はてなキーワード: 四十三とは
第一章 総則(第一条・第二条)
第五章の二 覚せい剤原料に関する指定及び届出、制限及び禁止並びに取扱(第三十条の二―第三十条の十七)
第八章 罰則(第四十一条―第四十四条)
附則
第一章 総則
第一条 この法律は、覚せい剤の濫用による保健衛生上の危害を防止するため、覚せい剤及び覚せい剤原料の輸入、輸出、所持、製造、譲渡、譲受及び使用に関して必要な取締を行うことを目的とする。
(用語の意義)
一 フエニルアミノプロパン、フエニルメチルアミノプロパン及び各その塩類
二 前号に掲げる物と同種の覚せい作用を有する物であつて政令で指定するもの
三 前二号に掲げる物のいずれかを含有する物
2 この法律で「覚せい剤製造業者」とは、覚せい剤を製造すること(覚せい剤を精製すること、覚せい剤に化学的変化を加え、又は加えないで他の覚せい剤にすること、及び覚せい剤を分割して容器に収めることを含む。ただし、調剤を除く。以下同じ。)、及びその製造した覚せい剤を覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者に譲り渡すことを業とすることができるものとして、この法律の規定により指定を受けた者をいう。
3 この法律で「覚せい剤施用機関」とは、覚せい剤の施用を行うことができるものとして、この法律の規定により指定を受けた病院又は診療所をいう。
4 この法律で「覚せい剤研究者」とは、学術研究のため、覚せい剤を使用することができ、また、厚生労働大臣の許可を受けた場合に限り覚せい剤を製造することができるものとして、この法律の規定により指定を受けた者をいう。
6 この法律で「覚せい剤原料輸入業者」とは、覚せい剤原料を輸入することを業とすることができ、又は業務のため覚せい剤原料を輸入することができるものとして、この法律の規定により指定を受けた者をいう。
7 この法律で「覚せい剤原料輸出業者」とは、覚せい剤原料を輸出することを業とすることができるものとして、この法律の規定により指定を受けた者をいう。
8 この法律で「覚せい剤原料製造業者」とは、覚せい剤原料を製造すること(覚せい剤原料を精製すること、覚せい剤原料に化学的変化を加え、又は加えないで他の覚せい剤原料にすること、及び覚せい剤原料を分割して容器に収めることを含む。ただし、調剤を除く。)を業とすることができ、又は業務のため覚せい剤原料を製造すること(覚せい剤原料を精製すること、覚せい剤原料に化学的変化を加え、又は加えないで他の覚せい剤原料にすること、及び覚せい剤原料を分割して容器に収めることを含む。ただし、調剤を除く。)ができるものとして、この法律の規定により指定を受けた者をいう。
9 この法律で「覚せい剤原料取扱者」とは、覚せい剤原料を譲り渡すことを業とすることができ、又は業務のため覚せい剤原料を使用することができるものとして、この法律の規定により指定を受けた者をいう。
10 この法律で「覚せい剤原料研究者」とは、学術研究のため、覚せい剤原料を製造することができ、又は使用することができるものとして、この法律の規定により指定を受けた者をいう。
第二章 指定及び届出
(指定の要件)
第三条 覚せい剤製造業者の指定は製造所ごとに厚生労働大臣が、覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者の指定は病院若しくは診療所又は研究所ごとにその所在地の都道府県知事が、次に掲げる資格を有するもののうち適当と認めるものについて行う。
一 覚せい剤製造業者については、薬事法 (昭和三十五年法律第百四十五号)第十二条第一項 (医薬品の製造販売業の許可)の規定による医薬品の製造販売業の許可及び同法第十三条第一項 (医薬品の製造業の許可)の規定による医薬品の製造業の許可を受けている者(以下「医薬品製造販売業者等」という。)
二 覚せい剤施用機関については、精神科病院その他診療上覚せい剤の施用を必要とする病院又は診療所
三 覚せい剤研究者については、覚せい剤に関し相当の知識を持ち、かつ、研究上覚せい剤の使用を必要とする者
2 覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者の指定に関する基準は、厚生労働省令で定める。
(指定の申請手続)
