努力している人や「君もやればできるよ」っていう人に「努力できるのも才能なんですけど?」みたいな反論が最近多い
そもそもサンデルの『実力も運のうち』とかのメリトクラシー批判本くらいは読んでその前提で話してほしい
(話はそれるが、あの本はタイトルが悪く才能の話というよりはコネやハックの話だと思う)
さて、努力できるのが才能だとして、それはもちろん遺伝的要因や環境要因があると思うけど
それって統計的な話に過ぎないと思うんだよね
仮に、相対的に「努力が得意な」群の人たちと「努力が苦手な」群の人たちがいたとして、
その存在が明らかになったことは、あなたの人生に何か有益な示唆はあるんだろうか?
そもそも自分が「努力が苦手な」群に入っているってどうしてわかるの?
自分が「努力が得意な」群における「努力していない人」ではない可能性はないの?
「努力できる群」「できない群」であることが潜在変数である以上、あなたが努力できないと感じていても、
上記の例における「相対的に背が高い男性群」における「背の低い男性」である可能性は拭えないのでは?
であるならば、「努力できる群」が努力しないことの言い訳になるだけじゃないの?
「努力できるのも才能なんですけど?」みたいな斜に構えたこという暇あれば
自分のどこに才能があるのか、どういう努力の方向性が自分に合うのかと向き合う方が有益だと思うんだけど
自分にとってどれが最も合ってるかを見つけることの方がよっぽどか大切でそれすらせずに
俺には努力する才能がないんだーとか言ってる奴は本当に努力する才能がないと思うよ 努力できる奴はそんなアホなこと言わない だから正しい そして別に努力できる、努力してる奴...
努力才能がだと思うけど才能ない側がそれを言い訳に開き直ってるのはマジでしょーもないと思う。
ただ努力しているだけの人間に対して「努力できるのも才能なんですけど」と言う例はまずないと思うやで。たいてい初期条件が恵まれているのに自分の努力でのし上がったような傲慢...