はてなキーワード: 正当防衛とは
昔近所で強盗が出て、母に「恐いからいつも包丁傍に置いとこうかなぁ」って言ったら「そんな物奪われて殺される危険が増すだけだ!余裕があるならまず逃げろ!」って怒られたの思い出した。
包丁一本で一般人が格闘技経験者を殺そうとするのは命がけ過ぎる。
ふいをついて最初の一撃で格闘技をやってる人に致命傷か反撃できないほどの重症を負わせられなければ、力が圧倒的に勝ってる相手には簡単に凶器を奪い取られる、そして殺されかけて怒り狂っている格闘家が凶器を持って殺意を向けてくる、正当防衛で殺してもかまわないって大義名分もちで。
最初の一撃が筋肉に阻まれて致命傷に至らなかったり、よけられる可能性も高いし、無茶無茶。
最盛期のアーネスト・ホーストを包丁で殺せるかシミュレートしてみ。
自分に対する殺人未遂に格闘家はどう対応するべきかだけど、相手を殺さなくても命守れそうだからできれば殺さないようにした方がいいと思う、でも凶器を持って人に殺意を向ける人は、反撃でめった刺しで殺されても文句は言えないだろうな。
別に揶揄するわけでも何でもなく、素朴な疑問。
ある種「なぜ人を殺してはいけないのか」議論に通じるものもあるが、気になった。
何の疑問の余地もないだろう。
特定の知識や技術を習得することが目的の学問で、その成果を計っているのに、全く無関係の別の技術で対応しているから問題なんだ。
カンニングを習得する学問で、本人が「カンニングの技術」が高い事を売りにするのなら良いが、そうじゃないだろ。
目的に対して手段が無意味なのが問題なのだから、「なぜ人を殺してはいけないのか」だけの設問では無意味。
人を殺す目的とセットでなければ、手段の正当性は語れない。
年長さんの息子がいます、30代主婦です。
うちの幼稚園は、強大な権力を振りかざすボスママの王国となっています。
信じられない話かもしれませんが、入園したらまずはボスママ宅に挨拶。
さらに、ボスママの実母が営業している保険に加入させられます。
ボスママの要求を断ったり、挨拶をしないと、それこそ子供は園庭で遊ぶことすらできません。
ボスママの陰湿ないじめに耐え切れず、転園された方も何人もいます。
私の子供はボスママの子と同い年のため、年少さんの時から2年間の付き合いです。
子分のフリをして、あれこれと命令を聞きながら「あと1年・・あと11ヶ月・・」と耐えてきました。
しかし、そんな我が園に救世主が現れたのです!
この4月から入園してきた年中さんの女の子のママ。私達はジャンヌ・ダルクと呼んでいます。
ジャンヌさんは、入園式の時に「ボスママに挨拶を・・・」という私達のアドバイスを一蹴、
「幼稚園は子供が主役。ママ同士の関係なんてオマケみたいなものよ」と笑顔で返されました。
即、ボスママのターゲットになりましたが、全く気にしていない様子。
一度、皆の前でボスママに平手打ちをくらった時は、即座にバチンとやり返し
「そっちから殴ってくれるの待ってました!これは正当防衛だよね?!」と。
「皆さん、年貢を搾取されて苦しむ農民みたい!何時代って思っちゃう!(笑)」とケロッとしていて
そんなジャンヌさんに同調し、年中さんママ達の結束が強まってます。
さらに困ったのは、年少さん時代から年貢(保険料)を納め続けてきた年中ママ達が、
「ガン飛ばしただろ」
とかなんとかで。
ちらっと見ただけだよ。たぶん。
胸ぐら掴んで絡んできたくせに
「なんか文句あんだろ?殴れやオイ」
と、こっちから殴らせようとしていたのは正当防衛にしたかったんだろうか。
ガン飛ばした飛ばしてないの言い合いでうるさくなってきたところ、
「とりあえず場所変えようぜ、向こう行くぞ」
とDQNが言うから移動。
途中で店が視界に入ったので
「あ、あそこの店で話そうか」
意外に素直に応じるDQN。
「もしもし?なんか変な人にからまれてるんですけどー」
「ハァ?!ちょっと代われや!被害者面してんじゃねーぞ!」