第四条 覚せい剤製造業者の指定を受けようとする者は、製造所ごとに、その製造所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に申請書を出さなければならない。
2 覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者の指定を受けようとする者は、病院若しくは診療所又は研究所ごとに、その所在地の都道府県知事に申請書を出さなければならない。
(指定証)
第五条 覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者の指定をしたときは、厚生労働大臣は当該製造業者に対して、都道府県知事は当該施用機関の開設者又は当該研究者に対して、それぞれ指定証を交付しなければならない。
2 覚せい剤製造業者に対する指定証の交付は、その製造所の所在地の都道府県知事を経て行うものとする。
3 指定証は、譲り渡し、又は貸与してはならない。
(指定の有効期間)
第六条 覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者の指定の有効期間は、指定の日からその翌年の十二月三十一日までとする。
(指定の失効)
第七条 覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者について、指定の有効期間が満了したとき及び指定の取消があつたときの外、第九条(業務の廃止等の届出)に規定する事由が生じたときは、指定はその効力を失う。
(指定の取消し及び業務等の停止)
第八条 覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関の開設者、覚せい剤施用機関の管理者(医療法 (昭和二十三年法律第二百五号)の規定による当該病院又は診療所の管理者をいう。以下同じ。)、覚せい剤施用機関において診療に従事する医師若しくは覚せい剤研究者がこの法律の規定、この法律の規定に基づく処分若しくは指定若しくは許可に付した条件に違反したとき、又は覚せい剤研究者について第三条第一項(指定の要件)第三号に掲げる資格がなくなつたときは、厚生労働大臣は覚せい剤製造業者について、都道府県知事は覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者について、それぞれその指定を取り消し、又は期間を定めて、覚せい剤製造業者若しくは覚せい剤研究者の覚せい剤及び覚せい剤原料に関する業務若しくは研究の停止を命ずることができる。
2 前項の規定による処分に係る行政手続法 (平成五年法律第八十八号)第十五条第一項 又は第三十条 の通知は、聴聞の期日又は弁明を記載した書面の提出期限(口頭による弁明の機会の付与を行う場合には、その日時)の二週間前までにしなければならない。
(業務の廃止等の届出)
第九条 覚せい剤製造業者は、次の各号のいずれかに該当する場合には、その事由の生じた日から十五日以内に、その製造所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に指定証を添えてその旨を届け出なければならない。
一 その製造所における覚せい剤製造の業務を廃止したとき。
二 薬事法第十二条第二項 (許可の有効期間)の規定により医薬品の製造販売業の許可の有効期間が満了し、又は同法第十三条第三項 (許可の有効期間)の規定により医薬品の製造業の許可の有効期間が満了してその更新を受けなかつたとき。
三 薬事法第七十五条第一項 (許可の取消し等)の規定により医薬品の製造販売業又は製造業の許可を取り消されたとき。
2 覚せい剤施用機関の開設者は、次の各号のいずれかに該当する場合には、その事由の生じた日から十五日以内に、その病院又は診療所の所在地の都道府県知事に指定証を添えてその旨を届け出なければならない。
二 覚せい剤施用機関である病院又は診療所において第三条第二項(指定の基準)の規定による指定基準に定める診療科名の診療を廃止したとき。
三 医療法第二十九条 (開設許可の取消及び閉鎖命令)の規定により、覚せい剤施用機関である病院又は診療所の開設の許可を取り消されたとき。
