドン!ドン!とドアを叩き続ける様子は視覚的に相当インパクトがあって、久々に軽いトラウマが植え付けられました、とさ。
顔を押しつけていたのは怒っていたからではなく多分、
家の中が明るくて、暗い外の様子がわからなかったんだろうなぁ。
あーヘルメットが濡れて臭くなりそうだ…。
とーちゃんが急に逮捕されてよつばが何故あそこに居たのかというどす黒い謎が明らかにされる
という最終回が突然やってきそうで読んでると恐くなる自分が居る。
俺まで不安になってきたじゃねーかよ…
なんか言い知れない恐怖感があるんだけどどうしてくれよう。
http://anond.hatelabo.jp/20070711021837
久しぶりに頭の良い増田だな。
つまり自称無宗教者の主張が一貫していないことを責めてるわけだな?
自らの信仰に気付いてない日本人は確かにかなり多い。というか現代人の大部分がこれにあたるだろうね。
お正月には初詣に行き、教会での結婚式も仏前での葬式も違和感無く受け入れているのに、宗教というレッテルには大層な反発を覚える。
カルトに対する恐れが行き過ぎた警戒心を引き起こして、結果として「神を考える」こと自体を拒否する。
ケガレたものに触れない。ケガレが関わったものもまたケガレるという思考。
話は少しズレるけど、最もこのケガレ信仰が如実に現われたのは核兵器に対するタブー意識だ。
普通、核兵器の恐怖を知った国は自らも同じ力を持たないと平常心ではいられないんだけど
日本人は核そのものに触れないことで平常心を保とうとする。これは国際的にも非常に稀な例。
結果的に「問題の核心から目をそらす」という癖が国民についてる。しかもその自覚が無い。
だから公の場で誰かが良かれ悪しかれ核について言及すると、それだけで緊張が走る。
それは核について肯定したり否定したりしたからではなくて、彼が「ケガレ」たからなんだよね。
つまり多くの日本人にとって、核とは道具や兵器ではなくて人間の意志を超えた「祟り神」なんだ。
祟り神を鎮める方法は、祭り上げること。そして二度と怒らせないこと。
原爆ドームは神殿で、被爆に関する資料や写真は祟り神への信仰を忘れないようにさせるための碑文にあたる。
かけまくもかしこきかしこき原爆の大神を「非核三原則」という祝詞で封じ込めてる。
こういう風に説明しても、おそらく大勢の日本人は説明の内容ではなくて「核」とか「ケガレ」というワードに反応すると思うんだ。
そして単に渋面を作って「お前、ヤバイ人?」「そんなこと言ったらダメだって」って言うだけで後は思考停止。
宗教に対する反応とまったく同じだ。
元増田にトラバしてる増田も大半がバカな反応しかしてないしね。
それってまさに自称無宗教者の鈍感さを露呈してるってことなんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070711060320
http://anond.hatelabo.jp/20070711054935
そういうレベルの話をしてるんじゃねえよバカ
バカは黙ってろバカ
わかんないなら何も言うなバカ
お前らとそのバカ仲間が何かを信じるとか信じてないとかそういう一個人の感想はどうでもいいんだ
脳みその代わりにオガクズ詰めてんのか
怒涛のうんこの群れが僕にせまって来た。もう逃げ道はなく、僕はうんこに囲まれた。それも大量のうんこに。
これほどの恐怖を感じたのは初めてだ。手が震え、口も震え、足も震えている僕だったが、たった一つだけこの恐怖に耐えているところがあった。
それは僕のちんちんだったのだった。
何故俺のちんちんはこうまで元気なのか、自分にもわからなかったが、僕の中に勇気が出始めていたのだった。
対G兵器ですが、我が家ではドーム型の小さな殺虫剤を部屋の隅に置いて回ります。
水回り付近には重点的に。
これを置けば1年は姿を見ずに済みます。
