はてなキーワード: 菓子とは
1粒ずつ個包装してあって、剥いて食べる。
昔は、それ専用の小型ディスプレー棚があった。
赤字に白いクロスのバージョンと2種類のパッケージを10個ぐらい並べられるようになっている。
思い出すのは、それがいつも、古くさい菓子屋の店先にあったこと。
いつ建てたのかもうわからないぐらい古い木造の店舗の薄暗い店先に置かれた古くさい木枠のショーケースの上に、白いプラスチックのディスプレー棚があって、白と赤の光り輝くグリコアーモンドチョコレートがいくつも差し込まれてあった。
外はじりじりと暑い夏だ。
でも、店に一歩入ると、すえたにおいの空気がひんやりとする。
店の中の古くさい椅子の上には三毛猫がいて、こっちをにらんでいる。
「ください!」と店の奥に向かって声を掛けると、もんぺをはいた腰の曲がったおばあさんが「はいはい」といいながら出てきて、お金を受け取る。
おばあさんは店の裏手で畑仕事をしていたらしい。
名糖アイスクリームの冷凍庫を横目で見ながら、あっちにすればよかったかなとちょっと後悔した。
たぶん、小学2年生ぐらいのころの思い出。
俺は何よりも美味しいおやつを知ってる。まあ聞け。
親が買い置きしているお菓子から好きなのををこっそり選んで隠す。独り占めするためだ。
兄弟がみんな工夫して自分の隠し場所におやつを隠した。そして一人になったときに全部食う。最高だ。
しかしだ、やはり人気のあるお菓子はみんな食べたい。必然的に競争率は上がる。親が買出しに行った先でこっそり確保したり
学校から帰ってからの戸棚チェックをまめにやったり、俺たちはおやつ確保に余念が無かった。そして俺たちはついにお互いの
隠し食糧庫を暴きあうようになった。
他人が隠したとっておきのお菓子を盗み食う。これが究極最高に美味いおやつなのだ。
勝利の快感は文字通り甘美なる味わいとしておやつの最高の調味料だった。
そしてとどめに「バーカ」と書いた紙を隠し場所に置いておく。
悔しがる兄弟の顔を思い浮かべながら貪るおやつタイムは、勃起するほどの多幸感に包まれていた。
兄弟が帰宅してからは一修羅場だったが。
時はたち、俺は家を出た。
実家からかかって来た電話で、親がポツリと「お菓子がぜんぜん減らなくてねえ」と呟いた。
競争相手が減った兄弟たちは、さぞや好き放題におやつを食っているだろうと思っていた俺は驚いた。
おやつを食ったり食われたりして掴み合いの喧嘩になることも全く珍しくなかったのに。
ちょっと笑った。
そしてやっぱりちょっと、寂しくなった。
そしてまた時間が過ぎて兄弟たちもそれぞれ独立し、所帯を持った。
俺が子供のころよりも種類も嗜好もぐんと増えた。
それでもやっぱりあの頃ほどに美味いおやつは食ったことが無いんだ。
何を読んだのかを書くんだ!(anond:20070424113931)と言われてしまったのでちょっと晒してみよう。
anond:20070424113931で名前が出てた人も一部読んだよ! ちなみに読んだ順。
総評:やっぱり「フライライトノベル」と「ヘビーライトノベル」は、例えばレーベルとかで分類して欲しい! でも先の人が「ライト」と書いてた谷川流の小説に読み辛さを感じたり、所詮は好みでもあるのかなとも。あとやっぱりイラスト恥ずかしい。カバーは掛けてるけど挿絵はビビる。電車の隣の人もビビる。
ちなみに普段の読書傾向は幅広くSFや海外サスペンス、軽く西洋系歴史物、ミステリーは古典、といった感じの男性がお届けしました。
ここの使い方ってなんなんだろうね。
「バレンタインデーは菓子会社の陰謀だ!ホワイトデーに3倍返しだと!?ふざけるな!女は皆死ねばいいんだ!マスコミの恋愛至上主義に踊らされやがって!なぜそれがわからない!」
「…ずっとこの調子です。二人きりで話なんてできるわけがない。」
「いや、刑事さん。どうしても二人だけで話をさせてください。この症例には心当たりがあるんです。そうでなければ鑑定できません。」
―何かあったらすぐにやめさせますよ
そういった不満げな顔の刑事を部屋の外に残し、佐藤は取調室に入っていった。