3 覚せい剤研究者は、当該研究所における覚せい剤の使用を必要とする研究を廃止したときは、廃止の日から十五日以内に、その研究所の所在地の都道府県知事に指定証を添えてその旨を届け出なければならない。
4 前三項の規定による届出は、覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関の開設者又は覚せい剤研究者が、死亡した場合にはその相続人が、解散した場合にはその清算人又は合併後存続し若しくは合併により設立された法人がしなければならない。
(指定証の返納及び提出)
第十条 覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者の指定が効力を失つたときは、前条に規定する場合を除いて、指定が効力を失つた日から十五日以内に、覚せい剤製造業者であつた者はその製造所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に、覚せい剤施用機関の開設者であつた者又は覚せい剤研究者であつた者はその病院若しくは診療所又は研究所の所在地の都道府県知事にそれぞれ指定証を返納しなければならない。
2 覚せい剤製造業者が第八条第一項(指定の取消及び業務等の停止)若しくは 薬事法第七十五条第一項 (許可の取消し等)の規定による業務停止の処分を受けたとき、覚せい剤施用機関の開設者が医療法第二十九条 (開設許可の取消及び閉鎖命令)の規定による閉鎖命令の処分を受けたとき、又は覚せい剤研究者が第八条第一項の規定による研究停止の処分を受けたときは、その処分を受けた日から十五日以内に、覚せい剤製造業者はその製造所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に、覚せい剤施用機関の開設者又は覚せい剤研究者はその病院若しくは診療所又は研究所の所在地の都道府県知事にそれぞれ指定証を提出しなければならない。
3 前項の場合においては、厚生労働大臣又は都道府県知事は、指定証に処分の要旨を記載し、業務停止期間、閉鎖期間又は研究停止期間の満了後すみやかに、覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関の開設者又は覚せい剤研究者に指定証を返還しなければならない。
(指定証の再交付)
第十一条 指定証をき損し、又は亡失したときは、覚せい剤製造業者はその製造所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に、覚せい剤施用機関の開設者又は覚せい剤研究者はその病院若しくは診療所又は研究所の所在地の都道府県知事に指定証の再交付を申請することができる。
2 再交付を申請した後亡失した指定証を発見したときは十五日以内に、覚せい剤製造業者はその製造所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に、覚せい剤施用機関の開設者又は覚せい剤研究者はその病院若しくは診療所又は研究所の所在地の都道府県知事にそれぞれ旧指定証を返納しなければならない。
(氏名又は住所等の変更届)
第十二条 覚せい剤製造業者は、その氏名(法人にあつてはその名称)若しくは住所又は製造所の名称を変更したときは十五日以内に、その製造所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に指定証を添えてその旨を届け出なければならない。
2 覚せい剤施用機関の開設者は、その覚せい剤施用機関の名称を変更したときは十五日以内に、その病院又は診療所の所在地の都道府県知事に指定証を添えてその旨を届け出なければならない。
3 覚せい剤研究者は、その氏名若しくは住所を変更し、又は研究所の名称の変更があつたときは十五日以内に、その研究所の所在地の都道府県知事に指定証を添えてその旨を届け出なければならない。
4 前三項の場合においては、厚生労働大臣又は都道府県知事は、すみやかに指定証を訂正して返還しなければならない。
第三章 禁止及び制限
(輸入及び輸出の禁止)
第十三条 何人も、覚せい剤を輸入し、又は輸出してはならない。
(所持の禁止)
第十四条 覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関の開設者及び管理者、覚せい剤施用機関において診療に従事する医師、覚せい剤研究者並びに覚せい剤施用機関において診療に従事する医師又は覚せい剤研究者から施用のため交付を受けた者の外は、何人も、覚せい剤を所持してはならない。
