欠けた陶器を直せるだろうか?
「自殺」で検索すると、友達の、子供の自殺を止められなかったという痛ましい話がある
残された人がどのような思いをするか、生きていればよい事があったかもしれないなど、引き留めるような内容の文章から、いつでも死ねる状況を作っておくことで余裕を持たせておくなどの逆転の発想をした考え方など様々な方法で自殺を引き止めようとしている。そこには、彼らに生きていて欲しかったという願いが垣間見える。
タイトルにもあるが、結論から言ってしまうと自殺を止めるのは不可能である。なぜなら、自殺した人は自殺をする前の時点で既に死んでいるのだ。
その人の産まれ持った精神は経験や時間とともに少しずつ死んでいき、最後に肉体としての死が待ち受けている。
具体的な原因の例を出すと、親ガチャだろうか。
親のご機嫌を取り続ける事で自身をないがしろにし続けると、自身の感情や好き嫌いを見失ってしまう。
次に、自分の好きや嫌いを持たない人が、他人の好きや嫌いを尊重できるだろうか?それはゲームでいう所のエアプに等しい。
好きをプレイした事がある人に、好きっていいよね!などとエアプの人間が話せば神経を逆撫でするだろう。
嫌いな事についてはもっと絶望的で、人が嫌だという事を心の底から分からない。合理的であれば良いだろうと考えてさらなる軋轢を産む事にもなるだろう。
ではそういった人が周囲の人達と仲良くやっていくためにはどうするか?
自分を殺し続けるのだ。今度は分からない事で嫌われる理不尽を許容する。相手がわからない事で怒る事を許容する。
よほど器の大きい人間でもなければ、特に毒親育ちの彼らにとっては、理不尽を許容するなど自身を削らない限りできるはずがない。
鬱になると人に優しくなる?違う。彼らは生きていくために自身を削っただけだ。
彼らは自身を削りながら欠けていく。「自分の無い人」になっていき、「自分のある人」には負い目を感じながら生きる事になる。
欠けた陶器にも似て、欠落は少しずつ、少しずつ大きくなっていく。
そうしてある日、壊れてしまう。
彼らが欠けているのが分かるのは、きっと壊れてしまう直前だろう。
何十年も欠落し続けた彼らを直せるだろうか?
金継ぎで治せるやで
なるほどね。