「俺をここから出せ!今すぐこんな腐った世界は今すぐにでも壊さなければならない!」
「はじめまして。あなたの担当をさせて頂くことにな…」
「出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!」
「落ち着いてください。」
「出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!」
「いいですか。
あなたのいま感じている感情は精神的疾患の一種かもしれません。しずめる方法は私が知っています。私に任せてくれませんか。」
「ちょう・・・せん・・・せ・・・」
佐藤の言葉を聞いた男は、何事かつぶやいた後にまるで火が消えたように大人しくなった。
「さて。やっとお話ができそうですね。単刀直入にお尋ねします。あなたはアダルトゲーム…エロゲーですね。を遊ばれた事は?」
「…あります」
「やはりそうですか。それもかなりの頻度でプレイされている…」
「はい」
「では、もう一つお尋ねします。とは言っても別に答えなくても結構なんですが。
あなたは特定の女性と親密な関係になり、性的交渉をもたれたことは?」
「なぜそんな事を聞くんだ!お前も恋愛で人間としての価値の全てを決める屑なのか!」
「いいですか。これはどうしても必要な事なんです。私は貴方と同じような状態になった方を何名も見てきました。そして彼らには共通するう特徴があったんです。それが全員アダルトゲームの愛好者であったこと、そしてもう一つは今まで一度も恋人と肉体的な関わりを持たなかったこと。です。」
「ゲームの趣向と今回の件は全く関係ない!エロゲは現実逃避でもない!仮想と現実の区別はついている!」
「別にアダルトゲームが悪いというわけではありません。ただ…全員恋愛面では恵まれていなかった。正直なところ見た目でそれがわかるほどに。つまり、普段殆ど恋愛に縁のない人間だった。」
「ある年齢を超えた場合、独り身の人間に向けられる周囲からのプレッシャーというのは精神的にかなり厳しいものです。そこで心を病んでしまう人もいます。ただ、今風の恋愛の輪の中に入っていない人、そういった人で全く色恋から外れて周囲に異性も居ない人はそれほどショックは大きくないんですよ。でもアダルトゲーム愛好者は常時その恋愛という物にどっぷりと浸かってしまっている。それでも、ゲームはゲーム区別はついていると全員言っていましたし、実際に調べてみても現実と虚構が混ざっているような人は居なかった。でもね、たとえ虚構だとしても恋愛のプラスの部分だけ、付き合ったあとの事嫌な事も描かれない物語は恋愛の特に甘ったるい所だけを煮詰めたようなものです。幸せな恋愛をして最後に性的な交渉を持つ。こういった物語をたとえ虚構だとわかっていてもずっと見続けることで精神的に影響があるのではないか、と私は見ています。
独り身で毎日がクリスマスのような街の結婚相談所に就職したような状態を想像してみてください。耐えられそうですか?自分が得られなかった物、自己の肯定、そういった物が揃っている現実を次々と見せ付けられる。物語だとわかっている事が全ての抑止になるわけではありません。物語というのはわかっていても、どうしても現在の自分の境遇と無意識のうちに比べてしまう。こんな恋愛があり従順で可愛げのある女の子が自分の周りいるのか?その欠片すら現実の女性は持っていないのではないのか?現実と虚構の満たされなさは膨らんでいきます。
常時こういったゲームを主にやり続けて行くという事は傷口に塩をすり込む様な事を何年も続けていく事になるのだと思います。気が触れるというのはある日ある出来事が原因で突然起こる事はまずありません。大抵は心を蝕む原因があってそれが長い年月をかけてゆっくりと心を捻じ曲げていくのです。貴方の女性に対する嫌悪と怒りの根源はなんなのか考えたことはありますか?現実と虚構の区別がつかないのではなく、これは精神疾患の一種ではないか、と私は見ています。」
「・・・そんな事はない。現実の恋愛には興味はない。そういった世界とは隔絶している。あくまでゲームは・・・趣味だ。」
