2023-05-29

反転アンチという存在地雷

以前はファンかいレベルで愛していたものを、なにかがきっかけで、打って変わって口汚く罵るようになる人がダメだ。

これはもう理屈とか理由とか関係なくてほんとダメ生理的に無理。いわゆる地雷といっていい

反転アンチとなった対象が私の好きの範囲関係あるかどうか関係なく、ダメ私自身がまったく興味ない対象への反転アンチも無理、見てらんなくなる。

たとえば以前親しかったとある女性はAというアイドルファンだった。私はAについては全然からなかったけれども、Aを応援する彼女を微笑ましく感じていたので、Aという存在もうっすらと、本当にうっすらと、ありかなしかでいえばギリギリありぐらいのレベルで好ましく思っていた。

が、彼女は反転アンチになってしまった。以前までは「A君がね」とキャッキャッと楽しく語っていたTwitterがAの悪口で染まってしまった。

すると途端に私はもう彼女に付き合いきれなくなった。自分はさほどAという存在思い入れがない。むしろAよりは彼女に親しみを感じていたはずなのに、彼女の心変わりに付いていけなくなって完全に付き合いをフェードアウトしてしまった。

反転アンチになること自体は仕方がないと思う。人は変わるものから。変心は成長の一環だと信じたい。

自分も変わるし相手も変わる。哀しいけれども擦れ違いが生まれしまうだろう。自然発生した感情を無理くり押さえつけたら別の悲劇になってしまう。

が、それを声高に喧伝する必要はねえんじゃないかなって思ってしまうのだ。

「そうやって大声で否定することで未練にけりを付けようとしてるのかもしれないけれども、悪いが、おまえの整理整頓に巻き込まれてやらなきゃいけない義理もない」

と、自分のなかではこんなふうに結論づけている。

それでなくなる程度の交流ならそれまでだったってことで。

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