2 次の各号のいずれかに該当する場合には、前項の規定は適用しない。
一 覚せい剤製造業者、覚せい剤施用機関の管理者、覚せい剤施用機関において診療に従事する医師又は覚せい剤研究者の業務上の補助者がその業務のために覚せい剤を所持する場合
二 覚せい剤製造業者が覚せい剤施用機関若しくは覚せい剤研究者に覚せい剤を譲り渡し、又は覚せい剤の保管換をする場合において、郵便若しくは民間事業者による信書の送達に関する法律 (平成十四年法律第九十九号)第二条第二項 に規定する信書便(第二十四条第五項及び第三十条の七第十号において「信書便」という。)又は物の運送の業務に従事する者がその業務を行う必要上覚せい剤を所持する場合
三 覚せい剤施用機関において診療に従事する医師から施用のため交付を受ける者の看護に当る者がその者のために覚せい剤を所持する場合
(製造の禁止及び制限)
第十五条 覚せい剤製造業者がその業務の目的のために製造する場合及び覚せい剤研究者が厚生労働大臣の許可を受けて研究のために製造する場合の外は、何人も、覚せい剤を製造してはならない。
2 覚せい剤研究者は、前項の規定により覚せい剤の製造の許可を受けようとするときは、厚生労働省令の定めるところにより、その研究所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に申請書を出さなければならない。
3 厚生労働大臣は、毎年一月から三月まで、四月から六月まで、七月から九月まで及び十月から十二月までの期間ごとに、各覚せい剤製造業者の製造数量を定めることができる。
4 覚せい剤製造業者は、前項の規定により厚生労働大臣が定めた数量をこえて、覚せい剤を製造してはならない。
第十六条 覚せい剤施用機関において施用する覚せい剤の譲受に関する事務及び覚せい剤施用機関において譲り受けた覚せい剤の管理は、当該施用機関の管理者がしなければならない。
2 覚せい剤施用機関の開設者は、当該施用機関の管理者に覚せい剤の譲受に関する事務及び譲り受けた覚せい剤の管理をさせなければならない。
(譲渡及び譲受の制限及び禁止)
第十七条 覚せい剤製造業者は、その製造した覚せい剤を覚せい剤施用機関及び覚せい剤研究者以外の者に譲り渡してはならない。
2 覚せい剤施用機関又は覚せい剤研究者は、覚せい剤製造業者以外の者から覚せい剤を譲り受けてはならない。
3 前二項の場合及び覚せい剤施用機関において診療に従事する医師又は覚せい剤研究者が覚せい剤を施用のため交付する場合の外は、何人も、覚せい剤を譲り渡し、又は譲り受けてはならない。
4 法令による職務の執行につき覚せい剤を譲り渡し、若しくは譲り受ける場合又は覚せい剤研究者が厚生労働大臣の許可を受けて、覚せい剤を譲り渡し、若しくは譲り受ける場合には、前三項の規定は適用しない。
5 覚せい剤研究者は、前項の規定により覚せい剤の譲渡又は譲受の許可を受けようとするときは、厚生労働省令の定めるところにより、その研究所の所在地の都道府県知事を経て厚生労働大臣に申請書を出さなければならない。
(譲渡証及び譲受証)
第十八条 覚せい剤を譲り渡し、又は譲り受ける場合(覚せい剤施用機関において診療に従事する医師又は覚せい剤研究者が覚せい剤を施用のため交付する場合を除く。)には、譲渡人は厚生労働省令で定めるところにより作成した譲渡証を、譲受人は厚生労働省令で定めるところにより作成した譲受証を相手方に交付しなければならない。
2 前項の譲受人は、同項の規定による譲受証の交付に代えて、政令で定めるところにより、当該相手方の承諾を得て、当該譲受証に記載すべき事項を電子情報処理組織を使用する方法その他の情報通信の技術を利用する方法であつて厚生労働省令で定めるものにより提供することができる。この場合において、当該譲受人は、当該譲受証を交付したものとみなす。
3 第一項の譲受証若しくは譲渡証又は前項前段に規定する方法が行われる場合に当該方法において作られる電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて電子計算機による情報処理の用に供されるものとして厚生労働省令で定めるものをいう。以下同じ。)は、当該交付又は提供を受けた者において、当該覚せい剤の譲受又は譲渡の日から二年間、保存しなければならない。