「そうですね。それでもはこう考えられませんか?貴方はゲームの登場人物に対して特別な思いを抱いているはずです。貴方は今までプレイしたアダルトゲームの数を覚えていますか?そのゲーム、買い集めたその登場人物のグッズそういった物があるわけですよね。でも、貴方がこれから先女性に傷でも負わせるような事件を起こしてしまったとする。するとその…『彼女』達はどうなるんでしょうね。物語の人物ですよ。貴方以外に誰がその存在を認められるんですか?普通の人々には単なる紙やデジタルデータでしかない物から価値を見出して保存してくれるといいですけどね。」
「・・・・」
「でも、現実はそうじゃないはずです。それは現実と虚構の区別がついている貴方にならわかるはずでしょう。これからの自分のために、過去の思い出も守るために。貴方には治療が必要なんですよ。中毒を治さないといけないんです。ゆっくりとプレイする回数を減らしていきましょう。まだ貴方はやり直しがききます。」
「わかりました。よろしく・・・お願いします」
http://anond.hatelabo.jp/20070304233637を見て、書こうと思って止めてたこと書いてみる。
今日(3/4)、ホワイトデーの準備を仕込んだ。といっても社内の義理のお返しだけど。本命なんてないんだけど。
10日前って流石に早いとも思ったけど、まんがいち来週末動けなかったら間に合わなくなるので念のため。
日頃チョコレート好きを標榜しているので、たとえ義理のお返しといってもちょっとこだわりたい。自分が食べておいしいと思ったものを贈らずにどうする。というわけで、気合いを入れまくるならば、シガールチョコといういまや幻となってしまった絶品チョコがあるのだが、今回はそこまでする気にはならない。デメルとかも切り札だけどそういう常道を行ってもなんだか。無論、スーパーやコンビニに置いてあるようなホワイトデー向けのパッケージ商品など犬にも食わせられまい(自分で食う)。今住んでる地元で頑張ってる企業ということでメリーチョコレートというのも考えたのだけど、まあ(自分的に)普通すぎる気もしてやめた。
向かったのはディスカウント系のショップ。輸入食材なんかも結構扱ってたりする。ここにお気に入りのドイツチョコがあることはわかっていたので、他には目もくれず探す。今思えばギリアンあたりで手を打ってもよかったかも…。残念ながら私の一番好きな型番はなかったのだが、5種類ぐらいみつくろって購入。くれた人は2人なので2個ずつ。実を言えばその5種類全部実際に食べてみたことがあるわけではないのだが、まあ間違いはないだろうということでちょっと妥協。¥2000が飛ぶ。
パッケージをどうしようか、ということで、オリジナルを練ってどうこうという気力もないので安直に文具屋でラッピングバッグを購入。¥1000が飛ぶ。ただ、これはもう袋にどさっと突っ込んで口を結ぶだけでいいので、センスとか一切気にしないですむ。中身で勝負。勝つも負けるもないけど。
正直、自分でも、そこらへんで見繕った義理チョコにここまで、という気はしなくもないのだが、一応3倍返しぐらいのことにはなっているだろう。バレンタインだホワイトデーだという流れのなかでまずい菓子が世の中に氾濫するのは許せないから、せめて自分ぐらいは、自分の舌で選んだ良品を世の中に回したい。これは最早、”男だてらにチョコ好き”の意地でしかない、笑うなら笑ってくれ。
「なぁ、チョコくれるの?」
観光へ行く道すがらの車内で、彼奴は唐突にそう聞いてきた。
「チョコ? 何の話?」
すっかり忘れているかのように、私は質問で返す。
「二月十四日」
それだけ短く返し、そのまま私は返答に詰まった。「キットだけどちゃんと手作りするから!」とは恥ずかしくて言えぬ。「上手くいったらくれてやるが、そうでない場合は諦めろ」はもっと言えぬ。
私が黙っていると、
「いや、呉れないなら呉れないでいいよ」
とそっけなく言われてしまった。違うんだ、あげるけど言えないだけなんだ、とは、やはり言えず、私は何の弁解も出来ぬまま、その件についての会話は終了した。
上手い切り返しの出来ぬ自分に苛立つし、彼奴を落胆させてしまったかもしれぬという申し訳のなさで、私は少し落ち込んでしまった。