でも、先日、ついにご対面。今年の交換時期がちょうど来ていました。
氷殺ジェットは効くのかなぁ。
私の部署には三種類の女性社員がいる。派遣の事務屋(CADオペ含む)と、正社員の事務屋と、正社員の技術屋だ。部署全体の人数が多いせいで、比率としては大したことはないが、女性社員の数自体はそれなりにいる。今まで男社会で生活してきた私は、予想外に就職した先にきちんとした女社会があることに恐怖したものだったが、意外にも技術屋であることで"管轄外"として扱われ、一種治外法権のような気楽な毎日を過ごせている。事務屋の女性の方々が制服を着ているのに対して、私が作業服である、ということも若干影響していたのかもしれない。
さて、この職場における女社会に、かなり大きな嵐が訪れたことがある。少し前のことで、今は小康状態である。その名も、"給湯室当番問題"、である。そもそもうちの部署には給湯室当番というものが存在していて、その仕事内容はというと、お茶出し機の補給/コーヒーメーカーの掃除,補給/給湯室の掃除である。30??45分程度は要するわりと面倒なものだった。そしてこれらは派遣事務の女性と、正社員事務の女性の仕事だった。それで問題なく今までは動いてきたようだった。
ところが少し前、派遣から正社員になったある女性が本社からわが職場へやってきた。最初から彼女への風当たりはそんなに柔らかいものではなかった、と記憶している。仕事ができたから正社員になったのではなく、要領と愛想で正社員になったのだと、影で囁かれていた。私はその女性の態度の豹変(部長クラスを交えたときとそうでないときの)には若干引きつつも、その気遣いや振舞いには「ああ上手い人だなあ」と感嘆していた気がする。普通に一対一で対応する分にはよい人だった、と思う。ただ同期から伝え聞く本社での行状はあまりよいものではなく、積極的に仲良くしようとはまた、あまり思っていなかった。
彼女の仕事内容は、他の事務屋の男性と全く変わりないものだった。今までうちの部署にいた正社員事務の女性は全て、かつて親会社で一般職として採用され、うちに転籍してきた方ばかりだったため、彼女は我が職場初の、事務系女性総合職となった(といってもうちの会社には一般職は存在しないため、実質一般職/総合職という区分も存在しない)。しかし彼女も当然のように、給湯室当番に組み入れられた。
しばらくはそれで滞りなく当番は回っていたようである。だが暫くして、ロッカーで彼女の悪口が頻発するようになった。私は保身的見地からそれらの会話にはできるだけ参入せぬようにしていたが、それでも聞き耳だけはしっかりと立てていた。つまり、それらの悪口は全て、「彼女が給湯室当番を逃げた」、ということに起因するようだった。
彼女は給湯室当番が忙しく、自分の業務がこなせないことをそれとなく上司に匂わし、最終的に上司から女性陣を取りまとめている女性に、「彼女は業務が忙しいから当番からは外してくれ」と言わせるようにもっていったのだ、ということだった。「私たちだって忙しいけれど当番はこなしている」「当番外してくださいと自分でいうならまだしも、言わせるようにもっていくところがいやらしい」というのが概ねのところだった。私は少し居心地が悪かったが、彼女たちは「あなたは私たちにはできないことをやっているのだから」と何故か優しいのだ。しかしそれは彼女も一緒ではないか?と思わなくもなかった。そんなことを口に出せるわけはないが、心情的には私は、彼女がそもそも給湯室当番に組み入れられたことはおかしい気がしていたし、やり方がどうあれ当番が外されたことは当然のようにも思った。大体、彼女と同じ時期に配属された中途入社の男性(事務系)は、当番なんてどこ吹く風なのだ。