4 譲渡証及び譲受証並びに前項に規定する電磁的記録は、第一項又は第二項の規定による場合のほかは、他人に譲り渡してはならない。
(使用の禁止)
子を授かることは、喜びと同時に恐怖を引き受けることかもしれない。それは、あまりに柔らかで弱いものだから▼明治四十三年、長男を得た喜びを石川啄木はこう詠んだ。<十月の朝の空気に/あたらしく/息吸ひそめし赤坊のあり>。が、ひと月せぬうち天に召され、痛切なる一首。<おそ秋の空気を/三尺四方ばかり/吸ひてわが児の死にゆきしかな>▼新潟県三条市で一昨日、長時間、乗用車の中に残されていた兄弟が亡くなった。熱中症が原因とみられている。両親の歓喜の中で<息吸ひそめし>日から兄は一年十カ月、弟はわずか十一カ月だった▼早朝に親子四人で旅行先から帰着。車は露天の駐車場に止めたが、二人が眠っていたため、両親は車に残して家に。新潟地方気象台によれば、そのころ三条市は未明からの雨が残り、気温は二〇度前後。そう思えば余計にむごいけれど、だから、起こさなかったのは親心だったのだろう▼だが、残酷にも、やがて雨はやみ、日が照り始めて気温は上昇。母親が車に行き、二人の異常に気づいた昼すぎで二七度ほどに。それでも真夏日でさえないが、車中の温度は、恐ろしく高くなっていたのである▼季節はこれから盛夏へと向かっていく。車での外出時など、幼子を持つ親は、臆病(おくびょう)なくらい慎重になってちょうどいいのだろう。守るべき命は、弱くて柔らかいのだから。
これってこの件だよな。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090622ddm041040042000c.html
同署によると、死亡したのは同市諏訪2、会社員、高槻仁さんの長男奏(かなで)ちゃんと次男颯(はやた)ちゃん。高槻さんは妻(28)を含めた家族4人で東京都内に車で旅行に行き、同日午前5時半ごろ自宅アパートに帰った。子供2人は後部座席のチャイルドシートで寝ていたため、アパート前の駐車場に車を止め、車内に2人を残して部屋に入ったという。午後0時半ごろ、妻が初めて様子を見に行き、異変に気づいた。救急隊員が駆けつけた時は2人とも脈や呼吸がなかったという。
中国からの刺客に無防備、米国はなぜ安全方面を考慮しなかったか
政治は風向きが変わると、その渦中にいた人間は、その運命が右から左へ、上から下へと突如翻弄されることになる。
台湾が国民党独裁の時代、中国大陸から逃げてきた亡命者を「投奔自由」と比喩し、国民党系のメディアは英雄扱いした。
私は中国からの亡命者のなかでもミグ・パイロット、京劇俳優、作家、医者(周恩来の主治医もいた)、物理学者(中国の核物理学者もいた)、通訳など八十数人にインタビューし、『中国の悲劇』という本にまとめたことがある。
ただし国民党の宣伝となってはいけないので米国へ逃げた人々も追いかけ、拙著の最後の場面は、台湾人作家で北京へ逆に亡命し、はては米国へ再亡命した奇異の存在、陳若儀をサンフランシスコに訪ねて「それでも中国に希望ありき」という談話で掉尾を飾った。
80年代前半まで、台湾には「同胞救済協会」のような支援組織もあり、亡命者が台湾にあらわれる度に、大きな記者会見を開催し、ミグ・パイロットには黄金数キロという懸賞もつけて賛美した。
第一に中国からの亡命者は台湾ではなく、欧米を目指し始めたこと。
第二に台湾は自由化を驀進しはじめ、とくに亡命者を賛美する風潮が掻き消えたこと。
どこかの国の状況と似ている。ベトナム戦争の英雄は、米国に帰ると邪魔者扱いされたように。
既報のようにグアンタナモ基地に八年間、「タリバン」の容疑者として拘束されていたウィグル人兵士13名は、パラオ諸島に移送される。
最初は17名と言われたが、すでにそのうち四名はバミューダで暮らし始めたことが分かった。
ウォールストリートジャーナル(09年6月23日)は、「はたしてこれらのウィグル人らはパラオ諸島で身の安全が保障されているのか」とする疑問を報道した。
まともな軍隊も警察もないパラオは人口わずか二万。二百数十の島嶼国家。台湾と外交関係があるため社会のインフラ建設と整備には台湾がおおきく貢献してきた。
その台湾が中国と接近している政治境遇の大変化も手伝い、中国の代理人や刺客の侵入はわけもないこととなる。