あの時、何と言えば良かったのだろう。期待を持たれても此方が苦しい、秘密にしておきたかった、そんな(自分勝手な)己の感情を仕舞い込もうとしたら、結局彼奴には何も言えなかった。そしてその事で勝手に後悔している。私は阿呆だ。
ブラウニーならクルミを混ぜるのが定番かと思われるし、断然うまいのでお勧めする。
わざわざ製菓売り場やバレンタインコーナーまで足を運ばずとも100均で買えたりするし、特に手間をかける必要もなく、刻んで混ぜさえすればそれでいい。
敢えてポイントを挙げるとすれば、原材料に「食塩」と記入されていないものを選ぶ事。
たったこれだけなのだが、味付きのものを混ぜると、悲惨な事になるのは確実なので注意されたし。
定番すぎてキットに入っていたら申し訳ない。
自らと同じく独り身の女傑どもに配る菓子を溜め息つきつつ選んだ拙者としては、朴念仁どのの奮闘ぶりが微笑ましく、また羨ましい。
心より健闘を祈っている。
VNIとは懐かしい。しかしながら褌と晒姿で自作チョコ持ってる侍はあまり萌えにはならぬと思うのですが。なるのでせうか……と思いつつちんたら本題を書いておったら、
ktkr。(当然)褌ではなく袴。(中の人とは大違いで)大変美人である。こうやって「朴念仁侍」というキャラが一人歩きしていく様子は大変楽しいものです。有難う御座います。1024回保存しました。
先日無防備にほいほいと立ち寄って、見事に玉砕したスーパーの特設コーナーへ足を運ぶ。
この前の敗因はあれこれ見てしまった事による混乱であるからして、つまりキットのみを買えば他に目移りする事もなく購入が可能だと考えた。名付けて「サーチアンドデストロイ大作戦」! 方法は単純明快、ぶらうにぃの手作りセットの箱をむんずと引っつかんでそのままレジへダッシュ、そして購入。みっしょんこんぷりーてっど。そのままスーパーから脱出し、外でこそこそと必要な材料をチェックしておる私はまさに不審者そのもの。
アレンジとして記入されていた「ドライフルーツや別のナッツ類を混入する」のは色々な意味で危険だと判断した為、特に別途買わなければならぬ材料はなく(但し牛乳が無いのでそれだけは後日購入とする)、ラッピングの材料を買いに雑貨屋へ。ブラウニーは茶色い菓子だからという理由で、特に何の考えも無く白・茶・黄の組み合わせになるように包装紙とリボンを購入。リボンて。今時リボンて。むしろこの年でリボンて。と妙な突っ込みを脳内で自分に入れるが、何、大した事は無い。このいずれ塵となるものを所持するのは私ではなく彼奴だ。呵呵。
http://anond.hatelabo.jp/20070209131658
そして、婆ぁにしてみれば、昼間は学校に行く学生と違って、日中もずっと家にいる自分は、使いでがあるらしく、四六時中ベルを鳴らしては自分を呼び、用が済むと、別に、いくらいくらと決まっているわけではないが、若干の小遣いと腐った羊羹など菓子を呉れるのであるが、最初のうちは、ちょっとした用事で済んでいたのが、婆ぁは、だんだんに増長して調子を出し、この頃では、ひとつ用事が終わっても、それが済んだら庭の草刈り、それが済んだら買い物、と、一回のベルで、次々に用事を言いつけ、もう自分は、化物使いという落語や、ガルシア・マルケスのエレンディラという小説を連想するくらいに、うんざりして、婆ぁのところに行くのがすっかり嫌になってしまったのである。
小学校のクラスに二崎貢司って奴がいて、こいつは凄い頭良くて勉強できたくせにサドで苛めっ子で何考えてるか判んないところがあって、突然何も理由が見当たらないのに昨日まで一緒に遊んでいた男の子をハブったりして一人で楽しんでたようだったのだが、クラスの皆がこいつをどう扱っていいんだか判らないまま勉強できるし運動できるし口は達者だし何か怖いし何が理由で嫌われたり好かれたりするんだか判らないしということでとりあえず二崎君はクラスの中心に置いといてアンタッチャブルって感じだったんだけど、そんな二崎に対抗したのが隣のクラスの浦安正輝で、その浦安の友達で、浦安が二崎をボコったときに止めに入ったのが金田陽治だった。
