はてなキーワード: ジャマイカとは
そういえば一昔前はブログ終わった2ちゃんねる終わったと連呼されてるがいまだに終わる気配がない。終わる終わるといいたくなる奴が現れてからが本番ジャマイカ?
こんなアニメはイヤだ!(宮崎駿×Ζガンダムの場合)の続きです。そろそろネタ切れで、2つしかいいのが出てきませんでした。
今年でそれぞれ94歳と84歳になるブラン・ブルタークとベン・ウッダーは、老人ホーム「スードリ」での生活を送っている。お世辞にも快適とは言えない「スードリ」での生活で、車椅子でようやく動けるほどのブランと、身体は至って元気だが少しだけ痴呆気味のウッダーの唯一と言っていい楽しみは、互いに身を投じ生還した太平洋戦争の話に華を咲かせることであった。2人は、静かだが堅い友情で結ばれていた。
しかし、幸せな生活も長くは続かない。施設所長ナミカー・コーネルによる介護保険の悪用が発覚してしまった「スードリ」は取り潰されることとなり、2人は別々の介護施設への転居が決まる。別れを嘆くウッダーに対して、ブランは家族にさえ内緒にして手放さなかった土地と家を持っていることを明かし、良かったらそこで暮らしてみないかとウッダーに提案する。
ブランの提案をウッダーは快諾し、2人の新たな生活が始まった。しかし、グローバル資本主義によってムラ的コミュニティの崩壊した地方では近所付き合いなど皆無に等しく、役所から紹介してもらった訪問型の介護サービスに連絡を取ると遠いという理由で断られ、また、あてにしていた年金支給も高齢者医療制度による実質の減額で苦しいものとなり、2人は現実の辛さに直面することとなる。
さらに、しばらくもしないうちにブランは脳溢血で倒れ、あっさりとこの世から去ってしまった。ブランの死を伝えるために家族に電話するウッダーであったが、「なんでそんな家と土地があることを隠していたんだ!」という第一声がウッダーに追い打ちをかける。
土を盛りパイプ管をひもで結わえた十字架を挿して庭に作ったブランの墓の前で、ウッダーは手を合わせながら、この悲惨な現実を世に知らしめるために、爆弾を積んだ軽トラで厚生労働省に突っ込む自爆テロを決意するのだった……。
――オレだってがんばってるんだよォ――
東京都多摩市議会議員ジェリド・メサは、まだ若いながらも市長の座を虎視眈々と狙う野心家である。昨今の多摩市では、老朽化し入居者も減るニュータウンを取り潰し、大規模なごみ焼却施設と最終処分場を建設する計画が持ち上がっており、周辺自治体も巻き込んだ、議会、住民、環境保護団体などが入り乱れての混乱の只中にある。
ジェリドは同期議員カクリコン・カクーラーとともに、市長ジャミトフ・ハイマンおよび所属する与党政党「ティターンズ」の重鎮議員バスク・オムの息のかかった建設賛成派の急先鋒を務めていたが、大学時代から環境保護活動に参加している恋人マウアー・ファラオとの仲は険悪になる一方で、頭を悩ませていた。
そんな折、建設反対を訴える対立政党「連邦」のやり手議員であり、大学時代は空手部の先輩でもあったライラ・ミラ・ライラが謎の死を遂げる。これに大きなショックを受けたジェリドは、ティターンズの先輩議員ジャマイカン・ダニンガンに事の真相をを問い詰める。そこでジャマイカンの口から出た言葉は、家族の誘拐・拉致による反対派への恐喝、それでも従わない場合の毒ガスによる殺害など、賛成強行派による恐ろしい手口の数々だった。
非道の一端を担っていた自分を恥じ、汚名挽回を誓ったジェリドは、内部告発の準備を進める最中で、メラニー・ヒュー・カーバインの経営するごみ処理プラント建設会社アナハイム・エレクトロニクスと市長ジャミトフとの癒着の、決定的証拠を掴む。単純な告発では握り潰されてしまうとのマウアーの忠告を受け、あくまでティターンズ内部からの瓦解を目指すことにしたジェリドは、壮絶な化かし合いの政争に身を投じることとなる……。
コーヒーを1日3杯以上飲む女性は、ほとんど飲まない女性に比べ、子宮体がんになる危険度が約6割も低いとの疫学調査結果を、厚生労働省研究班(主任研究者・津金昌一郎国立がんセンター予防研究部長)が1日発表した。
子宮体がんは、肥満や糖尿病の人、女性ホルモンの働きの活発な人がなりやすいとされる。研究班の島津太一国立がんセンター研究員は「コーヒーが血糖値を下げたり、女性ホルモンの働きを調整したりすることで危険度を下げているのではないか」と話している。
調査は、岩手、大阪など9府県の40??69歳の女性約5万4000人を平成2年から最長で15年追跡。この間に117人が子宮体がんと診断された。
調査開始時にコーヒーを飲む習慣について聞き取り、量によって4つのグループに分けて関連を調べた。飲む頻度が週に2日以下というグループと比較すると、毎日1、2杯飲む人で約4割、毎日3杯以上飲む人では約6割、発症の危険度が低かった。
。。。。こういう記事が出るたびに思うんだけどさ、これって「履いている靴のサイズとスーパーで過ごす時間は反比例する」並にズレテナイカ?
