大学入試に受かりたいから勉強をするというのは合理的だし、プロ野球選手になりたいからバイオリンの練習をするというのは無駄。
役に立つ、合理的/無駄、無意味という概念は手段としての中においてだけ機能する。
でも普段、目的を指さずに「それって無駄じゃね?」なんて言う人は沢山いると思う。
ギャンブルとか無駄だろ、とかソシャゲなんて無駄じゃね?とか。
それは多分「生きるにあたって」という目的、あるいはその人が生きる事と同一視している「金を沢山稼ぐ」「異性にモテる」みたいな透明な前置きがあるんだと思う。
でもそもそも人生は無意味なので(だからこそ金を稼ぐためだとか色々意義をこじつけてみる訳で)、役に立つ、立たないの目的とはならない。
リッチになる、結婚をするだとかいった具体的な目的のために役立つこと、役に立たないことはあろうけど、別に全ての人が同じ目的で生きている訳でもない。
これも他人に生き方を遠回りに強要する事になるし、役に立つ、立たないの文脈としてはいささか自分本位すぎる。
おれにとって映画を観ることはそれだけで価値のある事だし、アイドルの追っかけを推し活だなんて言って人生の中心に据えるのは全くもって理解しがたい。
でもその優先順位が揺るぎないものであるのはあくまで自分の中でだけの話だし、他人の中では真逆なんて事だっていくらでもあるのだし。
理解しがたい他人の趣味、考えについ「それになんの意味が?」なんて言葉が口をついてしまいそうになる事もあるけれど、気をつけようと思った。