この二人が面白い。
まあ、「文学賞メッタ斬り!」の受け売りなんだけどね。
今年は血糖値の上がる予定がない…自分で買うか、とかすっとぼけたことを考えているのはまぁともかく。
イヤ、直接チョコがどう恋愛がどう、って話じゃないんだけど…靴が欲しいんですよ。
靴。アホみたいな値段の靴じゃなくても良いんだけど、普段使いのよりはちょいと上質で、んでわりかし使い回せそうなヤツを、多少お値段張っても良いから探して二足くらい買おうかなー、とかなんとか。
でまぁ…今度の土日にでも探しに行こうかなーとか思ってるんだけど。
この時期そういう服飾モン買いにどこぞへ出かけるとあるわけですよ、バレンタイン特設コーナー。そりゃそうだそういう時期なんだしそういう国なんだし(わはは)。
どうもねぇ。浮き世の義理だったり秘めたる熱い恋だったりとまぁ色んな感情の渦巻く会場をかいくぐって、メンズの靴探し歩くってのは、独り身にはけっこう堪えそうだなぁ…と。
っていうかアレだ。バレンタインのツカミのギャグに「究極超人あ??る」(バン・アレン帯の誕生日)か「うる星やつら」(チョコレートは実は「血汚冷凍」といって牛の血を固めて作った恐ろしい菓子だ)を持ってくる人は年齢ばれるので気を付けましょう。わはは。
特設コーナーにずらりと並ぶ、なにやら高そうな(実際結構高い)チョコレート。そのコーナーの一角に手作り用品コーナーが。スーパーの近所の高校の制服を着た、きゃらきゃらしたおなご数人の横で何があるかチェックするも、見慣れない物を見てしまった所為か、途中でなんだか目がチカチカしてくる始末。情けない。それでも女子か。そしてなんだよこのかわいらしいちまっとした小瓶に収まったハート型とか星型の金粉って。美輪明宏の毛の色リスペクトなのか? 金粉なんて日本酒に入ってるのしか見た事無い、食べた事無い。混乱して何を買えばいいのか判らなくなり、何も買わずそそくさと特設コーナーから立ち去ったチキンな私を許せ。
近いうちに又このスーパーに寄るので、必要なものをメモして、ささっと買ってきてしまう事に決めた。あの一角は魔界だ。恐ろしい鬼が住んでいる。何故だ、普段良く見る板チョコは怖くないのに。
焼き菓子は量も多そうだし良さそうですね。非電動泡だて器でメレンゲを立てるというのは苦行だったのですか……恐ろしい……。
おお、なるほど。
朝食も昼食も抜いてはいないけど少なめではあるかもしれない。
その状態で糖分大量投下が悪いんだね。
今度からもらいものの菓子は半分ずつ食べるとかしてみる。
どうもありがとう。
見えるものや音や匂いなどが平坦に、平坦な俺に真っ直ぐ降り注ぐ。それは祝福であるなんて脳みそ皺なし。どうにかなって。140センチメートルほどの老女三人が談笑しながら歩いて、向こうからやって、決して俺を見ないのだが、一つだけ言っておきたい。三人はそっくり。俺は、何もかも平坦でつらいというか、しんどいし、だるいなあ。言ってもしょうがないから。音も平坦なのは耳が悪くなったのかなと思いながら、ぼうっときょろきょろばかりしていると急に目がおかしく、ぐわんって明滅し、次第にスケールが狂ってしまう。体も重い。ふにゃふにゃーっと体が背骨ごと折れ曲がって俺は座り込んでしまうともう立ち上げれず。老女はまだ遠くからにやにや歓談しながら近づいて、その所作は極めて小人っぽく、近づくごとに、ああ矢張り小人なんだろ、と確信したくなるほど小人なのだがしかし多分小人じゃないなと心の何かによって思って、落ち着け俺、と呟いたが落ち着かない。そわそわしてしまう。この奇妙さは何なの。あ、今気付いた。なんか俺が小人になっていくようでもあるな。なんでだ、と思っていた。そして、いや、スケールがおかしいのは俺以外のものがどんどん大きくなっているからじゃねえ、と思ったら。寧ろ婆たちはでかくなって、俺が小さくなりだして。あらあら。俺以外がみんな大きくなるのと、俺だけが小さくなるのはどこに区別があるんだ。むずかしいですね。俺以外はどんどん大きく、それか、俺がどんどん小さくなって、ある地点で、婆よりも俺のが確実に小さいと思ったけれどもサダカではない。