2023-09-17

人体に、死に至る行動を制約する人工的な機構を組み込むことは、人類にとって幸せことなのだろうか

それが、マイクロロボット的なものになるのか、直接脳に作用するAI的なものになるのかは知らないが、あくまでも思考実験として。

例えば、意図的自動車スピード違反の爆走をしようとする。

するとなぜか、右足が勝手ブレーキを踏んでしまう。

例えば、嫌なことがあって酒を大量に飲もうとする。

するとなぜか、途中でジョッキが持ち上げられなくなってしまう。

例えば、大量の仕事押し付けられ、週末まで泊まり残業を続けようとする。

するとなぜか、ある日の夜に仕事を投げ出して帰ってしまう。

自身意思とは別に、そういう自己防衛機構を人体に組み込んだら、人類幸せになるのだろうか。

ある人間意識して、死に至るような行動をとったときに、それにストップをかける人工的な機構は、その人にとって嬉しいものなのだろうか。

もちろん、人が死ににくくなるのはその人にとっても、人類全体にとっても良いことだ。

しかし、自分意思が、何かよくわからない機構によって妨げられることは怖い。

だったら、その機構が、行動だけでなく感情意識にも作用したらどうなのだろう。つまり

「あっ、スピード出すの怖いな」

「あっ、もう飲む気がしないな」

「あっ、なんかもう帰りたいな」

と、あくまでも自分気持ちとして、その機構が働くのなら、それは案外良いんじゃないかというような気がしてしまう。

個人的結論としては、もしもそのような機構を設けるのなら、自意識の方も合わせて調整してほしい。

まり自分意思として、それ(死に至る行動の回避)を選択したような気分にさせてほしいなと思いました。

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というか、自意識修正可能なら、常に幸せを感じられるようにすればいいのか。

じゃあ、そういう機構そもそも要らないという結論になるな。

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