誰がどう見ても絡んで来たのはお前だし。
店の前まで来て、警察のお姉さんに現在地を伝えていたらDQNが突然、
「俺あの店入りたくねえわ」
と言って走り出し、絡まれた場所の近くにとめてあったスクーターに乗って去って行きました。
はてサの間では少年を擁護するのが流行っているらしい。「在特会に囲まれていたから正当防衛だった」「一対多数だったのだから武器使用も許される」「彼を攻撃へと駆り立てた日本社会に問題がある」etcetc。政治主張はどうであれ暴力は駄目だという常識的な意見は、はてサ村の中では反動的で差別的な前時代人の発想なのだそうだ。
俺が恐ろしいと感じるのは、このはてサの擁護の理屈には歯止めが内蔵されていないことだ。今回はスタンガンや催涙スプレーだったから深刻な被害は出なかった。だが武器がナイフや拳銃だったらどうか。在特会に死人が出ていたらどうか。はてサの理屈では、これもやはり弁護しなければならなくなるのではないか。ちゃんと線引きできるのか。
殺せって言うなら、ちゃんと正当防衛、悪くても過剰防衛になる線を教えろよwww
人生はお前の思ってるようには変わらないよ。
ふいになんかの間違いとかで奇跡めいたこと起きたって、それただの手違いだから。
かといってすげえ不幸に打ちのめされたからって、大抵は明日には過ぎ去ってるんだよ。
心の傷ぐらいしか残らないんだって。まして、残したくないなら余計に。
プラマイでゼロってのが妥当な見込みなんだよ、結局。
だからさ、お前がもし堪えがたい寂しさとか孤独感とか覚えたところで、
大学なりバイトなりで「やっぱり自分の代わりはいくらでもいるんだ」とか
「むしろ自分の存在がみんなを阻害してるから、疎外されて当然だよね」とか
「自分がのけ者にされるのも、みんなには正当防衛なんだ。迷惑な人間だし」とか思ったところで、
次の日のお前は本だか音楽だかアニメだかで泣いたり笑ったり萌えたりしてるんだよ。
泣いたり笑ったり萌えたりすることで、前の日の自分の苦しみを笑い飛ばしてるんだ。
そりゃあ、自分の心とか信じられなくなって当たり前だよね。
真実はいつもひとつ、本当の気持ちはひとつだけってかたくなに信じ込んでるんだもん。
本当の自分の本当の気持ち以外は、すべて演技だとさえ思ってるんだもん。
だからさ、本で読んだような劇的な展開を日常に求めるのはもうやめよう。
異性に話しかけたからってそのまま恋人ができるわけじゃないし、
だいいち恋人ができたからってそのまましあわせになるわけじゃないんだ。
劇的な展開にしようとすると、劇的ってのは落差って意味だから、
慣れてないお前みたいなやつがそうしようとすると、不幸を作り出しちゃうんだよ。
ちょっと運がないのと、たまたまツイてないのをつなぎ合わせて悲劇を見出しちゃうんだ。
悲劇は劇的だしね。少なくとも日常的ではないし。
理由のない「寂しさ」だとか「孤独」にまで、意味をこじつけてくれるし。
でもそれ、前に進まなかったらただ落ちてるだけだから。
たとえハッピーエンドが起きても、人生そのもののエンドは死しかないんだから。
だからもう、浸るのはやめよう。
たぶんお前はまた明日の昼にはなんかの拍子につらくなるんだけどさ。
そしてそれを夕方には笑うんだろうし、夜にはそんな自分を憎らしく思うんだけどさ。
それでいいよ。十分だって。そんなことでお前の人生は大して変わらないから。
仮にお前が思うようにはよくならないとしても、お前が思うほど悪くもならないから。
だから無理に劇的になろうとして、絶望にさえ手を伸ばすのはもうやめよう。
メンヘラの振りをしながら本当のメンヘラになるなんて、馬鹿みたいだったじゃないか。
悲しみは悲しみで、喜びは喜び。
因果関係なんて、忘れてしまえ。
プロットなんてないんだから。
そんな、お前がいま泣きそうになってることにまで意味なんか見出さなくていいんだ。
そう思えば、明日笑ってる自分をとがめなくて済むようになるだろ?
