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2022-06-16

「ARIA」が好きだ

毎年数百冊の単行本を買う程度の漫画好きだけど、一番好きな漫画を上げろと言われたら「ARIA」を上げるくらいに好き。

何が好きかというと、まずメインキャラ3人がまず才能ありまくり天才だということ。

シミュレーションだけで最初から上手く漕げる(逆漕ぎだったけど)灯里と、会社の跡取り娘の藍華、そして最年少にして最高の実力を持つアリスという3人で、言うなれば少年漫画主人公ありがちな持たざる者」の正反対

その才能を持った者たちが何をするのかと言えば、とにかく「練習」「練習」「練習」だ。

見習い彼女たちは誰一人として驕ることなく、暇さえあれば練習し、たまにある休みにも船を漕いで出かけてその腕を磨き続ける。

普通漫画であれば「才能がありかつ己の限界に挑む存在」は悪役か孤高の天才、よくて主人公の友人だ。

しかもそういうやつらは性格に難があるか、トラウマがあるか、何かしらの弱点を持っている。

しかARIA彼女らはそうではなく、とても明るく、慈悲深い。

常に感受性かに周りの人と環境を受け入れ、感動する。

才能故に陰口を叩かれることはあれど、それすらも受け入れる。

一人きりで挑むのではなくチームワークを大切にする。

完璧である

才能に恵まれた人が、努力し、結果を手にする、しかも周りを幸せにしながら、という、私にとっての理想人物像が描かれている。

ARIAは私にとってのバイブルで、灯里のようになりたいと思いながら、毎日筋トレに励んでいる。

2008-11-02

未通女(おぼこむすめ)の巣窟としての二次元

性代替的と言うよりは性逃避的なんだよな、と夙に思います。

自分が惹かれるのが、女の子の仲良し集団を中心に描いたマルチヒロイン系の作品に偏向していることは、随分前から薄々気付いていました。

現実ではモテないから仕方なく二次元女性に行くというのを代替的と称するなら、それとはやや異なる、逃避的なあり方というものがあるでしょう。

現実恋愛は煩わしく、それでも女性的な何事かに触れたいと思うとき、マルチヒロイン系の作品は大いなる癒しを与えてくれます。(ちなみに、ギャルゲ恋愛ゲーと言われるものは一度もしたことがありません。)

主要な要素として、次のことが挙げられます。

A.女の子の間での仲良し具合が中心に描かれる。

B.主人公及びその周りの主要登場人物は、未通女であることがほぼ絶対的に保証されている。

C.男性が登場しても、巧妙に疎外される。

D.人物の性的な魅力(あるいは、身体的な魅力)に関する事柄は、あくまで女性から女性への視点で描かれる。

これらの事柄は、所謂「百合」「ソフト百合」と称される作品、あるいは迂遠に「百合的な視点で鑑賞することもできる」と言われる作品に、ほぼ共通しています。

D.に関連して、どのくらい身体的な事柄が出ているかの指標となるような、良く出てくるトピックというものがあります。それは、「貧乳豊乳をめぐる話」です。

それでは、ケーススタディをば。

1) ひだまりスケッチ

性を直裁に連想させる話が割合多いです。しかし、それとバランスを取るかのように禁圧的でもあります。話を出しておいて全力で否定するという図式。

吉野屋先生 :本人が自覚している豊乳想像は良くしているが、未通女であることがほぼ明示されている。

・沙英:本人が自覚している貧乳。同じく想像は良くしているが、未通女。

ヒロ:男女交際をまだ早いと感じていることを理由にお断りする。

2) あずまんが大王

榊さん:豊乳美人であるが、男性から見てどうかという視点はありません。終盤の話からは「豊乳」が榊さんの母性の可能性を暗示しているように見えます。

3) マリみて

百合」の語を人口に膾炙させた作品です。女性から見た女性の魅力をさまざまな形で提示しています。第一巻で祐巳が自分の貧乳についてショボンとする場面があります。単に何らかの欠落の意識ではなく、特別な対象祥子さま)と自らを比較して、という文脈の上で出ているのがこの作品らしさなのでしょう。

4) らき☆すた

泉こなた貧乳。敢えて意味づけを行うとすれば、彼女の「元気ないたずら小僧のような性質」から類推し、(当然、胸は無いという)少年の身体的特質と関連付けられます。オタク少女ということになっていますが、こなたの魅力は大人の世界の囚われが少ないという意味での「自由な子供」としての特質として描かれているのではと思うのです。

岩崎みなみ貧乳。どのような意味岩崎みなみ貧乳を気にしているのかは語られません。しかし、人物像を考えるときには興味深いです。

5) ARIA

・徹底的に、(そしておそらくはかなり意図して)身体的な魅力に関する話題は排除されています。人物の纏う雰囲気についての魅力(アリシアが優雅である、等)は、辛うじて身体的な魅力に近い話と言えますが、やはり人物として備え持つ美徳としての文脈の上にあります。「百合」として捉えた場合、極限まで身体性を取り除いた功績は大きいです。

アリシアの「結婚」が話の終盤と共にもたらされたのは興味深いです。男性存在は暗示されたのみで、最後まで登場しません。

・一方で、アリシア結婚藍華恋愛は、大変まじめな扱いを受けています。

6) プリキュア

作品の性質上、教育的な配慮からか、身体的な魅力についての話はほとんど出てきません。運動ができる、といった「能力」としての身体は存在しますが。

…いろいろと掘り下げ不足ですが、今回はこの辺で。

追記:はてブへいただいたコメントへの返し

IDコールはできないようですが、一応、ね。

id:kashmir108 さま

やっちゃった(恥)。確かにそんな描写がありました。

id:gadgetman さま

あれま。がっかりです。ということは、表には出ていない生活の基盤があって、その一部だけを選択的に表現した世界、ということになるのでしょうか。あるいは都市伝説とすれば、背景となっている生活がもっといろいろあるのではないかと読者に思わせるに足る「リアルさ」がある、ということなのでしょう。

id:junkMA さま

ちょっと偏った言葉を使ってみたかったのです。

id:kuippa さま

「つとに」ですよー。

id:wideangle さま

会話の中で、エキセントリックな反応をしている箇所があるのです。(Wikipedia参照。)

id:wideangle さま

うお!?何やら隠微な雰囲気を醸し出している作品ですね。チェックしておきます。

2006-11-08

事例2

藍華ちゃんはおっぱい大き過ぎてけしからんから教育の必要があると思うんだ」

「どれだけ繊細なんだよ」

2006-10-15

藍華ちゃああああああああん

アリスちゃあああああああん

また明日ねえええええええええええ

藍華ちゃあああああああああああああん

アリスちゃあああああああああああああん

また明日あああああああああ

やすみいいいいいいいいい

 
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