しょうがないな。俺はガンタンクのように立ち上がってぐんぐんっと逃げたが、小さくなっているので中々前には進まないでその場から遠ざかれない。婆らが、しわがれた声で笑いだした。不穏。気温が下がった。サミー。ひゃーひゃーひゃーと笑う声が、ドーム内のようにくぐもって木霊するのがきもちわるく、むかつく。俺が小さくなるのは止まないし。笑い声も止まないし、耳が聞こえないし、目も見えなくなったよ。今。笑い声だけ聞こえる。何も見える。すべては世界の所為であると僕は直感した。それほど悪辣な、悪魔的な所業。世界の所為にした。私以外のものすべてが世界だろう。私は私のことを省みない婆たちを恨みたいが、しかし、善良幸福そうな彼女らが私利私欲怨恨怨嗟のために或いは意地悪で或いは俺を怒りらせようとしてわざと嫌な風に笑っているのだ、とは思えなかったし、文句を言う気も起きなかった。いづれ止むだろう。と思って我慢した。4秒。しかし、笑い声は止まぬので、俺は益々苛々してくよくよした。それを反復しました。いらいらくよくよしました。疲弊した。もういきていられぬ。婆らは自分がそのような声を出して笑っていることについてどう思っているの、と考えた。知っているのか。受け入れているのか。幾十年前は恐らく婆たちだって花も恥らう乙女だったんだと思うけれど、その時もああやって笑ったのかというと、あんな風には笑わないだろ。少なくともしわがれてはいないんだ。じゃあ今俺をくよくよさせているこの声は何なのか。これが老化か。格好良く言うと老化現象。わからないが。いや。分からないけど、でも、と、私ことあたいは思ったンだ。私たちの住む世界というのは何の断りもなく当人さえ知らぬうちに何もかも変容させるし、それも受け入れないならば死ぬしかないみたいな嫌がらせのようなあくどい世界で、それはまあ何度も何度だっていやになるのだが、しかし死んだからといって願いが叶うとは限らないし、それどころか死んでしまったら自分がその現状さえ維持することも極めて難しくなる。例えば、死んだ自分を自ら死んでない死んでないなどと言ってフォローすることさえ自らが死んでしまっては不可能なんであるからね、というか大体において死んだ身体というものは動かないし死ぬのは怖いし死の先は見えず見えないものというのは大体において恐ろしいものだけどそれが何故恐ろしいかというとそれが何なのか分からないからでまた大体のものというのは分からないものなのでもあるからこそ分かったような気にもなるのな。たぶんだけどね。お前が悪いわけじゃなく、お前が悪いわけでもないんだがお前が嫌い、と思っていた。僕は。そして、気がつくと目が覚めていた。気がつくときはいつも目が覚めていた。ほってんとりを見ていたら、コーヒーをこぼしたらキーボードが壊れた。多くのキーが反応しない、そんななか、kキーだけ自分は押されてると思い込んでkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkってなってる。押してないいよ。キーボードを買いに行く。しかしお腹が、ぐるうん、ぐるうん、ぐるうん、と断続的に、連続的に鳴り続けて止まないのだがどうしたら良いのだろう。お腹の音は本人が思うより周囲には聞こえないものだけれど、聞かれても大人的に知らんふりされるのだろうけどで、さすがに、これは、知らんふりしずらく、見つかったら、奇妙というか珍妙で、恥ずかしい、堪らないなと、僕は舗道をずんずんと早歩いていた。空腹というのは波だから、収まるのを待とう。それまでは、騒音のある郊外にいようとおもったのである。さみーとか思いつつ。考えつつ、ふらふらする。そもそもお腹の音が止まないということはありうるのだろうか。僕は今現に自分で止まないと言っているのにそれを疑っています。疑り深い。ぐるうん、ぐるうん。空腹。自分が楽器になったようだ。或いは虫だな。空洞の胴体が振動している。手はおまけのようにくっついてぶらぶらしているし、足は勝手に歩んでゆくような。頭は余計な下らない装飾のように生えているだけだ。腹が歩いてく。盲目の人を見かける。こんな街中で。