大丈夫。人生は目に見えて変わらないけど、にじり寄ることはできるさ。
不安定なままでいいんだって。本当の自分なんていないんだから。
だからこんな夜まで、明日に怯えないで。
諦めるんだ。あくまでも前向きに。 >僕へ
また、その犬をやむをえず殴った場合であっても、噛まれた人間は犬の飼い主に対して賠償責任を負わない。
法学における緊急避難とは、急な危険・危難を避けるためにやむを得ず他者の権利を侵害したり危難を生じさせている物を破壊したりする行為であり、本来ならば法的責任を問われるところ、一定の条件の下にそれを免除されるものをいう。刑法、民法、国際法においてそれぞれ意味が異なるので、以下、個別に検討する。
民法における緊急避難は、他人の物によって生じた急迫の危難に対して、自己または第三者の権利を防衛するためにその物を毀損する行為については不法行為による責任を問わないというものである。民法720条2項に規定がある。
例えば、他人の飼い犬(生物であるが民法上はあくまで「物」として扱われる)が暴走して襲ってきた場合にこれを撃退する、のが民法上の緊急避難である。他にも、今にも崩れそうなブロック塀がある場合に所有者の確認をとらないままこれを取り壊してしまう行為などが緊急避難にあてはまる。
なお、正当防衛は民法にも規定されている(民法720条1項本文)。両者の違いは、正当防衛が「他人の不法行為」に対する防衛であるのに対して、緊急避難は「他人の物から生じた急迫の危険」に対する防衛であることである。つまり、正当防衛は他人の行為からの防衛であり、緊急避難は他人の所有する物からの防衛が問題となる。例えば、暴漢から逃れるため他人の家の門を壊して敷地内へ逃げ込んだ場合、刑法上では緊急避難の問題となるが、民法上は正当防衛の問題となる。
なお、被害者(飼い犬の権利者)から不法行為者(飼い犬をして襲わしめる事につき責任のあるもの)への損害賠償請求を妨げない(第720条第1項但書、同条第2項)。例えば、持ち主Aから飼い犬を預かって散歩に連れて行ったCが、過失により犬を放してしまい、結果犬がBを襲ったため、やむをえずBが犬を撃退した場合、AはBではなくCに対して損害賠償請求をする事ができる。
ここでは、あなたの友人はやむをえず犬を撃退したため、緊急避難が適用され、賠償責任を負わない。
仮に犬を放した人物が、飼い主と別の人ならば、飼い主はその人に対して損害賠償請求を行うことはできる。
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追記:
読み間違えてた。人が噛まれて人が反撃したと思ってたら、犬が噛まれて犬が反撃したのね……
本当に面白ければ買うだろ。
つまらないものを作る制作者が駄目
っていう馬鹿が多いけど
考えてみると、産業の中で、そういった中身の善し悪しが分からないから、とりあえず買ってみたという購入者層って
特定の区切られた暗室にはいって、限られた人にだけ見せる。
まぁ映画もカメラを回してコピーする馬鹿もいてネットに出回る事もあるけどね。
面白いか否かが分かった後でも、DVDというおいしい商売も待っているわけで
やっぱ映画っておいしい。
通常のアニメやドラマは、無料で流しちゃうわけで、ちょっと商売として厳しいよね。
うーん、やっぱ法律は難しいな。
「京都府学連事件 - Wikipedia」がヒットしたんで読んでみたけど、
世の中には官(警察・国家権力)と、私人(デモは私的行為だと思う)と、仕事という
三つの立場があるわけでしょう、
教えてくれた事件はモロに国家権力vs一般市民であって、民民間の事例に当てはまるのか、
また刑法が適用されるの?そうでないなら正当防衛ってあり得ないような気がする。
たとえば(話しを広げて申し訳ないけど)町の監視カメラについてプライバシーの侵害だと反対している人は報道されるけど、だからといってカメラを壊したり記録媒体を壊しに来たらまずいでしょ。
リンチの現場を見物していていいのかね? - 訳者あとがきβ版(やくしゃ あとがき べーたばん)
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090502/1241252962
http://anond.hatelabo.jp/20090502135819
・ヘイトスピーチは悪である。マイノリティーに対するリンチである。これは自明。(そう思わない人は、ここから先は読まなくていいです。)
まず、明確に
1)ヘイトスピーチとは何であるか。
2)私刑とは何であるか。
から始めなくてはならない。自明と言って証明を放棄することは論議として許されないものだ。Wikipediaによればヘイトスピーチとは
人をその人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などを理由に貶めたり暴力や差別的行為を煽動したりするような言動のこと。
1)文化的、社会的、経済的、もしくは民族的な所謂差異が存在していなければならない。
2)事実に基づく基づかないにかかわらず、上記の差異を強調する言動である。
3)上記の差異を理由に差別や私刑を正当化しそれらを先導する言動である。
よって、ここにおいてこれらを満たすものをヘイトスピーチと呼ぶ。
私刑(しけい)とは、法律に基づかないで、特定集団( およびそれ自身が定める独自の規則 )により決され、執行される私的制裁。
さてここで明らかなのは私刑はどこからどこまでなのかが不明なことである。肉体的要件に限定するか精神的要件を含むかによって論議は変わってくるだろう。とりあえず包括的に私刑の要件を定義しておこう。
1)法律に則していない。
2)司法機関以外によって罰せられている。
よって集団の有無に係らず上記の二点を満たすものを包括的私刑としよう。さて、ヘイトスピーチはこの二点を満たすのかが問題である。まず第一にヘイトスピーチは差別、暴力的解決を先導するものであって肉体的暴力そのものではない。ヘイトスピーチそのものは言葉の暴力である。言葉の暴力によって特定集団が罰せられることはあり得るのか。それとも不当な差別から不利益を被ることが私刑と云うのであろうか。ここら辺の論議を明らかにしない限りヘイトスピーチが私刑であることは言えないのではないか。少なくとも
私刑でないことを示せとか言われるかもしれないがそれは悪魔の証明であるから、明らかにヘイトスピーチが私刑であることの立証責任があるのははじめにヘイトスピーチが私刑であることを提唱した側である。
ここまではいいですか? 差別を憎み、youtubeで「国民大行進」のビデオを見物しながら在特会の頭の悪さをバカにする、良識ある日本国民のみなさん!