だって、コーヒーとガンの因果関係についての研究じゃないぞ。「統計的に連動してる(で、いいのかな?)」==「因果関係がある」じゃないぞ。
理解力のない人だからこそジュースだけ出すとほかは問題ないと思い込んでしまいやすいんだから、
やはり飲み過ぎ悔いすぎはよくないって言うべきジャマイカ?
http://anond.hatelabo.jp/20071027001820
寧ろ最近なんかはそうじゃない、見境ない男の方が多いかもしれないから
http://anond.hatelabo.jp/20071027002701
まあこんな物騒な時代だからなぁ、純真無垢でいることはそれだけで罪な世の中……とすると寂しいものだな
昔だって性犯罪やセクハラはあったし、むしろ今より多いくらいなわけで、最近は物騒になったか言うのは少年犯罪が増えたとかと同じように幻想ジャマイカ?
しかし、人の汚さを徹底して教えないような教育の割りに、成人した途端にその辺のことは「いつのまにか」わかっていないとだめだと見なされる、なんか日本ってそういうとこあるよなぁ。ダークな面でも、教えなきゃいけないことは教えるべきだと思うんだが、へんに恥ずかしがって隠して、それでいて社会では突然それらへの対応を求められる。なんか変だ。特に金の事や性の事とかさぁ、日本人的美意識からいくと恥ずかしいのかもしれないけど、海外のようにきっちり子供時代から教えるべきだよなあ。
海外なら教えてるってわけでもないのでは?治安が悪いから教えなくても身についちゃってるだけだったりして。
http://anond.hatelabo.jp/20070910001539:title=ここで]ためしに回答した増田だが、
ふと気づいたんだけど、もしかしてこの問題はグーグルという会社のしくみそのものについて聞いてる大切な質問なんジャマイカ?
そう考えると自分の回答は間違ってない気がしてきた。
それと、もうひとつ。ほかに回答している人のブログもちらちら眺めてきたけど、
この質問で大事なことは「なぜペーパーテストではなくてあえて口頭試問で質問するのか?」なのだと自分は思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070909204454
なんか違和感。その理由が少し分かった気がするよ。
「愛」や「恋」というのは、相互に「好み」があってその「好み」が一致し、何らかのきっかけを元に自然発生するものと思ってるんじゃないか。少なくとも、自分の中の「好意」というのは自分の「好み(ストライクゾーン)」の範囲内においてじわじわと生まれてくるもののように思ってるんじゃないか。
違うよ。全然違うよ。
まず「恋愛感情」というのはコントロール可能です。基盤になるのは条件付け。極論で言えばチョコレート中毒を治すために口内いっぱいにチョコほおばって微弱な(不快な)電流を流し続けるみたいなやり方すれば、チョコが「嫌いになる」ようなもの。オレなんて茄子が大好きだったのに、一回まずい定食屋で酸化した油どっぷりの超マズい茄子の天ぷら食わされたせいで、茄子が嫌いになっちゃったよ。茄子を思い浮かべるたびに、あの胸がむかむかする感触がフラッシュバックするんだよ。ひどいよ!
で、話がそれたけど、たとえばあるタイプの顔を見て「ほっと安らぐ」とか、あるタイプの顔に何度か続けて「やさしく」されたりすると、多分似たようなタイプが「ストライクゾーン」になるよ。何かを「好き」になりたければ、その何かと「幸福な体験」が常に伴走すると体に覚え込ませればおk。それができれば恋は誰にでも「する」ことができるよ。
逆に言えば、そういうことが分かっていない相手に対して恋「させる」ことも、原理的には可能だよ。まあそういうことをあまり得意げにやると「分かってる」人からは激しく反発食らうからやめた方がいいけどね。
次に、本当の意味での自然発生的な、そしてアクシデンタルな(えーと、つまり「ひどい偶然の」)恋というのは、もっともっと残酷でどうしようもないくらいひどいものだったりするよ。「好きになっちゃいけない相手を好きになる」とか「全然好みじゃないのにどんどん可愛いく思えてくる」とか「冷静に見れば無茶苦茶ひどい女なのになぜか逆らえない」とか、ほんとそういう道にあいた穴ぼこに落っこちるみたいな恋というのはあるわけなんだけど、そんなとき「ストライクゾーン」とかもう全然関係ないから。似たような例として、上のようなテクを知らずに使われたとき…つまり恋「させられた」時、ってのがあるけど、偶然のせいである二人が恋「させられる」状態というのはかなりレアなわけで、だからこそ映画や物語にはそういうあたかも「運命の恋」であるかのような恋が目白押しなわけだけど、道を歩いていて穴ぼこに落っこちるのがアクシデントでありレアであるように、そういう恋というのは恋の本質ではなくむしろ例外事項と言うべきだよ。
まあ学生時代ならよそ見してガンガン穴ぼこに落ちるのも構わないけど、いい加減冷静に前を見てきちんとゴールにつくように恋してみてもいいんジャマイカ。とりあえず「なんでもおまんこ!」と言った谷川俊太郎や「私は海を抱きしめていたい。私は私の肉欲の小ささが悲しかった」と書いた坂口安吾を見習って万物に恋するといいと思うよ。そんでもって悟りとか開いて見ちゃったりするといいと思う。
追伸