赤線の入った白い格好良い杖をもっている。俺のことが見えない人。盲人。意地悪をしたくなる。僕は眼というのが嫌いだなあ。とくに軽蔑の目なんかは胃が痛くなる。敗北感が鳩尾辺りできりきりする。次の朝起きれなくなる。その割りに僕という人は尊敬される人でないし、寧ろ積極的に軽蔑される人だよなー。不思議。世界は絶望で満ちていますか。だって。わらた。いやらしいハッピーエンドいやらしいいやらしいいやらしい。迷惑な命。生まれてきて残念でしたすいませんでしたもうしませんもう生まれてきませんビスケットのすいませんでしたマリーを食べていたら頬がなんだか熱をもってしまい口中は乾いてつばを飲んだら喉が痛うという憂き目である。散々だ。死んだほうが益しだ。菓子ばっか食っている。たまにしか死にたくならない。幸いなことである。なんて幸福なの。なんて幸福なの。自己を規定する際他人というものはとりたててじゅうようで他人なしに自己を形成しようとすると失敗してしまうな。自分とはおそらく社会的なものなんであって他人なしで自己を作っていくと自意識だらけになってしまうのだろ。結果的びに自分の誠実を守るために都合の良いルールを取り入れなければならず、自分中心を後後天的に許容して、独我てきに、あらゆる責任は私に帰するのだとして、私が気持ちよいやうにやる、と言って逃げ回っておるだけで、逆説的に、逃げるのはつらくないから気持ち良いのであって、結局、態度を保留し続けているという極めていやらしい態度で生きている。のうのうと死にもせず、愛されもせずに。おぞましく不愉快な生物がいたものである。ああそうだ。何もしてないのに髪が伸び続けるのは俺へのあてつけで、嫌がらせなのだ。爪が伸びるけど爪きりが見つからない。すぐに物をなくしてしまう。数年前のことなんだけど、2ちゃんねるの書き込みの、思春期に愛されなかった人はもう一生愛を知れない、というような断言には呪われてしまっていた。そこまで言い切る根拠はなんだ、気が狂っているのか、こいつと、おれは全く思わずに、静かにゆったりとした時間の中でぼんやりと発狂するところだった。精神薄弱である。でも実際、そんな阿呆な、とすら思えなかったのでびびりますね。如何に下らない言説であろうともタイミングによっては直撃的なネガティブな信仰・呪いとして無抵抗で受け入れてしまうときもあるものなのだな。少なくとも俺にはそういうところが。俺はそのときは本当に呆然自失して、がびーん、てなってた。もうだめだ。もう。このクソみたいな煽りみたいな2ちゃんのレスに中てられているんだけだとは半ば、知りつつも、悲劇みたいな憂鬱的な心地よさにおちついて、徐々に憂鬱浸しになってゆくしな。しにたいとゆって、決して死にたくないのに。死にたいと言う人にじゃあ死ねというのはひどいね。だれのこととはいわないけども死にたいって言うひとはたしかに気持ち悪い。うぜえ。死ねばいいのに。だめなやつら。時折死にたいと呟くやつがいるが、いけないんだぜ、実にいけない、俺は少なくとも本当は死にたくなんてなかった。死んでしまった以上なんとも言えなけれどもね。俺は、つうか寧ろ、なのであるが、生きていない状態を死んでいると言うから、つまり、それは生きているの対義語なんであって、だから、生きたくない、死んだ状態になってしまいたい、という意味で死にたいと言ってゆるのであって、まじ死のうとしている気狂いと一緒にすべきではなかった。願っていただけだった。おれは。静かに。死ぬという行為をスキップして死んだ状態になりたかっただけだ。歩きたくなければ歩かなければ良かった。生きたくなければ生きなければ良い。それは馬鹿だ。馬鹿な話だ。この世は極楽だ。歩かないことは簡単であるが、生きないことは簡単ではない。我々はもはや生きないためには積極的に死ななければならない。生きないからと言って呼吸運動を停止するのはつらく、ご飯を食べないのもつらい。痛いのはつらい。そして、だからこそ僕は死にたいと言って死ぬ覚悟を得るために生きない理由を思いつこうとするがどれもこれも結局のところ全く致命的ではないのだ。吃驚しますね。いいから死ね。積極性をもって死にたくない。