レッテル張りはよくない。ヘイトスピーチがばかげた行為であるのは明白であるけれども自らの主張に賛同するものを「良識のある日本国民」と呼びそれ以外のまるで良識のない人間と呼ぶのはどうか。ヘイトスピーチを行う者を暴力的な行為で解決を目指すあなた方は「良識のある日本国民」なのでしょうか。たぶん私の考える良識とこの人の考える良識はまったく別物なのでしょうね。
・となると、結論はひとつ。法ができるまでは、ヘイトスピーチを人民の実力で阻止するしかない。それを私は「現行犯逮捕」という言葉で表現した。もちろん、現行法によらずに逮捕したらそれは犯罪であるし、“犯人”をブタ箱にぶちこんでおくわけにもいかない。できることは、せいぜい差別表現が書いてある横断幕を取り上げるか、ぶんなぐるくらいのことだろう。(他に方法があるなら、教えてほしいんですが。いや、マジで。)
どちらにしろ私刑は禁止されているのだから暴力的行為で解決を訴えるのは間違いだ。そもそもぶん殴ったら犯罪だから。あなた方ができるのはヘイトスピーチをヘイトするヘイトスピーチくらいなものだ。(どちらにしろヘイトスピーチをする少数団体を価値観の差異でヘイトするんだからこれはまた私刑であることになるわけだが)そしてヘイトスピーチをする者たちが暴力によって訴えてきたとき正当防衛を行使するくらいだ。
いま、目の前で、マイノリティーに対するリンチが行われようとしているときに、法律がないからといって、そのリンチが行われるのを止めなくていいんですかね? みなさん。
まず第一にヘイトスピーチが私刑であるのかは疑問の余地がある。あなたの論議は一般的な私刑の意味を勝手に広げることによってヘイトスピーチを私刑の一つだととらえ暴力的に解決することを正当化している。次に目の前でリンチが行われているに介入すべきか否かという問題に対してはある程度の要件を設けることによって回答を得ることができるはずだ。例えばリンチされているものの緊急性や法権力のavailabilityなどそういったものを考慮して考えるべきだ。無作為に自警団を推奨する行為は無政府主義的な考えだ。その行為こそ民主主義の否定であり、民主主義によって歩まれてきたMoral Progressを否定する行為なのではないか。
・それでも、ここで「現行犯逮捕」という言葉を使ったのは、蕨市での行動で逮捕された2人は、本来なら国の仕事であるべきヘイトスピーチの取り締まりを、国のサボタージュのせいで、代わりにやらざるをえなかっただけだ、ということを強調したかったから。ヘイトスピーチ禁止法があれば、一般市民による現行犯逮捕は違法でもなんでもない。いや、むしろ埼玉県警から表彰されてもおかしくない。(ここは単なるネタだから、ツッコミ禁止。逮捕された2人も警察から表彰なんて望んでないだろうし、私も断る。)
違法であろうと一般市民による現行犯逮捕合法であるかは疑問の余地がある。現行犯逮捕ではなく、少なくとも犯罪行為の抑圧であり逮捕ではない。
あと国際人権規約でヘイトスピーチを禁止しそれを犯罪としていても、そもそも日本はB条項を批准していないんだからそもそも犯罪ではない。
下級から被害に遭った時だけ「変な奴に遭遇してしまった」と思うだけで。
そんなもんだね。非モテにしろ非コミュにしろ、下級層は普段は不可視で、下級が一方的に自分より上の層を敵視している。で、本当は不可視なのに、下級層は上の奴らが普段から自分たちを敵視していると思い込んでいる。
下級層ってさ、なんか叩かれたい願望がある気がするのよ。普段自分たちは不可視っていう事実のほうが、下級層にとっては受け入れがたいことなんじゃないかな。上級層が普段から自分たちを敵視して叩いているんだと思い込むことによって、自分たちが上級層を叩くことを脳内で正当化している気がする。
そんで、先に叩いたのは下級層の方なのに、上が叩き返したら、いつの間にか下級層の脳内では「先に叩いてきたのはあっちだ→だから俺たちがあいつらを叩くのは正当防衛」に変換されている。