昔の自分、といっても4,5年前のことだけど、どういう人間になりたいか、ということを考えたことがあった。そのときの答えは「誰かを支える人になりたい」というものだった。
このきっかけだったのは、今でも好きなVtuberという文化だ。生身ではない、アバターを使って自分を表現することで歌を歌ったり動画を作ったり、というのがとても自分にクリーンヒットした。
Vtuberの活動に対して、その裏側に必要な労力は果てしないものだろう。YouTuberでさえその活動の継続が大変なのだから。
私は昔から表側の人間ではなく、表に必要な裏側でしか見れない人間だ。企業に所属しているVtuberは、その背景に携わる人間はより多くなるだろう。大手事務所ではマネージャーに加えて、何かイベントをするにしても多くの人が協力しないと達成できないものばかりだ。
そうした中で、そのVtuberが目標にしていたことを達成できた時は何とも言葉に代えがたいことだろう。本人は勿論、スタッフとしてもその喜びはその人本人にとってもうれしいことに違いない。
当時の自分は、こういった1人のためにサポートできるような人間として生きたいと思っていた。でも、今の自分はどうだろうか。少し方向性が変わってしまっているように感じている。
いや、大まかな筋は変わっていないのかもしれない。現に、2年少しではあるが、これまでいろんな人に自分の持つスキルを教えてきた。教えてきた人からは、ずっといてほしいといった言葉ももらっている。
勿論うれしいし、人のために役に立てている人間になることができたし、これから社会人になっていくうえで、この経験は役に立つだろう。
でも、何か違う。これでいいのだろうかという気持ちが生まれている。やりがいを心から感じれないからだ。
今の自分がなりたいのは、言葉はおかしいかもしれないが、「先頭に立って役に立てる人間になりたい」というものかもしれない。裏側で支えたいとおもった人間が、いつしか表側になっている。
なりたいと思ってはいるものの、その勇気が踏み出せない、その思いを自分自身がまだ否定している。自分を自分が否定しているという、矛盾に近いことになっている。