だって俺は生きたくないだけだ。誰が好き好んでつらい思いして死ななきゃならないんだ。馬鹿か。もういみわかんねえ。せかいはいみわかんねえよ。いいから死ね。命に意味がほにゃららと誰かが言い、クソカルトである不謹慎禁止教徒どもが、わめきちらす思想はすべての命を汚辱に浸している。倫理なんか水伝と一緒の癖に。人なんかみんな死ねばいいんだ。つらいのが嫌なだけで、そういった思想の持ち主は生きていてはいけないのだ。俺はただ動物のように生きたいと言うが動物にしては恵まれすぎている、といって、俺から言語を使うな、火を使うな、道具を使うな、公共を使うな、恥じ入っても生きろ、などといえたものか。動物が有利を捨てたりするものか。あらゆる責任を放棄して、迷惑をかけて、死、ん。うんざりだな。死にたくない。今の生きている状態を回避していたい。つまり死にたいのだが。死んでいたい。最初から死んでいたい。それはできない相談だ。死ぬのが怖い。それだけでなく、実は死ぬ先も怖い。びびっている。地獄なんてないのが嫌なんだよ。俺は。地獄なんてないと人は言うのだ。まともな神経の人間はそう言う。地獄なんてないとまともな神経の人間は人は言うのだが、そんなはずはない。僕に地獄が与えられないはずが無い。平等に与えるべきだ。子犬に、子リスに、養鶏に、俺に。平等に。あらゆる生き物の命は平等である。それは正しい。あらゆる命が平等に無価値だ。正しい。たしかに! そうして価値は常に"社会的"にのみ宿るのであった。ウケル。俺は絶対に働かないと言ってやる。そうすれば少なくとも俺から奴隷的価値はなくなるかもしれない、扱いにくいとして少しは減ぜられるかもしれない。もしかしたらだけど。いいから早く死ね。そうして、俺は不健康だし、やせ細って、いる。だが僕には価値がある。マッドサイエンティストの実験用人間としての価値。人間を粉にして作る薬の原料としての価値。まずい人肉としての価値が、俺にはあるぞ。僕が何かの人質になると人道的なんとかと言って誰も俺を望まなくても俺には人質として価値が付与されるのだ。俺は社会的な生き物なのだ。じゃあ鯨も社会的だ。鯨食いてえ。蟻は社会的だ。ライオンは社会的だ。カブトムシは社会的だ。カカオは社会的だ。人間なんてくそだ。って鯨が言ってましたよ。どうなんですか。人間。鯨の命はチキンのより価値があるのだろう。ばい菌やビーフやエチゼンクラゲや保健所の犬とかわいがられてる犬と投げ捨てられる子猫と野良猫と血統書とかペットとか金持ちの子と貧乏人の子。すべての価値を認めたくない。地獄なんてなかったね。行ってきたけど、ありゃあ地獄なんて呼べるようなとこじゃねえ。よって結論はあの世に地獄なし、ということでね、知ってるわ、じゃねえ。しらねえよ。お前。地獄なんて信じないくせに。いや、あるかもしれないし、死んでみないことには、などと、阿呆らし、論壇きどちゃって? はは、こうしたこまっしゃくれた奴らは駄目さ。なんでもメタに構えちゃってね。俺がメタのメタに立って優越感ゲームになっていますね、って、そのレッテル貼りが既に優越感ゲーム、ゆゆゆゆゆって、ですか、阿呆らし、やめよ、どちらにせよ論理的云々などといってはまた保留だよ、永遠に保留し続けますか。まあ、だからと言って地獄の存在を鵜呑みにする連中ってのもどうかと思いますけどね、端的に言って宗教者はきもい。宗教は駄目だ。というのは俺が信じれないからだけど。俺に純真がないからなあ。奇跡がない。啓示が。俺に与えられない。これからも与えられはしないだろう。何かを与えられる事を望んではいけない。どのような状況においても。それは甘えなのだ。つらい事をやめてはいけない。それは怠けなのだ。ナマケー。いいからやれ、と、結局はそれへ収斂するよね。あらゆることがそうなのだよ。俺は仮定で、空想上の人物で、空論以外に、何かを実行することが、不可能なのにな。残念だ。あるひとは俺を指して、言語に支配されてきもい、と言ったのだ。たしかに。だった。そういうしかねえよ。本当正しいぶっていますね。俺なんて、いいから死ね、といわれればそれまでである。死ぬしかない。いいからやればー。うるせーばか(ここで絶命しました)。