人生はお前の思ってるようには変わらないよ。
ふいになんかの間違いとかで奇跡めいたこと起きたって、それただの手違いだから。
かといってすげえ不幸に打ちのめされたからって、大抵は明日には過ぎ去ってるんだよ。
心の傷ぐらいしか残らないんだって。まして、残したくないなら余計に。
プラマイでゼロってのが妥当な見込みなんだよ、結局。
だからさ、お前がもし堪えがたい寂しさとか孤独感とか覚えたところで、
大学なりバイトなりで「やっぱり自分の代わりはいくらでもいるんだ」とか
「むしろ自分の存在がみんなを阻害してるから、疎外されて当然だよね」とか
「自分がのけ者にされるのも、みんなには正当防衛なんだ。迷惑な人間だし」とか思ったところで、
次の日のお前は本だか音楽だかアニメだかで泣いたり笑ったり萌えたりしてるんだよ。
泣いたり笑ったり萌えたりすることで、前の日の自分の苦しみを笑い飛ばしてるんだ。
そりゃあ、自分の心とか信じられなくなって当たり前だよね。
真実はいつもひとつ、本当の気持ちはひとつだけってかたくなに信じ込んでるんだもん。
本当の自分の本当の気持ち以外は、すべて演技だとさえ思ってるんだもん。
だからさ、本で読んだような劇的な展開を日常に求めるのはもうやめよう。
異性に話しかけたからってそのまま恋人ができるわけじゃないし、
だいいち恋人ができたからってそのまましあわせになるわけじゃないんだ。
劇的な展開にしようとすると、劇的ってのは落差って意味だから、
慣れてないお前みたいなやつがそうしようとすると、不幸を作り出しちゃうんだよ。
ちょっと運がないのと、たまたまツイてないのをつなぎ合わせて悲劇を見出しちゃうんだ。
悲劇は劇的だしね。少なくとも日常的ではないし。
理由のない「寂しさ」だとか「孤独」にまで、意味をこじつけてくれるし。
でもそれ、前に進まなかったらただ落ちてるだけだから。
たとえハッピーエンドが起きても、人生そのもののエンドは死しかないんだから。
だからもう、浸るのはやめよう。
たぶんお前はまた明日の昼にはなんかの拍子につらくなるんだけどさ。
そしてそれを夕方には笑うんだろうし、夜にはそんな自分を憎らしく思うんだけどさ。
それでいいよ。十分だって。そんなことでお前の人生は大して変わらないから。
仮にお前が思うようにはよくならないとしても、お前が思うほど悪くもならないから。
だから無理に劇的になろうとして、絶望にさえ手を伸ばすのはもうやめよう。
メンヘラの振りをしながら本当のメンヘラになるなんて、馬鹿みたいだったじゃないか。
悲しみは悲しみで、喜びは喜び。
因果関係なんて、忘れてしまえ。
プロットなんてないんだから。
そんな、お前がいま泣きそうになってることにまで意味なんか見出さなくていいんだ。
そう思えば、明日笑ってる自分をとがめなくて済むようになるだろ?
大丈夫。人生は目に見えて変わらないけど、にじり寄ることはできるさ。
不安定なままでいいんだって。本当の自分なんていないんだから。
だからこんな夜まで、明日に怯えないで。
諦めるんだ。あくまでも前向きに。 >僕へ