「南洋ののんびりした島で休養がとれることは彼らのメンタル回復に役に立つはず。なにがしか働き、貯金し、かれらの人生の夢は最後にメッカ巡礼なのだから」と。
パラオ諸島が、かれらタリバン兵士被疑者を受け入れたのは、米軍の二億ドルの援助であり、人道的理由は二の次だろう。
もしヒューマニズムが最大の動機というのなら三年前の米国の打診開始の時点で受け入れる筈だから。
▲両天秤外交も挫折の時代へ
さて中央アジアのイスラム国家、キルギス政府は「米軍の継続駐留を認める」と百八十度逆転の決定を『平然と』行った。
驚き桃の木山椒の木。
簡単に経過を振り返ると、アフガニスタン空爆の拠点としてキルギスのマナス空港を米軍の集荷流通センターのごとき兵站拠点としてきた。
昨年からキルギスでは「米軍は出て行け」という運動が(ロシアに支援されて)組織化され、ことし二月、キルギス議会は米軍の撤退を正式に決議した。
米軍は2010年8月をメドに撤兵する予定となった。背後にはプーチン政権の援助(水力発電プロジェクトなど20億ドル)があった。
この直後、或る米軍高官に聞いたことがある。すると、かれはにやりと嗤って「いずれ逆転がある」と意味深長に言った。『米軍の出費拡大がキィですよ』と。
両天秤外交は嘗てマレーシアなど新興アジア諸国でも顕著だった。当時は米国とソ連に援助合戦を競わせた。
▲政治とは不条理で成り立つ
キルギスは米ロに援助を競わせ、まんまと両国から援助拡大の約束を取り付け、米軍には空港使用料の値上げを認めさせた。
そこには倫理が介在する余地がない。私は嘗て高坂正堯氏が言ったことを鮮明に思いだした。
「宮崎くん、そうはいうてもやな。外交に道徳をいれたらややこしくなるで」。昭和四十三年春、セミナーが終わって大阪中之島から北新地の二次会場へ向かう電車のなかだった。私は外交と道徳について質問したのだった。
冒頭パラオのことに戻る。
南太平洋に存在する島嶼国家十二のうち、六カ国が中国に寝返り、六カ国が台湾との外交関係を続けている。
いずれも激しく両天秤外交で成果を味わい、とくにキルバスなどは、二転三転。援助の多寡で自由自在に外交関係を切ったり繋いだり。同様のことは中南米諸国とアフリカで顕著である。
変化の予兆は中台の「雪解け」「一中市場」「国共合作」からである。
政治的潮流の大変化とともに、中国も台湾も、援助合戦の無意味さを認識し始めた。
もとより札束により外交関係を維持するという外交戦術を選んだのは台湾国民党時代であり、その台湾が国民党の政権復活により、みずから始めた援助外交を終息させる。
不条理!
いや、政治とは不条理そのものではないか。
そして樺美智子さんの死から49年が経った
日米安保条約の空洞化、日米同盟の軽量化、来年は改定から半世紀
昭和三十五年六月十五日。アンポ改定に反対するデモ隊が国会をとりまいた。
樺美智子さんが死んだ。デモの隊列にあって、群衆に巻き込まれて圧死したのだ。左翼はこれを権力の謀殺と宣伝したが、だれも信用しなかった。この鮮烈な記憶があるのも、いまでは還暦をすぎた世代だろう。
昭和四十三年十月八日、佐藤首相のベトナム訪問に反対する左翼学生が騒ぎ、羽田で京大生山崎某が仲間の運転した車に轢かれて死んだ。機動隊は二十数名が瀕死の重傷だった。
昭和四十五年、安保条約の改定から十年が経って「70年安保決戦」が叫ばれた。前年の東大安田講堂と新宿騒乱で前哨戦が消え、左派の分裂は決定的になり、「革命ごっこ」は意気消沈していた。
70年は平穏に幕が開け、左翼は内ゲバに熱狂し、組織は壊滅に瀕し、窮状に陥った日本赤軍派のハイジャック事件と三島由紀夫の憂国の諌死事件で終わった。
いわゆる「80年アンポ」は左右対決の政治状況にはなく、あらかたは体制保守か革命の唄も謳わないサヨクに転じており、サヨク全学連OBは「同窓会」を、そして日米安保二十周年記念の日米シンポジウムが東京で開催され、ゲストのフォード元大統領が来日して「安保改定」を示唆した(筆者はそのおり、会場のホテルに泊まり込んで裏方。広報担当だった。シンポジウムの記録は『日米同盟の二十年』、自由社)。
60年安保の象徴だった唐牛健太郎氏は死去し、西部邁氏は保守の側にあり、江田五月氏は国会議長となり、清水幾太郎は「核の選択」を主張した。
情勢はめまぐるしく変わった。東西冷戦の終結は、なにを意味したか?