結局そのまま時間がたち、事件は風化してきているのだが、一時期は本当にすごかった。そして私は時折思う。例えば私が配属されたばかりの頃。昼食時のお茶の用意や後片付けは女性の役目で、私は唯一人の女性技術者だったためにどう振舞ってよいかが分らなかった。同期の男は関係がない。男だから。では私は?皆が片付けているのに手伝わないのも気分が悪い。けれど手伝うのも心が狭いと分っているが、腹が立つ。比較対象として同期がそばにいるだけに、なおさら。
彼女だって正社員で、その一時間あたりの給料はきっと派遣とは違う。コピーは派遣に頼みなさい。そんなことは君の仕事ではないだろうといわれているのに、給湯室の当番をするのはきっとおかしい。でもそれを女社会は許さないし、男社会も免除することを特例として扱う。技術屋はしていることが目に見えて違うから、理解され易い。女である前に技術者として扱ってもらえる。でも事務屋だと本当に難しい。
自分のことではないし、それらの騒動を僅かに面白がって観ていた事も否定できないけれど、終わりかけている今になっていまさら、一連のことが少し引っかかっている私がいる。そもそも何故彼女が当番に組み込まれたのだろう、だとか。彼女が当番をすることのおかしさに誰も気づかないのだろう、だとか、私はそれらを一言も口にせず、周囲に迎合するのだろう、とか。
http://www.stellaworks.info/blog/2007/07/post_131.html
出産にまつわる話なので、ナマナマしいのがだめな方はご勘弁を。
祖母は助産婦をしていて、小柄な人だった。
自分の初のお産、臨月を迎え陣痛が来た時、祖母の骨盤は常人よりもあまりに狭くて、
お産婆さんは母体を守るために赤子の頭を潰し、殺して、引きずり出したのだそうだ。
頭を、と訝しがる小学生の私に、生まれたての赤ん坊の頭は親指でぐいと押すと、
簡単にべこんとつぶれてしまうのだ、と祖母は言った。
その後は産み月を迎える前に、胎児が大きくなりきる前に、
なんとか胎児を引っ張り出すという方法で祖母は5人の子を産んだ。
その当時にどうやって早期出産ができたのか詳細は不明だ。
祖母の長女である叔母もまた、祖母の細い体型と骨盤を受け継ぎ、
臨月を迎えた時には、やはり自然分娩は無理だと言われた。
なので、大変な思いをして帝王切開で従姉妹を産んだ。
時代が時代なら、従姉妹もまた死にながら産まれることになったのだろう。
祖母の次女にあたる私の母は体型こそ堂々たる安産型だが、私を産んだあと流産をしている。
有名な山寺へ詣でた時、水子供養の蝋燭を買って点し、熱心に拝んでいた姿が忘れられない。
流産を経てまた子を授かった時は、大層神経質になっていて、わざわざ遠い病院まで通っていた。
大丈夫、あの病院の先生は上手で有名だから大丈夫、そう言いながら。
飼っていた犬も、猫も、初めての出産の時は不器用に苦しんで仔を産んでいるように、私の目には見えた。
出産とは、恐ろしくて、命がけの行為なのだ。
それを何度となく聞かされて育った私には「案ずるより産むが易し」とはとても思えない。
職場に、もう6ヶ月は過ぎたであろう妊婦の人が働いているのだが、
正直その人のそばを通るのが怖くて仕方がない。
仕事を一緒にする機会もあったが、強いことを言うと何か差し障りがありそうで、ろくな修正も提案もできなかった。
本人は気丈で、快活な方なのだが、それだけに綺麗に膨らんだ腹部が怖くて、
なんかあったらどうする! 早く休んでくれ! とずっと念じている。
自分も結婚して数年が経つのだが、まだ怖い。理屈じゃなく怖い。
そして恐怖ゆえに、自分が子を持っても大丈夫じゃないか、と判断できた時にはじめて避妊をやめようと思う。
自分が丸々何年か子供にかかずらっていても支障のない経済力がほしいし、
なにしろ性格が30代とは思えぬくらい子供なのでもうちょっと成熟したら……
とかなんとか、言い訳をして、しまくって、恐怖から逃げ回っている気もする。
おうじゃのつるぎと、ひかりのよろいと、ゆうしゃのたてと、てっかめんが揃わないと、ゾーマは倒せないと思い込んでいるかのような。
恐怖を打ち砕くのが先か、年を取るのが先か。