日米安保はソ連、中国、北朝鮮を仮想敵に防共の軍事同盟ではなかったのか?
ところが主要敵だったソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構は消滅し、NATOは性格をかえて、イランを囲む新型の防衛機構に早変わりし、中国は時代にふさわしい<?>「上海シックス」を主導して米国の金融秩序へ挑戦を始めた。
▲戦後秩序は劇的に風化した
英米同盟は軽くなり、NATO五十年式典は独仏国境で開催されたが、オバマが出席したものの、興奮状態にはなく、むしろチェコで『核廃絶』を訴えた。
ロシアはNATOのチェコとポーランドのレーダー基地化に反対を唱える。しかし、グルジア、アゼルバイジャン、ウクライナのNATO入りが時間の問題となっている。
イラク戦争のおりに、ロバート・ケーガンは「ネオコン」の論理を代弁し、世界の警察官としての軍事力にひいでた米国の一極体制が復活する。世界秩序は保たれると言い、ホッッブスの説いた「リバイアサン」という怪獣の「力と畏怖」のイメージに世界新秩序の基軸を置いた。
しかし現在の世界は、イラク戦争、アフガン空爆で復活した筈の米国リバイアサンが衰退し、G2という不思議な時代にはいった。
米国はこれまでの国家の性格をおおきく変貌させようとしている。もっと言えば、米国みずからがリバイアサンを峻拒し、「普通の国」になろうとしているかのようだ。
NATOの運用比重を独仏英主導に移管しつつあり、G2時代の到来は、次の日米関係を曇らせる。
こうした歴史のパラダイムのなかで、平成22年(2010)は、安保条約の改定から半世紀を迎える。日本の生命線と言われた日米同盟だった。生命線?
安保議論は風化し、「事前協議」条項はかるがると無視され、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も、戦争地域に向かった。
そればかりか日本の自衛隊は「集団安全保障」「極東条項」の議論を忘れたかのようにPKOはカンボジア派遣から開始されて、いまではイラクのお隣、ゴラン高原、モザンビーク、スーダンへ向かった。役割を分担しながらも、陸海空全軍が出動した。
日米安保条約は風化した。というより事実上、性格を変えている。日米同盟の存在意義は、鰹節よりも軽くなりつつある。
吹き飛ばそうとしているのは日本ではなく米国である。アメリカは中国重視にかたむき、ヒラリーもガイトナーも中国に揉み手して、{G2}と言いだし、日本が期待した北朝鮮へのアプローチは曖昧、投げやりとなった。アメリカはこの問題から逃げた。
拉致問題に積極的ではなくなり、「それは日本の主権の問題であり」、北朝鮮の核武装は容認し、中国の出方をひたすら待つ。
これがオバマの米国、衰退途次の米国の姿である。(http://anond.hatelabo.jp/20090615232944に続く)
大手SIってことは障害者を雇わなくちゃ行けないはず。ですよね? > 詳しい人
とりあえず「精神障害者保健福祉手帳」を申請してみては?
うつ病で出るのか?
あ、うちの会社も新卒中途で障害者を受け入れていますが身体障害者しか取ってない雰囲気。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35HO123.html
第一条 この法律は、身体障害者又は知的障害者の雇用義務等に基づく雇用の促進等のための措置、職業リハビリテーションの措置その他障害者がその能力に適合する職業に就くこと等を通じてその職業生活において自立することを促進するための措置を総合的に講じ、もつて障害者の職業の安定を図ることを目的とする。
第七十二条の二 精神障害者のうち精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 (昭和二十五年法律第百二十三号)第四十五条第二項 の規定により精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている者(第七十三条、次節及び第七十九条を除き、以下「精神障害者」という。)である職員及び精神障害者である労働者については、この条から第七十二条の五までに定めるところにより、第一節及び第二節(第三十七条、第三十八条第二項、第四十三条第二項から第四項まで、第四十六条第二項(第五十条第三項、第五十四条第四項及び第五十五条第三項において準用する場合を含む。)、第四十八条、第四十九条第一項第二号から第九号まで、第五十条第二項並びに第五十四条第二項及び第三項を除く。)の規定を適用するものとする。